肝経虚寒に対する温肝袪寒法の考察
村田恭介
●寒滞肝脉と肝陽虚について
寒邪直中による肝経の病変は、一般的には「寒滞肝脉」と言われ、肝自身の陽虚は「肝陽虚」とも表現される。
肝陽虚証は、虚によって寒が生じる虚寒証に属し、寒滞肝脉証は寒邪によって病変を生じ「実寒」が主となるので、虚実に違いがある。とは言え寒滞肝脉は、陽気不足で陰寒内盛傾向のある者に好発するので、(肝)陽虚体質との相関関係は無視出来ない。
つまり、寒滞肝脉証においては、寒邪外犯(この場合は寒邪の直中)による肝経の寒凝気滞という「邪実」の証候と、陽虚体質者における陰寒内盛による寒凝肝脉という「虚寒」の証候の二種類の状況が、常に併存し得ることも考慮しておく必要がある訳である。
さらに注意すべきは、寒凝によって生じた気滞や血瘀は、遷延すると次第に「化熱」が生じ得るということである。
●膠原病に対する応用経験
筆者(村田恭介)が最近遭遇したものでは、専門医による諸検査で全身性エリテマトーデスの疑い濃厚な十八歳の女性の相談を昨年五月に受けた。 秋・冬・春に手足のレイノー現象が顕著で、顔面の蝶形紅斑が著しい。舌体はやや小型・舌質はやや紅で殆ど無苔。一連の症候に基づいて温経湯に地龍を加えた方剤を投与。(レイノー現象が顕著であった昨年五月・六月および季節的な予防として本年一月・二月のみ当帰四逆加呉茱萸生姜湯のエキス製剤を併用。)これにより、自覚症状の順調な緩解とともに、毎月の検査も抗核抗体1280から翌月には640、その翌月にも320という調子で次第に正常化し、一年後の五月現在はレイノー現象は基本的に消失し、顔面の蝶形紅斑も殆ど消失し、最終的には80に安定して諸検査のみならず自覚症状においても緩解状態を持続している。
このように、病院のステロイド剤による治療は絶対に避けたいという患者の両親および本人の強い希望があり、病院は検査のみ、治療は訳者の漢方のみで対処することとなったものであるが、比較的単純な方剤運用にもかかわらず、充分な成功をおさめている例である。
「温経湯」は、衝任虚寒・寒滞肝脉と共に陰虚・血虚・気虚・血瘀が併存する証候に適応するので、肝経虚寒に対する温肝袪寒法の代表方剤の一つとも言えるものである。
●膠原病と肝経虚寒の内在関係について
最近また、「混合性結合組織病」と診断された三五歳の婦人。某病院における昨年七月の検査では、抗核抗体 1280以上、抗RNP抗体 256以上で、レイノー現象がみられることがら、右記の診断結果が出されている。その他、血沈が65、CRP(一)、白血球3810、赤血球383万、ヘモグロビンは11、血小板20.6万、尿蛋白(一)、尿潜血(2+)、尿糖(一)、GOT36、BUN10、クレアニチン〇・4、血糖84、総蛋白9.2など。
本病を自覚した初期は三年前の冬からのことで、手の強張りと両肩関節部の疼痛が強く、病院から出されるボルタレンで治療していた。本病の診断が下った昨年は、手足のレイノー現象とともに膝関節部の微熱感を伴う疼痛が激しく、顔面に軽度の紫がかった蝶形紅斑があり、午後から三七度を越える微熱が持続していた。昨年十月には、膝の屈伸困難となり、本年二月まで断続的に病院から出されたステロイド類を継続服用して少し軽快していたが、昼間は微熱程度なのに、夕方から夜にかけて39度の発熱が始まり、膝関節の疼痛も再び増悪したので病院治療をすべて中止。
現症は、近くの薬局に相談し桂枝加朮附湯エキス錠を購入して、二週間の服用で膝関節の疼痛はかなり軽快するも、疲労感が激しく夜間の高熱は不変、毎日の通勤がとてもつらい状態である。舌質は淡紅で裂紋が多く無苔であるが、常に「骨の髄からの寒気」を感じ、寒い日や曇天で関節痛が悪化。
常連の患者さんに紹介されて筆者の漢方を求めて来られたものの、昨年七月の検査時よりも明らかに増悪しており、当然諸検査もかなり悪化しているものと考えられる。病院に行けば即刻入院を宣告されてもおかしくない重篤な状態に近いので、もしも漢方治療で効果が少なければ、時を移さず診断を受けた病院に戻るべきことを告げ、三月七日に独活寄生湯加地龍をエキス製剤で一週間。
これによって夜間の発熱が38度代になるも、食欲不振が激しいので、更に生脉散料エキス製剤を追加する。
著効を得て食欲が完全に回復し、夜間の発熱も日によって37度代から38度代となる。ところが、三月二一日からは忠告を無視して生脉散を殆ど中止。独活寄生湯加地龍のエキス製剤のみを継続服用中であるが、幸いなことに生脉散の散発的な併用だけでも夜間の発熱は次第に消退。最近は独活寄生湯加地竜のみであるが、四〜五月現在は完全に平熱となり、膝関節痛・レイノー現象などの諸症状も基本的に消退している。
独活寄生湯は、「外傷於湿に対する袪風除湿法」の方剤でもあるが、病機は肝腎両虚・風湿痺、治法は補虚宣痺とされるだけに、多少とも肝経虚寒の証候が内在している筈である。
膠原病の病因病機は複雑多変であるから、安易なコメントは差し控えたいが、敢えて愚見を述べれば(当然、風寒湿邪などの外邪侵襲の有無や、各臓腑・基礎物質などに対する基本的な弁証分析を行う前提条件のもとで)、本病ではレイノー現象における肝経虚寒証との関連、寒滞肝脉や肝陽虚との直接的な関係に注目してみることも必要ではないかと愚考しており、併せて寒凝によって生じた気滞や血瘀は、遷延すると次第に「化熱」が生じ易いという観点は、かなり重要な弁証ポイントであるように思われるのである。
これらの愚見に基づき、一人は温経湯加地竜で緩解し、もう一人は独活寄生湯加地竜で緩解するなど、殆ど単一方剤で成分含量の低い製剤でも、比較的短期間で著効が得られたことは、既述の通りである。
なお、蛇足ながら複雑な配合を必要とした膠原病では、強皮症の二〇代の未婚女性で、レイノー現象はそれほど顕著ではないが、独活寄生湯・防已黄耆湯の各エキス製剤に玉金・田七人参を併用して数年間、これら漢方製剤のみの連用で軽快している例がある。
また、ステロイド剤を多年継続服用中の皮膚筋炎の五〇代の女性では、レイノー現象も顕著で、鬱病とメニエール症候群・高血圧症などが合併しているため、〇〇丸・生薬製剤二号方・田七人参・四逆散・半夏白朮天麻湯・釣藤散などの各製剤の多剤併用となってしまった。これら各種漢方製剤の数年以上連用で医師の指示によりステロイドも極端に減量でき、鬱病・メニエール症候群のみならず皮膚筋炎自体も緩解状態に持ち込めている例などがある。
●附録<陳潮祖著『中医病機治法学』より>
温肝袪寒法を採用する代表的方剤は、以下の通りである。
〔一〕当帰四逆湯(《傷寒論》)
【組成】 当帰 細辛 通草 芍薬 甘草 大棗 桂枝
【用法】 水煎し、一日三回に分けて温服。
【病機】 寒傷厥陰・血脉凝滞。
【治法】 温経散寒・調営通滞。
【適応証】 (1)寒邪が厥陰を損傷して血脉が凝滞し、手足が冷え、脉が細で今にも途絶えそうなもの。
(2)腹中の左や右に冷える部分があるのを自覚し、あるいは腰から股にかけて、ある
いは身体や足などが冷えるのを自覚し、病歴が五〜十年に亘って治癒しないもの。
(3)婦人の血気痛にして、腰腹拘攣する者を治す。経水不調、腹中攣急し、四肢酸痛し、或は一身習々として虫行するが如く、日に頭痛する者を治す。〔《類聚方広義》〕
(4)寒湿在表により、肢体が麻痺・疼痛するもの。
〔二〕当帰四逆加呉茱萸生姜湯(《傷寒論》)
【組成】 当帰 細辛 呉茱萸 通草 桂枝 芍薬 炙甘草 生姜 大棗
【用法】 適量の酒と水を加えて煎じ、滓を除去したものを五回に分けて温服。
【病機】 寒傷厥陰・気血凝滞。
【治法】 温経散寒・調営通滞。
【適応証】 (1)当帰四逆湯証があり、胸満・嘔吐・激しい腹痛などを伴うもの。
(2)霍乱多寒〔寒証の急性吐瀉病〕で手足が厥冷し、脉が微で途絶えそうなもの。
(3)疝瘕[せんか]の諸証で、腹痛があり包塊が隆起して聚散〔出没〕を繰り返すもの。
(4)産婦の悪露がいつまでも止まらず、身体の熱感・頭痛・腹中冷痛・嘔吐・軽い下痢・腰脚がだるく痺れたり軽度の浮腫がみられるもの。
(5)宿飲〔寒飲〕が中焦に停滞することによる吐酸〔酸っぱい水の嘔吐〕・呑酸〔胸やけ〕などの症状、あるいは冷気が衝逆して心下に迫り胸脇を攻めるために生じる乾嘔や涎沫の吐出、あるいは嘔吐・下痢、あるいは腹痛、あるいは転筋〔こむらがえり〕、あるいは婦人の積冷血滞により月経期間が短く量も少ない・腹部がひきつり拘攣し心下〔胃📠部〕や脇下に波及することもある・肩背強急〔肩や背が強張る〕・頭や項部が重く痛むなどがみられ、手足の冷えと微細の脉を伴うもの。
(6)小児の走腎〔睾丸の遊走〕で、腹痛のために泣き止まず、睾丸が陰嚢部に存在しないもの。
(7)縮陰証〔男子は陰茎・陰嚢の収縮、女子は恥丘の収縮〕。
〔三〕呉茱萸湯(《傷寒論》)
【組成】 呉茱萸 生姜 人参 大棗
【用法】 水煎して一日三回に分け、微温で服用。
【病機】 肝胃虚寒・濁陰上逆。
【治法】 温肝降逆。
【適応証】 肝胃虚寒による乾嘔・よだれやつばきの吐出・頭頂部痛・胃脘部や腹部の疼痛・舌質は淡・舌苔は白滑・脉は弦遅。
〔四〕暖肝煎(《景岳全書》)
【組成】 肉桂 小茴香 沈香 生姜 茯苓 当帰 枸杞子
【用法】 沈香をすり潰して粉末にし、他薬を水煎して滓を除去した液で、沈香末を冲服する。
【病機】 肝寒気滞。
【治法】 温肝解鬱・行気止痛。
【適応証】 肝寒気滞による下腹部の疼痛・疝気〔腹部内臓の脱出・ヘルニア〕など。
〔五〕天台烏薬散(《医学発明》)
【組成】 烏薬 木香(炒)一五g小茴香(炒) 青皮(白身を除去) 良姜(炒) 檳榔子 川楝子 巴豆
【用法】 先ず巴豆を少し打ち砕き、川楝子と一緒に麸で炒って黒変させ、巴豆と麸を除去し、他薬とともに細末に製し、毎回三gを温酒で服用する。
【病機】 寒凝気結。
【治法】 温肝解鬱。
【適応証】 (1)寒疝〔下腹部・陰嚢・睾丸などの疾病により生じる急性腹痛で、寒冷を誘発原因とするもの〕で、肝経気実・気滞寒凝により睾丸に放散する下腹部痛・脉は沈遅あるいは弦・舌質は淡・舌苔は薄白。
(2)寒気の凝結による腹痛・月痛経。
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posted by ヒゲジジイ at 06:50| 山口 |
中医学基礎
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