白朮を蒼朮で代用されている医療用漢方の問題は小さくない。
そうはいっても現実的には、五苓散中の白朮を蒼朮で代用することは、実際にはそれほど大きな問題ではないものの、補中益気湯や六君子湯など、いわゆる虚証向けの方剤において、白朮を蒼朮で代用されているエキス製剤は、問題はかなり大きい。
これらの拙論を全否定しようとする人達は、玉屏風散中の白朮は絶対に蒼朮で代用できないことを考えてみるがよい。
これでも理解しようとしない頑迷な人達は、補気建中湯や分消湯、あるいは半夏白朮天麻湯などでは、白朮と蒼朮の両者が配合されている意義を考えてみるがよい。
それでも、なおかつ頑迷に否定する人達は、万事休す。
そうはいっても現実的には、五苓散中の白朮を蒼朮で代用することは、実際にはそれほど大きな問題ではないものの、補中益気湯や六君子湯など、いわゆる虚証向けの方剤において、白朮を蒼朮で代用されているエキス製剤は、問題はかなり大きい。
これらの拙論を全否定しようとする人達は、玉屏風散中の白朮は絶対に蒼朮で代用できないことを考えてみるがよい。
これでも理解しようとしない頑迷な人達は、補気建中湯や分消湯、あるいは半夏白朮天麻湯などでは、白朮と蒼朮の両者が配合されている意義を考えてみるがよい。
それでも、なおかつ頑迷に否定する人達は、万事休す。
白朮を蒼朮で代用する杜撰たまには、応援のクリックお願いします!⇒
日本の漢方製剤には原料生薬の吟味において、極めて杜撰なメーカーさんが目立つ。その最たるものがこの蒼朮(ソウジュツ)と白朮(ビャクジュツ)の区別である。
ひどいメーカーになると白朮であるべきところがすべて蒼朮に改悪されて製造されているところもある。しかも日本の代表的な医療用漢方メーカーで顕著であるから由々しき問題である。
白朮と蒼朮は類似点は多いが中薬学上の薬効は明かに違いがある。
脾虚脾湿に適応する白朮と、湿邪の実証に適応する蒼朮である。燥湿健脾を特長とする白朮と、袪風除湿を特長とする蒼朮である。
白朮と蒼朮の最大の違いは、白朮は固表止汗して黄耆(オウギ)がないときの代用品になるくらいだが、蒼朮は逆に散寒解表して発汗作用があるので決して黄耆の代用とはなり得ない。
たとえば玉屏風散(ギョクヘイフウサン)は黄耆・白朮・防風の三味で構成されるが、この白朮を蒼朮で代用するなんてことは絶対にあり得ない。
蒼朮を用いることは玉屏風散の立方の主旨、表衛不固に対する治療方剤(益気固表止汗)にはなり得ないからである。
日本漢方の杜撰さがここにあり、補虚の白朮を袪邪の蒼朮に置き換えたら四君子湯も六君子湯も補中益気湯も、苓桂朮甘湯など、本来の方意を微妙に損なうことになる事実を知る医療関係者がどれだけいるのだろうかっ?
このような白朮と蒼朮の問題は、すべて学問的にも臨床的にも中医学的には常識中の常識の問題である。
なお、以下に 1982年・陝西科学技術出版社刊「中薬方剤基本知識問答」に記載される蒼朮と白朮についての記載の一部をピックアップし、意訳して参考に供する。蒼朮と白朮は《神農本草経》での記載において区別はなく、《名医別録》で初めて赤朮、白朮と分けられた。
すなわち赤朮とは現在の蒼朮のことである。宋代に到って《政和本草》で蒼朮の名が出で来る。
蒼朮、白朮の二つの朮はいずれも燥湿健脾の効があり、どちらも湿阻脾胃、脾胃気虚により運化機能が失調して起こる脘腹満悶、食欲不振、悪心嘔吐、泄瀉、無力等の症に用いられる。
それゆえ臨床上、二薬は常に合用する。
蒼朮と白朮の両種薬物の異なる点は、古人の李士材曽が総結して「寛中発汗の効は蒼朮が勝れ、補中除湿の効は白朮が勝る。脾虚には白朮を用いてこれを培し、胃強には蒼朮を用いてこれを平げる。補脾には白朮を用い、運脾には蒼朮を用いて補運を相兼ね、両者を合用する。湿盛の実証には蒼朮を多用し、脾弱の虚証には白朮を多用する」
と述べている。これは前人が二つの朮に対する臨床の応用面の経験を総結したものであり、参考価値が高い。
具体的に説明すれば、蒼朮の味は辛でよく発散し、性は温で燥、芳香の気が強く、燥湿作用は白朮よりも優れ、健脾の効は白朮に及ばない。
痺証の治療では、虚湿が重い場合は白朮を用い、実寒が甚だしい場合は蒼朮を用いる。
この他、蒼朮は湿温、夜盲症、佝僂病等にも用いる。
白朮は補気固表の効があり、表虚自汗に用い、また安胎の作用があることから、妊婦の脾胃虚弱で水湿内停して起こる悪心嘔吐、眩暈、胎動不安および両足の浮腫等、胎気不和の諸証に用いられる。
—1982年・陝西科学技術出版社刊「中薬方剤基本知識問答」
参考文献
•補中益気湯に蒼朮(ソウジュツ)が配合される錯誤問題