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本論は「中医学と漢方医学」の最後に提唱した私案である。
また、その「中医学と漢方医学」の続編的なものとして「日本漢方の将来『中医漢方薬学』の提唱」と題して、東亜医学協会発行の「漢方の臨床」誌12月号に発表させて頂いた表題の中心部分でもある。
更に後者の論旨は「漢方医薬新聞」1月15日号にも「平成元年、漢方への提言」と題して転載された。
いずれも日本漢方批判を中心に展開しつつ、日本漢方は中医学に吸収合併されなければならない必要性、あるいは必然性を論説した。
とりわけ後者においては、吉益東洞批判を中心に展開し、現代日本漢方の閉塞状態を訴え、発展性のある「医学薬学」として生まれ変わる唯一の道として、中医学への吸収合併論、「中医漢方薬学」を提唱した。
そしていずれの拙文においても忌憚のない御批判と御指導をお願いしておいたが、今のところ筆者のものへは、予想外の多くの御賛同やお励ましのおたよりばかりで、御批判のお声は風のたより程度にしか伝わって来ない。
信じるところを忌憚なく発表させて頂いたものの、浅学なるがゆえの思い違いや考察不足、勉強不足は覚悟してのやむに止まれぬ発表であっただけに、御賛同やお励ましのおたよりは勿論であるが、純粋な学問上のこととしての御批判こそありがたいものである。
浅学菲才を省みず、どうして私が前記二誌に亙って現代日本漢方を批判しつつ、中医学への吸収合併論を発表しなければならなかったか。
このことは、過去の私の迷いと煩悶の内容の数々と、そしてそれらに対する自らの回答が答えになるものと思われる。
続きは⇒(2)初期の迷い
ラベル:中医漢方薬学