(4)両医学におけるにおける臨床実践上の虚実論の比較たまには、応援のクリックお願いします!⇒
私自身は漢方医学と並行して中医学を学習し始めて十数年間になるが、その過程で、漢方医学を批判的に眺めはじめたきっかけ(文献D)は虚実の問題からであった。
漢方医学の考え方において、体質及び方剤を実証、虚証、虚実中間型に分ける特有のやり方には、多々問題があるように思われる。
体力が余っているのを実証、体力が衰えているのを虚証と決めるやりかたは非科学的であり漠然とし過ぎている。
実証用、虚証用、或は虚実中間用とされる方剤にしても恣意的な感を免れない。
それに比較して、「実とは外因、内因を含めた病邪の存在を言い、虚とは生体の機能面、物質面の不足を意味する」と規定する中医学のありかたにおいては合理的な病態把握が可能である。
即ち、多くの病人は、とりわけ慢性疾患の場合、虚実挟雑しているのが一般であり、それ故、「扶正祛邪」の治法が自明のこととなる。
ところが漢方医学に従っていると、体力の強弱のみで虚実を論じ続けるあまり、病邪の存在の問題を忘れ兼ねない。
例えば、桂枝茯苓丸を実証用、加味逍遙散を虚実中間用、当帰芍薬散を虚証用として恣意的に決め込んでしまい、同一の病人に、これら三処方すべてが同時に必要とする病態が存在する発想すら浮かんでこない(文献B)(文献E)。
尤も、これは敢えてエキス製剤で投与する場合の話で、湯液で行う場合はもっと合理的な処方が可能であるが、これはもっぱら中医学理論における弁証論治でのみ成し得ることである。
文献
(文献B)菅沼栄著「中医方剤学とエキス剤」(「中医臨床」誌1988年9月 通刊34号)東洋学術出版社発行
(文献D)村田恭介著「求道と創造の漢方」1985年5月 東明社刊
(文献E)村田恭介著「加味逍遙散加桂枝桃仁について」(「和漢薬」誌1978年4月号 通刊299号)
続きは⇒(5)漢方医学(日本漢方)における虚実論における錯誤

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