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以上、浅学菲才を棚に上げて、中医学と比較することによって自国で発展した漢方医学批判を繰り返す愚を犯してしまったようだ。これ等はあくまで、私個人の見解であるが、これによって多くの方々に不快を与えることを恐れる。然し、私は現在の見解の思うところを声を大にして訴えたい。
これから漢方医学は、中医学派によって、吸収合併されざるを得ないだろうと。それ以外に生き延びる道はもう無いように思われる。
漢方医学が医学として存続するには、あまりにも理論体系が貧弱に過ぎ、発展する余地が乏しいと思う。
とりわけ、個々の生薬に対する認識不足は、漢方理論の貧弱さと相俟って、絶望的であるとさえ思われる。
ただ、方剤に対する認識と腹診法、その他、傷寒論、金匱要略に対する認識に一応の見るべきところはあるが、これらは、積極的に、中医学に吸収合併してもらうべきであると愚考するのである。
いや、このように主張する必要はないのかも知れない。器用な我々日本人は、我々だけで創造するのは不得意でも、他国の創造物を改良発展させる技術においては定評のあるところである。わが国において、漢方医学が中医学に吸収合併されていくのは必然的なことであり、もう既にその第一歩を踏み出している時代が来ていると信じたい。
ある患者が漢方薬で病気が治った場合、どうしてその漢方薬が効いたのか。その患者の病態の説明{病態認識}、それに対する治療の方法とその理由{治法}、それに該当する基本方剤の設定とその設定理由{方剤}、実際に投与する時の具体的処方内容と、それぞれの薬物の配合目的及びその配合理由{実際処方}。
これらを筋道たてて論理的に説明できる理論と法則が漢方医学にどの程度あるものか?
薬学部出身の一介の漢方薬屋の分際でありながら、日本の漢方医薬学について兎や角言う筋合いではないかも知れないが、その素材の生薬は私の専門分野である。
薬の専門家のはしくれである立場から見て、昨今のような漢方医薬学の在り方に、多大な疑義を抱くに到った訳である。
日本の漢方医薬学の歴史を遡って考えれば、決して昨今の様なものではなく、現在の中医学につながる医学思想を持つ「後世方派」が主流を占めていた時代もあった。
たまたま学問世界の復古主義が流行した折、吉益東洞という天才的な人物が登場し、傷寒論、金匱要略のみを是とし、且つ方証相対論を旗印にした「古方派」が次第に主流となるに到った。
現在では「折衷派」が主流とは言え「方証相対論」の錦の御旗は東洞以来、変わることがない。
ところがその間、中国との国交が回復して以来、急速に中医学が日本に入り込んで来た。一部では熱心に学習され、日本の伝統医学である漢方を殆ど完全に見捨ててしまった人もいるようだ。
私自身にしても漢方医学とは対照的な中医学の在り方を多少とも実際に知るにつけ、この日本の伝統医学に対する疑義は最高潮に達してしまったのである。
以上の稚拙なる私見に対して当然、多くの反論があるのは覚悟の上である。
特に漢方医学の理論体系の有無について、また実証、虚証についての漢方医学上の定義については、私の極論的な決め付け方に相当な非難があることは覚悟している。是非、忌憚なき御批判と御指導をお願いしたい。
少しでも自国の漢方医薬学の発展と繁栄のためになることなら、一人くらい本音を包み隠さず公言するドンキホーテがいてもよいではないかと居直っている昨今である。
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