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2018年12月18日

中医学に日本漢方を合体した中医漢方薬学は 構造主義科学

中医学に日本漢方を合体した中医漢方薬学は 構造主義科学である

中医学は構造主義科学   
  
 生体内の生命活動は構造化されており、人体の生命活動を、五行相関にもとづく五臓を頂とした五角形が基本構造であると捉えているのが中医学である。 

 五臓を頂とした五角形にゆがみやひずみが生じたときが病態であり、病態分析の基礎理論となる構造法則の原理が、陰陽五行学説である、と考えればわかりやすい。 

 陰陽五行学説に基づく中医学理論は、臨床の現実に即して展開され、原理的に新たな理論の充実を図ることが可能である。 

 それゆえ、治療の成否は中医学基礎理論の知識を、実際の臨床にどのように活用し、展開させるかという一事に関わって来る。 

 中医学は、構造化された生体内を「五行相関に基づく五臓を頂とした五角形」として捉えることから出発し、臨床に直結した医学理論として、常に生体内に共通した普遍性の探究を継続しながら、基礎理論の確認と補完を図りつつ、疾病状態における患者個々の特殊性の認識(把握)を行なうとともに、この認識に基づく治療へとフィードバックさせる特長をもった医学である。 

 古人は医学領域において五行理論を利用することによって、五臓相互の関係の説明に役立てている。気血津液精という基礎物質の生成・転化・輸布・排泄などの生理的・病理的関係にもとづいて五行理論を巧みに利用し、相生・相克・相乗・相侮などの概念によって五臓相互の関係を説明しているわけである。 

 医学領域における表現形式として五行理論を巧みに利用している点に留意すべきで、このような中国古代人のプラグマチズム的精神を体現した融通性は高く評価すべきであろう。
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posted by ヒゲ薬剤師 at 07:04| 山口 ☁| 中医漢方薬学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月02日

中医学と日本漢方の接点とは

1990年発行の「中医臨床」誌通刊42号(東洋学術出版社)に発表論文

中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤
                       村田恭介

 中医学の特徴の一つに、手許に十分な中草薬が無い場合でも、弁証論治に基づいた代替品を利用することで、一定レベルの治療効果を確保することを可能にする融通性がある、と私は思っている。例えば、天麻が手許に無い場合、肝風内動による痙攣や震えには釣藤鈎、白僵蚕等で代用し、肝陽上亢から生じた眩暈、頭痛等では代赭石、石決明等で代替する、といった類である。
  数ある中医学の特徴の中で、このことは一見些末なことのように思えるが、限りある天然資源のことを思うと、日頃から代替品の研究と応用は身つにけておく必要があると思う。そして、その一つの代替の方法として、エキス剤等の既成品を利用して多くの疾患に対処することは、一定レベルの治療効果を確保できるものであるなら、服用者の便利さと共に、仕事上の能率の点からも好ましいものであろう。

             基本方剤の模倣

 例えば一つの問題として、中医学における基本方剤を日本で製造されているエキス剤等の既成品だけで代用することは不可能なものであろうか。
 血府逐お湯を使用したい時に、四逆散料合折衝飲各エキス合方で、地黄、桔梗に不足はあるものの、一応の基本的な効果は十分期待出来るようである。一般的にも既に広く行われている気虚血お証に補中益気湯合桂枝茯苓湯各エキス合方などは、時には補陽還五湯の代用品として通用出来なくもない。桃紅四物湯などは、桂枝茯苓丸料合四物湯各エキス合方。天麻鈎藤飲は、釣藤散料合黄連解毒湯合六味丸料各エキス合方。独活寄生湯は、疏経活血湯エキスと海馬補腎丸との合方。
 一部は牽強府会に過ぎる感はあるにせよ、弁証論治の基本から大きく外れなければ、代替品としての利用価値は計り知れない。

           「異病同治」について

 日本の古方派について、中医学派が多少とも注目に値する点があるとしたら、基本方剤をあまり手を加えずに徹底的に応用しようとする精神であろう。基礎理論の点で多くの問題があるにせよ、一つの基本的な方剤を大切にする精神は、ともすれば実際の臨床時において基本方剤の考察を忘れがちな者には、よい警鐘となるかも知れない。
 例えば、少しは経験を積んだ古方派にとっては、桂枝茯苓丸料エキス単方のみによって、一人の女性患者に合併する気管支喘息、頭痛、吹き出物、乗り物酔いを同時に治癒或いは軽快させる類のことは、それほど珍しいことではない。同じように、柴胡桂枝湯エキス単方によって小児喘息、夜尿症、自家中毒を同時に治癒或いは軽快させることなどは比較的多いものである。

 更に、古方派の行う経方単方による難治性疾患に対する治療例については、十分注目に値すると思われる。古方派の投与した方剤がどうして著効を奏したか、中医学的にはどのように解釈、説明が成り立つものか。この作業は、これからの日本の中医学派の行わなければならない課題であると同時にまた義務であると思われる。
 私自身の課題としても、過去に経験したことでありながら、桂枝茯苓丸料による気管支喘息等の多種合併する症候が治癒したメカニズムを中医学的に十分解明する能力を持てるようにならなければ、過去、古方派であった経験を活かすことが出来ないと思っている。

 ところで、敢えて極論させて頂ければ、中医学は「同病異治」の医学であり、古方派漢方は「異病同治」の世界であると言えると思う。従って、中医学は、《金匱要略》の世界を発展させたものであり、古方派漢方は《傷寒論》の世界を日本人独自の方法で発展させ、或いは踏襲したものと言えると思う。
 中国における傷寒論の研究は、過去の日本における研究人を遥かに上回る多数の人々による成果が堆積している筈であるが、一体、「異病同治」に対する研究は十分なされて来たと言えるのであろうか?

 張仲景は《傷寒論》において、外感疾患の伝変法則を検討する形式を取りながら、〈臓腑経絡を綱領として病機分析を進める方法〉の道を開き、世に知らしめた。一方、《金匱要略》においては、《傷寒論》と同様に臓腑の生理病理を根拠としてはいるが、病の種類別に病機を検討する構成をとっている。従って、《金匱要略》においては、《傷寒論》では存在しなかった「病名分類」が重要な位置を占めている。
 かくして、仲景は《傷寒論》を経とし、《金匱要略》を緯として、二書を縦横に連繋させ、以後の医学界に道標となる模範を示した。
 ところが、金元時代から学科の分化が始まって以後、病名別に病理を探求する方式が中心となり、《金匱要略》を基礎とした「同病異治」の理論研究が主体となったまま現在に至り、そして、それが中医学の基本的な特徴とさえなった観を呈しているようだ。

 つまりは、〈それぞれ異なった病機に同一の症状が出現する〉ことに対する治療方法の研究が、現在に至っても中心的な研究対象となっている現実は否定出来ない。
 反面、〈同一の病機においても多種類の症状が現われる〉ものであるが、この「異病同治」に直結する明確な概念の追及は明らかに遅れを取っている。仲景が示した模範を十分に発展させて来たとは言い難く、片手落ちの発展方向にあった過去から現在までの状況を認めざるを得ない。

        中医学と日本漢方の接点

 翻って、基礎理論が乏しいと言われる日本漢方ではあっても、日本漢方なりの独自の《傷寒論》研究により、〈「異病同治」こそ臨床的な現実である〉とした実践が多く行われて来た事実を認識する必要がある。たとえ、それが中医学の基礎理論なしに行われ、東洋医学からは異端なものであるにせよ。

 「異病同治」の基本概念は、当然のことながら《傷寒論》が鍵を握っている訳であるが、かくして日本古方派の《傷寒論》に対する精神と臨床実践は、この分野に対する有益なヒントを与えるものとなろう。日本の古方派の難治性疾患に対する著効例を、中医学的に詳細に解説できるようになれば、自ずから「異病同治」に対する概念の追及に大きな示唆を与えるに違いない。

 但し、この作業はお互いの派の協力が必要となるだけに、多くの困難が予測されるが、将来、必ずや行わなければならないことである。その気にさえなれば中医学理論に明るい者にとっては、それほど困難な作業とは決して思えない。
 中医学を更に発達させる素材が、この日本国内の足下にころがっていることを認識してほしいと思うのである。

        中医学の一部であるべき日本漢方

 ここで特に指摘しておきたいことは、日本の漢方も中国の伝統医学の一部でなければならず、従って日本の漢方は中医学の中に包括されるべきものである、ということである。さもなければ、日本の伝統医学は東洋医学における異端児のまま、更には現実に見られるように西洋医学化という邪道に陥り、いよいよ本質を忘れた似非東洋医学に堕するばかりとなろう。
 日本の漢方も本来あるべき中医学の一部として、中医学の基礎理論を持つべきであり、上記に述べた中医学における「異病同治」の概念を深く追及する足掛かりとする為にも、是非とも必要なことのように思われる。

         「異病同治」を追及する意義

 「異病同治」の概念を明確にして行くことの意義は、「病機体系」を発展的に整理し、中医学的な病名を特定できないような複雑な難治性疾患の克服に、多くの解決の糸口を与えるであろうという点にある。卑近な例では、天麻鈎藤飲加味方によって、一般の本態性高血圧患者ばかりでなく、透析治療寸前の患者の経過を好転させ、あらゆる漢方治療に抵抗を示していたB型肝炎患者を全治に近い状態にまで好転させている最近の私の経験は、この「異病同治」の実践に他ならない。
 また、現在のエキス剤等の既製品については、方剤の種類に不足があるとはいえ、応用範囲が更に拡大されることにもなり、煎薬投与の必要性を多くの点で緩和して呉れることにもなろう。
 更には重大な岐路に立つ日本漢方に、本来あるべき中医学の一部としての基礎理論を付与することになり、東洋医学としての名に恥じない新たな日本漢方として蘇生することにもなろう。

             むすび

 古方派から中医学に鞍替えしてしまった転向組の私には、古方派の欠点も長所も、共によく見えているつもりである。そこで、本音を言わせて戴けば、現状のままでは、日本漢方は基礎理論が乏し過ぎるし、東洋医学と言えるような学問的な論理性も発展性も乏しく、閉塞状態に近い存在であると思っている。と言っても、これまで述べてきたように、長所が全く無い訳ではない。

 ところで、本論で指摘したように、中医学の長い歴史において、不思議におろそかにされてきたと思われる「異病同治」に対する詳細な研究、せっかく仲景が模範を示した《傷寒論》の基本理念である〈臓腑経絡を綱領として病機分析を進める方法〉を基礎として病理の研究を行い、未整理のままの「病機体系」を確立させようとはして来なかった現実。この点については、実は「中医病機治法学」(四川科学技術出版社発行)の総論において、「病機の分析において存在する三つの問題」の中の第二番目の問題として指摘されており、これらの問題定義から生まれた書物が陳潮祖先生の大著「中医病機治法学」なのである。

 従って、拙論の論旨の一部はこの大著の学習に負うものもあるが、管見からすると、更に深く追及し完璧を期す為には、日本の古方派の思想の中にヒントが隠されていると思うのである。
 古方派の行う臨床例の中医学的な解読を行うことが出来なければ、中医学もまだまだ不完全なものと言わざるを得ないことになろう。
 逆に、このことが可能なものであるなら、「異病同治」の概念を更に明確化することに繋がり、「中医病機体系」を更に充実させる為の一つの足掛かりとなるに違いない。

 同時に、経方が中心となっているエキス剤にも応用範囲が更に拡がり、エキス剤が中医学と日本漢方の接点となることも指摘したかったのである。 かくして、東洋医学の基礎概念の欠落が顕著な日本漢方の主流である古方派漢方も、本来あるべき中医学の一部として、真の東洋医学の位置へ復帰することが出来ると思うのである。
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2018年10月25日

藿香正気散合猪苓湯について

藿香正気散合猪苓湯の応用
          村田恭介

 ●湿温初期に適応する三仁湯や藿朴夏苓湯をエキス剤で代用するには?

 梅雨から夏にかけて発病しやすい「湿温」に対する代表方剤、三仁湯や藿朴夏苓湯をエキス剤で代用する方法についての情報である。

 三仁湯は湿温初期に対する代表方剤であるが、類似方剤として「藿朴夏苓湯」も忘れてはならない。三仁湯と同様に上焦湿熱に対する治療方剤でもある。両者ともに湿遏衛陽証、あるいは湿鬱肌表証、または湿遏衛気証、あるいは湿熱鬱遏肌表証であり、適応証の違いは藿朴夏苓湯は表湿症状が顕著で化熱症状が弱く、三仁湯は表湿症状とともに化熱症状が明らかで、体内に強い熱感がありながらも体表に触れると熱感はない。

 両者は、湿熱の邪気が上焦を侵襲し、上焦肺衛を鬱阻するとともに中焦・下焦に瀰蔓し、表裏ともに鬱阻して表裏同病を呈したものである。

 本証は梅雨や夏から初秋にかけて発病しやすく、病変過程は比較的緩慢でしつこく、いつまでも持続し「風邪と夏バテが重なったようで、病院治療や薬局の薬を利用しても、いつまでもスッキリしない」といって漢方薬を求めて来局する人の中に適応が多い。

 煎薬を好まない人には、藿香正気散エキスに滑石茯苓湯(猪苓湯エキス)を合方し、さらに薏苡仁エキスを加えれば、かなり代用できるものである。
 とりわけ藿朴夏苓湯の代用方剤としてはピッタリのようで、猪苓湯中の阿膠は滋膩の薬味で一見マイナスのように見えるが、芳香辛散の薬味による肺陰損傷や湿熱傷陰の防止として却って好都合なのである。

 本命の三仁湯の代用とする場合には、藿香正気散をやや少量とし、猪苓湯と薏苡仁各エキスをやや多目にするとかなり代用可能である。

三仁湯(杏仁・白豆蔲・薏苡仁・厚朴・半夏・通草・滑石・竹葉)湿熱邪留気分(湿勝熱微)に対する清熱除湿・芳化淡滲法を体現した方剤。

藿朴夏苓湯(藿香・淡豆鼓・白豆蔲・厚朴・半夏・杏仁・茯苓・猪苓・沢瀉・生薏苡仁)湿温による湿阻中焦(湿勝熱微)に対する燥湿芳化・上宣下滲法を体現した方剤。

●藿香正気散合猪苓湯の応用

 猪苓湯は、肺・脾・腎・肝四臓の補益とともに滋陰利水の効能を持ち、膜腠区域の水分代謝の異常に対し、一定の調整作用を発揮することが出来る。このような猪苓湯に、芳香化湿・昇清降濁の藿香正気散を加えると、様々な湿阻三焦の病変に対処することが可能になる。とりわけ、煎薬を嫌ってエキス製剤で対処せざるを得ない場合に、各種の加減正気散の代用として有用であり、藿香正気散に猪苓湯を加えるか加えないかの工夫で、かなり対処できる。つまり、一・二・三の加減正気散証では湿熱傾向がみられ、四・五の加減正気散証では寒湿傾向がみられるので、前者には藿香正気散に猪苓湯を加えて代用し、後者には藿香正気散のみで対処する訳である。

 藿香正気散合猪苓湯は、エキス製剤で簡単に作れ、梅雨期や夏期に特有な各種疾患、とりわけ「寝冷え」が原因で発症する各種の疾患に大変有用であるので、応用・工夫されたい。

 蛇足ながら、例年も梅雨から盛夏にかけて、藿香正気散が主体となる急性疾患が多い。併用方剤としては猪苓湯や銀翹散は勿論、西洋人参・生脉散・麦門冬湯・五苓散などを併用する機会もある。

参考文献:陳潮祖著「中医病機治法学」より、藿香正気散の加減方の五種を引用させて頂く

〔1〕一加減正気散(《温病条弁》)

 【組成】 藿香梗六g 厚朴九g 陳皮三g 茯苓皮六g 杏仁六g 神麹五g 麦芽五g 綿茵蔯六g 大腹皮三g
 【用法】 水煎して三回に分け、微温で服用。(原方は分量が少ないので、二倍に増量してもよい。)
 【病機】 三焦湿鬱・昇降失調。
 【治法】 芳化淡滲・疏利気機。
 【適応証】 三焦の湿鬱によって昇降が失調したために、胃📠部から腹部に連なって脹り、大便がスッキリと排出できないもの。

〔2〕二加減正気散(《温病条弁》)

 【組成】 藿香梗九g 厚朴六g 広皮〔柑皮(広陳皮)〕六g 茯苓皮九g 防已九g 薏苡仁一〇g 大豆黄巻六g 通草五g
 【用法】 水煎して服用。
 【病機】 湿鬱三焦・痺阻経絡。
 【治法】 除湿宣痺・芳化淡滲。
 【適応証】 湿邪が三焦で鬱滞したために、脘悶〔胃📠部が苦しい〕・泥状便・身体の疼痛・舌苔は白・脉象が曖昧模糊としているなど。

〔3〕三加減正気散(《温病条弁》)

 【組成】 藿香九g 厚朴九g 陳皮六g茯苓皮九g 杏仁九g 滑石一五g
 【用法】 水煎して服用。
 【病機】 気機不宣・湿鬱三焦。
 【治法】 理気化湿・兼以泄熱〔理気化湿とともに泄熱を併用〕。
 【適応証】 穢湿〔湿濁〕が裏に着し、舌苔が黄で📠悶し、気機が不宣で、遷延すると熱を醸すもの。

〔4〕四加減正気散(《温病条弁》)

 【組成】 藿香九g 厚朴六g 陳皮六g茯苓九g 草果三g 山梔子一五g 神麹六g
 【用法】 水煎して服用。
 【病機】 寒湿阻于気分〔寒湿が気分を阻碍〕。
 【治法】 温化湿濁。
 【適応証】 穢湿が裏に着し、邪が気分を阻碍し、舌苔は白滑・脉は右が緩など。

〔5〕五加減正気散(《温病条弁》)

 【組成】 藿香六g 厚朴六g  陳皮六g 茯苓九g 蒼朮六g 大腹皮六g 穀芽三g
 【用法】 水煎して服用。
 【病機】 寒湿阻中〔寒湿が中焦を阻碍〕。
 【治法】 運脾燥湿。
 【適応証】 穢湿が裏に着し、脘悶・便泄〔下痢〕など。
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2018年10月24日

陰虚による舌炎・口内炎

 陰虚による舌炎・口内炎について

 麦門冬湯で有効であったべーチェットによるものも含めた口内炎や舌炎に、数例ではあるが同一の病人に対し、心・肺・腎に帰経して胃には帰経しないことになっている「西洋人参」を用いて比較実験してもらったことがある。結果は全例に有効で、べーチェット患者の場合では麦門冬湯以上に効果的であった。
 実験例が少数であるから速断は出来ないが、このことからすると、実際には西洋人参は胃にも帰経している可能性があり、さらには多少とも五臓の陰の大元締である腎陰をストレートに滋補出来る分、麦門冬湯よりも効果的なこともあり得るのかも知れない。

 陰虚が原因で引き起こされた舌炎・口内炎では、「腎陰虚」によるものがあり、また他臓の陰虚との併存によって誘発している場合もあるので、六味丸や麦味腎気丸・知柏腎気丸などが適応したり、あるいは麦門冬湯などと併用しなければならないこともある。

 方剤の選定時には、当然、主訴の舌炎や口内炎とともに一連の症候に基づいて弁証するが、経験上は舌証に陰虚の徴候が認められ、同時に腎陰虚の症候が認められる場合でも、胃弱を訴える者には腎陰虚に対する方剤は使用せず、西洋人参や麦門冬湯加西洋人参で様子を見ることにしているが、胃を傷害することなく効果的で無難という印象である。

 また、気陰両虚・心火旺盛で胃弱の口内炎には清心蓮子飲が良いが、漠然と陰虚証があって胃腸虚弱という場合は、脾陰虚の虚火上炎による参苓白朮散証などのことがある。舌が胖大である筈だから比較的鑑別しやすいようであって、現実には麦門冬湯証や清心蓮子飲証と紛らわしい。但し、筆者の経験では本証の口内炎は少数であった。

 舌炎・口内炎は五臓のいずれの陰虚でも虚火上炎によって発生し得るので、どの臓の陰虚が原因であるのか正確に弁証して適切な方剤を用いるべきである。もしも特定するのが困難であったり胃弱傾向がある者では、麦門冬湯や西洋人参あるいは麦門冬湯加西洋人参、ときには清心蓮子飲などで対処した方が無難であり、かつ有効であると思っている。

 また、胃弱の問題はなく、明らかに腎陰虚が併存している場合は、訳者は好んで麦味腎気丸の製剤を用いて麦門冬湯と併用したことが多く、幸いにいずれもかなりな即効を得ている。

 但し、陰虚による舌炎・口内炎と思われても、陰虚の誘発原因となった胃熱や気鬱化火あるいは五志過極などによる実火が残存していたり、別の原因による実火が併存している場合は、虚火と実火が互結している可能性が強いので、石膏類や黄連解毒湯・竜胆瀉肝湯など適量の清熱瀉火を併用すべきである。
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ラベル:舌炎 口内炎
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2018年10月23日

●日本で常用される「風痰上擾」に対する治療方剤について

 ●日本で常用される「風痰上擾」の治療方剤『半夏白朮天麻湯』『釣藤散』について
          村田漢方堂薬局 村田恭介

 半夏白朮天麻湯や釣藤散あるいは導痰湯や滌痰湯が適応する「風痰上擾」は、脾不運湿によって湿聚生痰し、痰濁が少陽三焦を阻滞し膜原を障害して肝風内動を誘発し、一方では脾虚不運によって肝陰を滋補できないために肝陽が遊離して肝風を生じ、少陽三焦を通路として肝風が痰濁を伴って上擾するものである。

 脾胃論の半夏白朮天麻湯は、同名の方剤半夏白朮天麻湯(《医学心悟》【組成】 製半夏 陳皮 茯苓 甘草 白朮 天麻)に比べて薬味がかなり多く、日本で常用され、製剤化されたエキス製品も各種販売されている。補気健脾・淡滲利水・化痰熄風の効能があり、脾虚湿困・湿聚生痰・痰濁内阻・肝風内動・風痰上擾の病機に適応する。実際の臨床では、めまい・頭重・悪心・嘔吐のみならず、頑固な浮腫に、あるいは下痢や軟便傾向があり軽度の膵炎や潜在的に膵臓が弱っていると思われる者にも有効である。

 釣藤散は日本では特に常用される化痰熄風の方剤であり、平肝清熱・補気健脾の効能を併せ持ち、脾虚肝旺・痰濁上擾・肝陽化風および化火の病機に適応する。但し、風痰による痰濁上擾が顕著であれば半夏白朮天麻湯を、肝陽化風の原因として明らかな肝陰虚が認められれば杞菊地黄丸を、肝陽化火が顕著であれば黄連解毒湯などを併用する必要がある。このような二〜三方剤を併用すべきものに、高血圧症や俗に言うメニエール氏症候群などがあり、脳血管障害の前兆の場合もあるので牛黄(ゴオウ)の併用も考える。血瘀の兆候がわずかでもみられれば、慎重に適量の『生薬製剤二号方』を併用する。

 風痰証が遷延すると風痰証が残存したまま痰瘀互結証に発展することが多く、脳血管障害の後遺症によくみられる。それゆえ、エキス剤を利用する場合は適宜ウチダの『生薬製剤二号方』を用い、あるいは牛黄製剤なども併用するとよい。牛黄には強力な熄風清熱および開竅と豁痰の作用もある。

 但し、釣藤散証のように肝陽偏亢や肝陽化火の傾向がある場合は、血瘀の徴候がみられても単独で『生薬製剤二号方』を用いてはならず、併用する場合においても過量であってはならない。もしも単独で使用したり併用量が過剰であると肝陽偏亢を助長したり、あるいは肝火を盛んにし、却って逆効果となる場合があるので、杞菊地黄丸などの滋陰剤や黄連解毒湯などを併用するなどして、配合バランスを十分配慮して投与すべきである。
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2018年10月21日

少陽三焦の組織構造のイメージ

少陽三焦の組織構造私見
(実体が無いと言われる少陽三焦の組織構造モデル!)


 以下は陳潮祖先生の多くの著作類「中医病機治法学」「中医治法与方剤 第三版」などをヒントにしつつ、あくまで村田恭介が平成五年に勝手にイメージした「少陽三焦」の立体構造モデルである。臨床に直結したあらゆる中医学理論を検討する時に大変重宝しているので、当時の愚見として参考に供したい。

 手の少陽三焦は、身体の外殻の裏で臓腑の外にある 膜腠(膜原と腠理)部分である。膜腠は、外は肌表に通じ内は臓腑に連絡し、上は巓頂から下は足に至り、五臓六腑・表裏上下すべてが三焦と連絡し、津気が昇降出入する区域である。

 膜原とは臓腑や各器官・肌肉の組織間などを膜状に包み込む膜組織(細胞状の無数の管道となっている)であり、腠理とは膜(膜状の膜組織)外の間隙である。

 肝は筋膜を主り、筋は膜が円形に管道を形成した集合体であり、管道中を営血が流通し、管道外の間隙を津気が流通する。膜は肝が主る筋の延長で、常に陰液による濡養を必要とする。

 あらゆる臓腑や経絡・諸器官(気管・血管・卵管・尿管など)の実質は、膜が円形に管道を形成した無数の集合体である筋膜で構成され、精気血津液という五種の基礎物質が運行出入する通路となっている。つまり、筋膜組織内の管道中を営血が流通し、管道外の間隙を津気が流通するのである。

 また臓腑の外壁や腑の内壁および血管・気管・胆管などの外壁と管の内壁は、津気が運行する通路である三焦の膜腠に被(おお)われている。

 注意すべきことは、臓腑・経絡・諸器官を構成する筋膜組織中の無数の管道それぞれの間隙は、津気が出入する通路となっているので、実際には臓腑・経絡・各器官の組織中にも少陽三焦の通路が存在するのである。それゆえ、「少陽三焦の膜腠はあらゆるところに存在する」といわれるのであり、このことは「少陽三焦は臓腑の外」とされることに一見矛盾するようにみえるが、三焦の気機が昇降する区域を述べたものと理解すれば、矛盾はない。

 なお、筋膜に多少とも病変が生じれば直ぐに基礎物質の正常な運行が障害されるのは、肝の疏泄機能が肝の主る筋膜と密接に関係しているからである。

 このような少陽三焦の組織構造の実体をよく理解しておけば、たとえば「腠理に停滞した痰が膜原を傷害したために内風を生じる」とあるように、痰が膜原を傷害するとどうして内風を生じてしまうのかという意味を理解する場合に、膜原は肝が主る筋膜に属していることを認識していれば、「肝は風を主る」ことからすぐに納得できるはずである。
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ラベル:少陽三焦
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2018年10月16日

「証」と「症」について

 本拙論は、『和漢薬』誌に陳潮祖著『中医病機治法学』の訳注連載の初め頃に考察した問題だったと思う。
中医学および漢方医学上の「証」と「症」の問題点について

                                  村田漢方堂薬局 村田恭介著

 現代の中国で出版される中国語による中医学書類においては「証」と「症」を混用したものばかりでなく、「症」の字は一切使われず、「証」の字のみで統一されている書籍がかなり多い。筆者の最も愛読する陳潮祖先生の「中医病機治法学」もこの後者のタイプの原書に属し、現在もこのタイプの書籍は個人の著作によるハイレベルな内容のものに多い。

 これらによると一般的な日本における西洋医学用語の「症状」は「証状」や「証候」に該当し、「症候」は「証候」に該当する。

 このため、「証候」の意味には、

 @ 西洋医学用語の「症候」や「症状」と同義の場合。

 A いくつかの症状が複合して一つの病態(病証)を形成したときに使われる「証=証候」の場合(例えば気虚証・腎陰虚証・肝気鬱結証などで、つまり陳潮祖先生の言われる「病機」のことである)。

 の二通りの意味合いがある。

 したがって、それらの中医学原書においては、その著者の流儀により、あるいは前後の文章の意味合いから一々見分けて判断しなければならない。

 たとえば陳潮祖先生の《中医病機治法学》(四川科学技術出版社 1988年発行)の原文では「証」「証状」「証象」「証候」のみで、「症」の字はまったく使用されず「証」の字ですべて統一されている。

 そして原文中の「証」や「証候」については前項で述べた前者@の意味あいのことが多く、つまり日本語の「症」や「症候」に該当し、後者Aの意味で使用されることは比較的少ない。後者Aの意味に対する用語は、本書の題名である「中医病機治法学」が示す通り、主には内経を土台とした「病機」という表現をとられているのである。

中国における最近の傾向

 ところで、昨今の中医学書の中には「証」と「症」の字を厳密に使いわけている書籍も増えてきており、一九九一年五月に東洋学術出版社から翻訳出版された焦樹徳著「症例から学ぶ中医弁証論治」(生島忍訳){原書の初版は一九八二年}において、焦樹徳先生はこの点について次のようにしっかりとした見解を示されている。
ある学者は、症の字と証の字は互いに通用できると提唱している。その根拠は古代には症の字は存在せず、証の字だけが使われていたのだから区別する必要はないとしている。このように、ただ単に一つの文字だけに限って考証して断定するのは正しいことであり、私も同感である。しかし物事は絶えず発展しており、古代に使われなかった文字が現代は存在するのである。そして現在、症の字は習慣的に症状の意味で用いられている。それゆえ、私は、医学の領域で証・症・病に明確な意味づけができ、それが次第に共通の認識となれば、疾病の観察と研究、医学の理論的探求にとって有利であろうと考える。そこで証・症・病について私の考え方を述べ、参考に供したい。・・・・・・・・
 とされ、「症」と「証」の使い方を厳密に区別する必要性を論じられており、未だに多くの中医学原書に採用されている「症」の字と「証」の字を混用したり、「症」の字の存在を無視した方法を改め、中医学の将来のために、厳密な区別を行った使い方を訴えられているものと拝察される。

 ところで、中国の名医、故・秦伯未先生は「中医臨証備要」(人民衛生出版社 初版1963年)中において、
「證」「証」「症」は実際には同一字で同一の意味であり、正しくは「證」、簡略化すると「証」、俗に「症」と書かれる。「証は証候を指し、症は症状を指す」との説があるが、この区別に根拠はない。このような区別をはじめだすと、古い時代の文献を調べるときに錯覚を生じることになろう。
 と警告されていることも忘れてはならないのだが、今後の中医学の発展を考えるとき、焦先生の御見解には強い説得力を感じた次第である。

  中医学教科書での定義

 既に中国国内の教科書類によると、「症」と「証」をきっぱりと使いわけている。例えば「中医診断学」{上海科学技術出版社 初版1984年}によると、
 「症状」と「証候」は全く異なった概念である。「証候」は単に「証」とも呼ばれ、疾病の病因・病機(病理機序)・病位・症状・舌診および脉診所見を総合的に概括したものである。表実証・陰虚証などとして表わされ、この証候とは疾病の本質を意味し、疾病の診断結果なのである。
 とされており、その他の書籍でも四川科学技術出版社の「中医診断学」では、

 「証」と「症」の概念は異なる。「証」は「証候」を指し、疾病の一定の病理段階における病因・病位・病性および邪正の力関係の病理的概括である。一方、「症」は「症状」を指し、疾病が外面的に反映した頭痛・発熱・咳嗽などの一つ一つの徴候である。

 賈何先・王輝武著「提高中医療效的方法」(重慶大学出版社 初版1986年発行)には、
「証」は「証候」を指し、病因・病位・病性・病勢・臨床症状・診断と治療の方向などを概括したものである。
 とあり、陳潮祖先生自らも『中医病機治法学』中の《第三章・治療原則と治療の大法》中の治病求本のところで「疾病の本質というのは病機のことで、昔の書籍では証と言っている」と述べられている通り、「証候」とはまさしく陳潮祖先生がメインテ−マとされる「病機」そのものなのである。

 ところで、一般の中医学の原書においては、症・証・症状・証状・証候はあっても、「症候」という用語は、私が知る限りにおいては殆ど見当らないもので、中国語の辞書にはあっても、実際には滅多に使用されない用語であるらしい。「症」と「証」をはっきり区別して使用されている中医学原書においても、日本語の「症候」も「症状」もすべて「症状」や「症」としてのみ表現されているように思われる。

 蛇足ながら、痺証・淋証・血証などの病名については、病機(証候)を構成する要素の特徴的な共通部分を概括し「証」の字を使って名付けられた概括的な病証名であり、閉証・脱証などの一種の症候名については、疾病に伴う特殊な状況の病機(証候)に対する概括的な証候名である。 

日本語訳における「症候」という訳語について

 さて、「症候」という言葉は、中医学用語の中に適用させるには中途半端でどっちつかずではあるが、方便としては大変便利である。ところが、一般の中医学の原書においては、症・証・症状・証状・証候はあっても、「症候」という用語は、私が知る限りにおいては殆ど見当らないもので、中国語の辞書にはあっても、実際には滅多に使用されない用語であるらしい。「症」と「証」をはっきり区別して使用されている中医学原書においても、日本語の「症候」も「症状」もすべて「症状」や「症」としてのみ表現されているように思われる。

 日本語の「症候」は、中国においては「症徴」や「症状と体徴」などと表現されており、これらの意味そのものを示す時も「証候」と表現される論者も多いようである。

まとめにかえて

   中医学における「証候」の意味(漢方専門の用語「証」の中から引用)
 従来の中医学における「証候」の意味を検討してみると、以下の六種類のようである。
 @ 「証」のこと。つまり、疾病過程におけるその時点の一連の症候にもとづいて把握される病理的概括(疾病の本質)である。
 したがって「弁証」というときの「証」にしても、「病証」と表現される用語における「証」にしても、証候名すなわち証名や証型の意味である。
 たとえば、葛根湯証、桂枝湯証というとき、あるいは営衛不和証・太陽表虚証・表寒表虚証・風寒表証などと表現するとき、いずれも同様に「疾病過程におけるその時点の一連の症候にもとづいて把握される病理的概括(疾病の本質)」ということであり、これを成都中医学院の陳潮祖教授は「病機」としている。
 A 上記@のような、桂枝湯証や営衛不和証と表現される根拠となった症候のこと。つまり、その証の確定根拠となる一連の症候のこと。言い換えると「某証と確定するのに不可欠な一連の症候」のことを指して「証候」と表現されるものである。
 B 一般的な日本で言う「症候」のこと。中医学専門書籍類には不思議なことに「症候」という熟語はほぼ皆無に等しいが、ちょうど日本語の一般的な意味での「症候」を表現するもので、自・他覚症状を一括した意味である。つまり、中国語の「症徴」や「症状と体徴」などと表現されるときの意味と同義語として「証候」と表現されることも多い。
 C 「証候」の意味として、上記の@とAのどちらの意味にとっても間違いではないというどっちつかずの表現で「証候」がよく使われるが、意味としてはどちらに取ろうが、両者を兼ねようが、大きな誤読を誘うような問題は決して生じない。
 D それゆえCの最後の@Aの両者を兼ね、二つの意味をそのまま包括した二重の意味として「証候」が使われていることも多い。
 E病状が進展し、伝変する趨勢を示唆する意味としての「証候」。
 など、表現される前後の文意によってかなり可変的な用語なのである。

 また、 「証」についても「証候」の意味の中で@Aの意味と全く同様であるばかりでなく、Bも同様であり、CとDの二重性をはらんで使用されてきたことは全く同じで、従って「証」も「証候」ほぼ同じものであり、証候の省略形が「証」と考えても間違いではないのである。
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2018年10月15日

構造主義的中医漢方薬学

10年以上前に、偶感的にHPのために書いたような記憶がある拙論。
構造主義的「中医漢方薬学」論
 
         村田漢方堂薬局 村田恭介著

 中医学における五臓間の整体関係については、五臓の組織構造は連繋して一体化し、機能活動は相互に協調しあっているので、五臓を関連づけて分析し、整体関係に注意してはじめて、症状に対する認識を見誤ることなく有効な施治を行うことができる。それゆえ他臓の疾病に対する脾胃の論治や、脾胃の疾病に対する他臓の論治など、実際の臨床では日常茶飯事である。

 このような五臓間の整体関係を重視する中医学は、スイスの言語学者ソシュールを先駆とする「構造論」的な分析が可能である。つまり、言語の様相を体系的にとらえ、各言語間の機能的連関を明らかにして言語の法則を追求する「構造言語学」を主要なモデルとする科学的な分析方法、すなわち「構造主義」を立脚点とし、中医学の検証とともに実践的な発展方向の追究が行えるのである。

 たとえば、個々の既成方剤が適応する症候の構造分析による「病機と治法」の再検討−依法釈方−、個々の既成方剤の配合薬物の構造分析による「病機と治法」の再検討−依薬釈方−など、その他にも構造論的に分析検討すべき領域が余りにも多いので、ここでは序論的な部分のみを述べておきたい。

 フランスの高名な精神科医ジャック・ラカンは、ソシュールの言語学をモデルとして、「無意識は言語のように構造化されている」という命題を出発点としたが、

「生体内の生命活動も言語のように構造化されている」と言える。

 それゆえ、五臓相関の「陰陽五行学説」は構造主義的な科学理論であると言えるのである。そこで、中医学から見た人体の基本構造は「五行相関にもとづく五臓を項とした五角形」であり、病態認識の基礎理論となるべき構造法則は「陰陽五行学説」にほかならない。

 この陰陽五行学説にもとづく「中医学理論」こそは、よりハイレベルな構造法則を求めて常に発展し続けていく必要がある。今後の課題としては、ミクロ的な部分で優れた視野を持つ西洋医学の成果を、中医学の欠を補うべく、どのような形で吸収すればよいのか、という大きな問題が残されていよう。

 とは言え、少なくとも『医学領域における「科学」としての中医学』と合わせて検討して頂ければ、近い将来にも中医学や中医漢方薬学が「構造主義的中医漢方薬学」として認知され、マクロ的には非科学的ではあるがミクロ的な部分で優れている西洋医学をより有効に活用すべく、中医学に吸収合併する形で結合すべき事態の必然性と必要性が見えて来るはずである。

 けだし、フランスのミッシェル・フーコーの著作『臨床医学の誕生』(みすず書房)やロラン・バルトの『記号学と医学』(みすず書房「記号学の冒険」中の論文)で行われた西洋医学に対する構造分析は、極めて示唆に富むものではあるが、整体観の欠如した西洋医学が対象であっただけに、不満足な成果しか得られていないように思われる。

 たとえば、ロラン・バルトが『記号学と医学』の中で、

「徴候学(セミオロジー)と名のついた書物を見れば、医学的な記号学(セミオロジー)=徴候学(セミオロジー)のいくつかの原理を容易に引きだすことができるだろうと思っていた。ところが、そうした書物は、私に何も教えてはくれなかった」と述べているように。

 さらにはバルトもフーコーも、「病気を読み取るということは、病気に名前をつけることなのである」と指摘しているが、西洋医学的な病名=診断名を示すことで、果たして十分に「疾病の本質」が読み取られていることになるのだろうか。病名を提示できても、医学的な実践としての治療を満足に果たせない現実も多いことは、先述のバルトの落胆の言葉の裏返しに過ぎないように思われる。

 いっぽう中医学においては、病気を読み取るということは「病機を把握すること」であり、病機は徴候(一連の症候)にもとづいて把握され、病機を正確に把握できれば、治療方剤もおのずと決定され、治療効果も比較的高い。このように、中医学では医学的な実践としての治療が、病態認識に連動して行えるように体系化されているのである。

 ロラン・バルトは、一九七二年に発表した前述の『記号学と医学』において、

「今日の医学は、いまもなお本当に記号学的(セミオロジー的)=徴候学的(セミオロジー的)なものなのであろうか?」と、西洋医学への問いを残しているが、二十三年後の今日、飛躍的に高度化した西洋医学にとって、極めて意味深長である。

 それにしても、フーコーやバルトがさらに中医学をも対象として、記号学=徴候学(症候群 ≒ 一連の症候 = 証候 = 証)を研究していたなら、「中西医結合」の合理的な実現可能性のある理論を提示できていたことであろうにと、悔やまれるのである。

 構造主義であれポスト構造主義であれ、解釈学に終始して将来に向けての発展的な提言がなければ、価値も半減というものであろう。
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2018年10月13日

中医漢方薬学の理念とは

1995年にウチダ和漢薬発行の『和漢薬』誌500号記念に依頼されて書いた拙論

中医漢方薬学の理念

                     村田恭介
 ●中国の新刊書『日本漢方医学

 おとなり中医学の本場中国では、中医学関係の新刊書籍類が、ひところほどではないにせよ、毎月かなりな点数が発行され続けている。最近、中国中医薬出版社から発行された『日本漢方医学』という七百頁に近い大部の書物を入手したが、日本漢方に関する書籍は、ここ数年だけでも4〜5点を下らない。本書においても、日本の伝統医学としての漢方医学に対する中国側の関心のほどがうかがえるものの、日本漢方の歴史と伝統や最近の研究成果を掲載するばかりでなく、問題点についても見逃してはおらず、最終章「日本漢方医学発展の趨勢と現存する問題点」の文末の最後の二行において、次のように指摘している。
「村田恭介は日本漢方の将来として『中医漢方薬学』を声高に提唱しているのであるが、現在までのところ日本の漢方界では基礎理論の研究と運用をないがしろにしたまま、今日にまで至っている。」(この部分を最後に本書の全文が終了。翻訳は村田。)

 一九九四年三月に発行されたばかりの、この新刊書籍の最終末尾である最も結論的な部分で、筆者が六年来提唱し続けている「中医漢方薬学」が引用されており、わかる人には分かってもらえるものだと嬉しかったものの、「現在に至っても日本の漢方界では基礎理論の研究と運用が未だにないがしろにされたまま」であると結論づけられているだけに、些か複雑な思いでもある。つまり、村田の声高の提唱があっても今までのところ、ほとんど無効のようであるとの大きな嘆息が聞こえてくるからである。
 ところが実際のところ、昨今では日本の各地で中医学熱が高まっており、六年前に筆者が初めて「中医漢方薬学」を提唱した頃に比べて、まったく隔世の感がある。漢方系の多くの雑誌に掲載される記事など、とりわけメーカーサイドの機関紙などは、期待される方向に確実に進んでいるようである。K社の機関紙もI社の機関紙もM社の機関紙もしかりと言え、薬系の漢方こそは「中医漢方薬学」の実践が定着しつつあるように思われるのである。
 いっぽう、医系の漢方は薬系ほどではないらしい。その証拠に未だに中国側は、日本漢方界では基礎理論の吸収とその臨床応用がまったく不十分であると見ているように、中国側が主として情報源とされている日本の権威あるべき漢方関係の学会誌や機関誌が、そのような認識を持たれても致し方ないような記事が少なくないからである。

 ●中国の中医学界の動向

 翻って、本場中国の現況はどのようであろうか。本場には本場なりの問題を抱えているようで、季刊『中医臨床』誌(東洋学術出版社)の一九九四年九月号に掲載の編集部による「北京リポート」によれば、建国以来中医学をリードしてこられた第一世代の呂炳奎教授は、
「最近の経済情勢の混乱と西洋医学化現象には強く憂慮している。中医の特色を保持することを基本におかねばならない。それでなければ中医は必ず消滅する。発揚はその上に築かれるものだ」
 と、現在の中医学界に対する危惧の念の述懐があり、他の老中医も言い方はさまざまであるが、同様の発言であったといわれる。
 ただし、その中で印会河教授だけは異なった意見で、
「発揚に力を入れなければ、いつまでも二千年前のままである。これで現代社会に適応できるだろうか?」
 との疑念を表明し強調されたという。同教授の発揚重視の観点は、一九八〇年代に純粋中医派からの激しい批判を受け、その後は表立った発言はなかったものの、第二・第三世代の間では根強い人気を得ているとのことである。
 このような「継承と発揚」に内在する問題が、第一世代から第二世代へと指導権が委譲された現在、次第に顕在化しつつあるようで、『中医臨床』誌の編集部が取材した各機関の指導者たちである第二世代の発言には、多かれ少なかれ中医の現代化を強調する発言が目だち、医療従事者であるかぎり西洋医学の知識は最低限必要であり、難病患者が殺到する中医病院においては、中医だけで処理できるものではない、として西洋医学の長所を取り込まなければ、目の前の患者を救うことはできないとの見解から、瘀血があれば丹参、高血圧には羅布麻、リウマチには雷公藤、大葉性肺炎なら魚腥草など、中西医結合の薬理学的研究の成果が取り入れられているとのことである。これに対して編集部では、
「それがすなわち『現代化』であるという論理の短絡を招き、さては『弁病と弁証の結合』という論理に帰結してゆく。」
 とて、批判的な見解を述べている。
 重ねて言うまでもないことだが、建国以来の純粋中医学派の第一世代が、第二・第三世代による性急な西洋医学化運動に対して強烈な危惧の念を抱かれておられるのは、中医学そのものが消滅するのではないかとの危機感からである。

 ●継承と発揚のために

 よりよい生を求めて、ヘーゲルはカントを批判し、マルクスはヘーゲルを批判し、フランスのデリダやドゥルーズ、ボードリアールなどポスト・モダニストたちはマルクス主義を批判し、ポスト・モダニストたちの思想的源泉はニーチェ思想であり、そのニーチェはカントやヘーゲルを批判し、若い頃に心酔していたショウペンハウエルさえも批判した。(ニーチェは、西欧の形而上学は神や超越的な真理に逃避する負け犬や弱者の哲学であるとして根本的な批判を加えたことは周知の通りであるが、現代思想における近代最大の思想家とされるに至っている。竹田青嗣著『ニーチェ入門』を参照。)
 このように、その時代における社会的な現実認識の上から、前人の哲学・思想的業績に批判を加えることを通して、ヘーゲルもマルクスもニーチェも、ポスト・モダニストたちも、それ以前の思想や同時代の思想に批判を加えつつ独自の思想を構築してきたのであり、彼らそれぞれの思想は、彼らの暮らした時代の社会的現実の要請から必然的に生まれた業績であるといえるのである。
 批判が加えられたそれ以前の思想あるいは同時代の思想は、たとえその時代に最高の思想と信じられていたものであっても、やがては次の時代の社会的現実の要請にマッチした新たな思想が構築されるための踏台とされる宿命を担っていたのであり、同様に新たな時代の要請で生まれた新思想も、やがては同じ運命を辿る可能性を常に孕んでいる。
 このように、前人の業績は常に踏台として批判が加えられる宿命と必然性を担って推移してきた近代から現代に至る西洋思想の発展過程は、中医学の今後の継承と発揚の大いなるヒントを提供するものである。
 成都中医学院の陳潮祖教授が言われるように、中医学は哲学理論と医学理論が結合した科学的原理や法則であるだけに、時代の現実的な要請に応じた難治性疾患に対するハイレベルな治療効果を求めるなら、すでに公理とされているような原理や法則についての再検討と再確認を行いつつ、時代の要請にマッチした新たな理論や法則の可能性について、純粋中医学の領域内に留まらず、現代西洋医学・薬理学など、近縁する諸科学を動員して、絶えず追求模索する必要性と必然性が生じるのである。
 以前、本誌『和漢薬』四九八号掲載の拙訳「中医病機治法学(三十五)」のコメント中でも引用したことがあるが、『現代思想を読む事典』(講談社現代新書)の巻頭に今村仁司氏の次のような文章がある。
「特権的な思想の『語部たち』は、一方ではいやがうえにも古典的文献を崇め奉り、他方では現代・同時代の諸思想を上から見下したり、軽侮の念をもって無視したりしてきた。例えば、学者の卵たちが現代的諸思想の研究に志す場合、彼らは先生たちから叱られたものである。教育上、古典の研究から始める方が精神の発展のためにはきわめて生産的であるという理由から教師たちが現代ものに魅かれる弟子たちをいさめるのはまことに正当ではあるが、その限度を越えて現代的な思想はいっさいまかりならぬというに到っては病的というほかはない。この種の病的反応は現在でも至るところにみられる。現代思想へのアレルギーは、古典崇拝の看板に隠れて自分で思索することを放棄した精神の怠慢を押し隠すことにほかならない。こうした思想状況はそろそろ終りにしなくてはならない。」(赤字部分は引用者)
 前回の引用時においては上記の赤字部分をすべて「現代中医学」に置き換えることで、日本漢方界の五〜六年前までの状況にたとえてみたのであるが、今回はその同じ傍線部分をすべて「西洋医学」に置き換えてみると面白い。つまり、本場の中国でさえ、日本の漢方界と内容は微妙に異なってはいても、中医学界の新しい世代と伝統を守り続けてきた世代との相克が見られるのである。
 ここで再び面倒なことであるが、今度は引用文の傍線部分をすべて「現代中医学」に置き換えてみて欲しい。このようにすれば、少し前までの日本漢方界の状況がそのまま映し出されるわけである。ところが、現在の中国側から見れば、六年前から村田による「中医漢方薬学」の提唱もむなしく、日本の状況は基礎理論の研究と運用をないがしろにしたまま、現在に至ってもほとんど変化がないままである、と認識されていることは前述の『日本漢方医学』と題された中国書籍の結論部分を引用した通りである。
 哲学・思想界では、その時代の現実的な要請に応じて、常に前人や同時代人の業績が踏台として批判が加えられつつ、同時代にマッチした新たな思想が構築されてきており、その時代の社会的な現実認識の上で必然性があれば、ニーチェ思想のような復活を遂げる現象も見られるなどの経緯を観察していると、中医学の将来としての中西医結合の必然性や、日本漢方の「中医漢方薬学」の必然性が動かしがたいものとして見えて来る。

 ●進歩と発展のために批判的精神は不可欠

 中医学や漢方を西洋思想の状況と同列において論じることは、些か乱暴に過ぎることは百も承知であるが、多くの共通点も見逃せないことも事実である。革新的な思想も医学も、全面否定するにせよそのまま無批判に継承するにせよ、あるいは批判的に継承するにせよ、いずれの場合でも過去の学問的成果の前提の上に構築されるものであることに違いはない。過去があっての現在であり、現在は過去の延長であるから過去を無視するわけには行かず、かといって過去にこだわってばかりいれば、新しい時代にマッチしない時代遅れで使いものにならない思想や医学に堕する危険性が生じるのである。
 そもそも批判が生じた原因は、批判者の立場からみて同時代の現実的な矛盾や疑問、不都合などを感じ、改良や改革あるいは解体などの必要性を認めたからであろう。無批判に継承して却って沈滞化に陥る事態を招くより、時代とともにますます複雑多様化する難治性疾患に対処すべく、遥かに有益なことのように思えるのである。
 今後のさらなる進歩と発展のために、同時代の現実的な要請にもとづいた有益な批判こそ望まれるのであり、根も葉もない感情的な批判や非難は問題外である。批判を提出するからには、その根拠と理由を明確に示す必要があるのは当然のことで、それゆえに中医学と漢方医学の両者について一定レベルの知識と経験がない者にあっては、おおやけの場で論じたり批判する資格はないことになろう。
 たとえば、筆者が昨年に直接遭遇した経験では、某新聞社からの取材があった折に漢方専門記者の口から、思いがけなく日本の「中医学派」に対する強烈な批判があった。つまり、中医学派である某医師の著書は既成方剤やエキス製剤の合方ばかりで、中医学どころか日本漢方以下ではないかとて、つまるところは某医師の著書にかこつけて、筆者の提唱する「中医漢方薬学」の方法論に対するあてこすりであったらしい。それにしても「既成方剤の使用は中医学に非ず」と認識するレベルの記者が跳梁跋扈する日本の漢方界は、何ともさびしい限りである。
 取材記事についても問題がある。昨今食品業界で一大ブームとなっている「キチン・キトサン」に関する取材に訪れた医療関係専門的のジャーナリストに対し、体内のコレステロールや重金属を排除する作用など動物実験による証明は、中医学的には痰濁に対する袪痰作用に近いということを強調していたのであるが、掲載された取材記事の雑誌や書籍を見ると「瘀血、瘀血」の一点張りの記事となっており、あまりのことに驚愕と同時に唖然としてしまった。今年も取材依頼があったので、どうしてあのような記事になったのかを問えば、各地の複数の医師の取材において、「キチン・キトサンは漢方的には瘀血を取り除く作用がある」と全員が口を揃えて断言されているゆえ、コメントの内容をわざわざ訂正してくれたそうだ。その複数の取材対象にされた医師のお名前を伺えば、なるほど、いずれも中医学とは無縁の日本漢方または西洋医学専門の医師の方々ばかりであった。
 その他、これらに類した一部のジャーナリストの認識不足による混乱記事は少なからずあり、取材された当人の目を通すことなく間違った記事が掲載されるなど、中医学・中西医結合・中医漢方薬学の発揚にとってプラスになろうはずがない。

 ●北京における中成薬ブーム

 さて、再び前掲の『中医臨床』誌(本誌の専門性は高く認識度において信頼性は高いと思われる)によると、外来一日に三、〇〇〇人、病棟ベット数五〇〇床という中国最大の中医専門病院「北京市中医医院」における全使用薬物の内容は大変興味深い。金額に換算すると、中成薬・生薬・西洋薬の使用比率が同じで、それぞれ三分の一ずつだというのである。取材記者は中成薬の比率が予想外に多いと驚いておられるが、のみならず西洋薬の使用比率の高さについても唖然とさせられる。
 ともあれ、このように本場の中医医院においても中成薬は「便利だから、患者によろこばれる」とのことで、この辺の事情は日本とたいして変わりはなく、煎薬でなければ中医学を行えないと信じている一部の日本人のほうがどうかしているのである。

 ●中医漢方薬学のアイデンティティー

 中医学も中医漢方薬学も、ともにアイデンティティーを形成している最も根源的な部分は、言うまでもなく中医基礎理論である。中医学と中医漢方薬学の違いは、後者では方証相対論にもとづく随証治療の精神を弁証論治に取り入れていることである。つまり、伝統的な既成方剤それぞれが適応する一連の症候(証)の探求と分析を通じて、弁証論治における治法に対する方剤の選定をより能率的に導く工夫がある。
 先に見てきたように、現在では中国の中医学専門医院においても中成薬の使用頻度が増大している事実は、筆者が六年前から提唱してきた中医漢方薬学の理念にかなり接近してきている証拠である。両国を挙げて既成方剤それぞれが適応する一連の症候の探求と分析による方剤の能率的な選定方法の研究がますます盛んになるに違いないが、これには従来の日本漢方の伝統であった方証相対論にもとづく随証治療の精神が、大いに役立つわけである。
 西洋医学や東洋医学やインド医学など、その他各種の医学体系も、人体の疾病に対する認識と治療方法において、いずれが正統あるいは正当な医学である、と結論づけられるものではなく、西洋科学思想にもとづく西洋医学といえどもその例外ではない。いずれの医学体系も、一つの「解釈と方法論」に過ぎず、あらゆる医学に共通する命題は「疾病の治癒」にほかならない。理想的にはそれぞれの優れた部分を有機的に結合させて治療効果のより優れた新たな医学を創造することであるが、言うは易くほとんど実現不可能なことである。根源的な基本理論そのものが全く異質であるためだが、たとえば西洋医学と中医学の二つだけにしぼって考えてみた場合でも、さしあたりは中西医結合よりも中西医合作のほうが容易に見えるのである。
 しかしながら、容易ならざる中西医結合が時代の要請であるからには、その勢いを第一世代の老中医によっても阻止することはできないだろう。中医学や中医漢方薬学のアイデンティティーを見失うことのない方法が大前提でなければならないが、実はそれ以前の問題として中医基礎理論に十分習熟することはそれほど容易ではない。このために一部の者が中医学の理論研究と応用の困難さに負けてしまい、安易に現代化という名のもとに性急な西洋医学化に走り、すでにアイデンティティーをほとんど喪失して分裂状態に陥っていることに気付かず、喜々として顧みない者もいるようである。このような逸脱現象に目を注げば、第一世代の老中医が中医学消滅の危機感を抱かれるのも無理もないように思われる。
 本場の中国でさえこのようであるから、日本においての現状は推して知るべし。先に見てきたように、中国側から見た日本漢方界の現状は、「中医漢方薬学」の提唱があるにもかかわらず、現在までのところ基礎理論の研究と運用を怠っていると認識されているわけである。
 中国側の言われる基礎理論というのは当然のことながら「中医」基礎理論を指しており、日本漢方はもともと「理論」と呼べるような理論はないに等しいので、中医基礎理論を早急に導入する必要があることを示唆しているのである。
 つまり、現在の日本漢方はアイデンティティーを形成する以前の幼時期の段階であることを言外に指摘されているわけであるが、些か憂慮すべきはアイデンティティーが形成される以前の段階であるにもかかわらず、一部に西洋医学化傾向が強いために、中国におけるそれよりも重度の分裂病的状況が認められることである。

 ●おわりに

 過去の歴史が証明するように、いつの時代でも常に矛盾はつきものではあっても、社会的現実にもとづく時代の要請には抗いがたく、適当なバランスを取りながら、その時代に比較的マッチした思想や医学が流行するもののようである。もしも時代に逆行するような思想や医学が流行するようなことがあるとするなら、時代精神そのものが腐っていて、そのレベルでしかなかったのであるから、実際のところは「時代に逆行した」という表現をとることはできないことになる。
 時代の現実的な要請に応じた難治性疾患に対するハイレベルな治療効果を求めて、日本漢方はこれから大変貌を遂げざるを得ない必然性があるように思われる。新世代と旧世代、あるいは改革派と旧守派との相克が見られるのは、いつの時代でも、どの世界でも見られてきたことであり、日本漢方が今後どのような変貌を遂げるかは、結局のところ日本の漢方界全体の「学識」のレベル次第ということである。
 百年後に平成を振り返ったとき、「日本漢方大躍進の時代」と讃えられるような進歩と発展がみられることを祈りつつ、拙論を終えることにする。

【拙論着想のヒントとなった文献】

●橋爪大三郎著『はじめての構造主義』(講談社現代新書)
●竹田青嗣著『現代思想の冒険』(毎日新聞社刊)
●竹田青嗣著『現象学入門』(NHKブックス)
●鷲田小彌太著『哲学を知ると何が変わるか』(講談社)
●今村仁司編『現代思想を読む事典』(講談社現代新書)
●竹田青嗣著『ニーチェ入門』(ちくま新書)

【筆者による過去の関連文献】

●『日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』(東亜医学協会創立五〇周年記念号「漢方の臨床」誌、第三五巻一二号)
●『平成元年漢方への提言(日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱)』(「漢方医薬新聞」第五三号 漢方医薬新聞社発行)
●『中医学と漢方医学』(「和漢薬」誌、四二八号 ウチダ和漢薬発行)
●『中医漢方薬学』(「和漢薬」誌、四三二号 ウチダ和漢薬発行)
●『日本漢方の随証治療の精神と「依法用方」』(「和漢薬」誌、四八四号掲載の「中医病機治法学〔二十一〕中の【訳者のコメント】」 ウチダ和漢薬発行)
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2018年10月12日

弁証論治の問題点と方証相対の利点について

1982年(昭和57年)2月号の『漢方研究』誌の巻頭を飾った村田恭介31歳の拙論
原題:『「弁証論治」「方証相対」雑感



 本論は、中国の『中医薬年鑑 1984年』の472ページに参考文献として引用されている。  

なお、この拙論をきっかけに、折々に故森雄才氏と文通する機会が何度かあり、たとえば神戸中医学研究会訳・編の一世を風靡した『漢薬の臨床応用』がありながらも、新たに『中医臨床のための中薬学』を編著出版された深い意味と意義をかなり詳細に打ち明けられた貴重な手紙を現在も大事に保存している。

 ともあれ、以下が全本文のコピー。
 本誌(1981年12月号)の森雄材先生の「中医学の体系」その他同先生のこれまでのご論文(1979年10月号、1980年4月号)、および山崎正寿先生の「日本漢方と中医学」(1981年2月号)と題されたご論文を拝読して感じたことを、少しく述べさせて頂きたいと思います。

 「弁証論治」の立場は理論的にも実践的にもかなり首尾一貫し、合理的で発展性のある医学体系であると感じています。
 ところが、理屈どおりに行かない「例外」の存在するのが、あらゆる領域に共通する不可避的なことだと仮定すると、その欠を補うのがあるいは「方証相対」の立場ではないかと考えています。
 しかし、この点はもっと深く研究して考察を重ねて行く必要があります。
 
 さて、次に、私なりに「弁証論治」の立場を批判的に論じながら、「方証相対」の立場のあり方、存在意義を考えてみたいと思います。
 「弁証論治」により処方を組立てる際、患者の疾患の普遍性に対する処方が決定し、次に特殊性に対する加減すべき薬物の選択を行う時、ここに、たとえば、十人の医師(一定レベルの技術を有する人達)が、同じ弁証論治の結論によって処方を組む場合、特殊性に対する薬物の選択が、十人が十人、すべて異なったものになり、それぞれに内容の異なった処方を組立ててしまう可能性が強いのです。それは中草薬には類似した効能性質を持つ薬物が多いからです。

注記:ここで述べられている普遍性と特殊性について、森雄材氏は「漢方研究」誌1981年11月号で次のように述べられている。すべての固体を通じて平均値的にあらわれる状態、すなわち普遍性(共通性)と、体質・時期・環境などの違いによって固体にあらわれる修飾された状態、すなわち特殊性(個別性)である。弁証では一般に普遍性を把握するとともに特殊性にも注意を払う必要があり、論治では、普遍性に対して基本的な治法をきめ、そのうえで特殊性に対する加減を行って対応する(随証加減)のである。要するに、普遍性とは教科書的な弁証分型のことである。

 また、普遍性に対する処方の組み立て内容さえも、十人十色のものとなる可能性が強いのです。何故なら、矢張り中草薬中には似た効能・性質を有する薬物が多いからです。(当然、処方の弁証分型は同一ですが)。

 これら一定レベルの医師達十人それぞれが組立てた処方を患者に投与する場合、それぞれの処方の治癒に導く能力の差違も当然考えられます。
 この時、どの医師の組んだ処方が一番すぐれたものと判定できるのか。弁証論治の結論が全く同一で、組立てた処方もすべて理に適っている訳だから、この十人の提出した処方の優劣は如何にして判定できるのか。

 視点をかえれば、一人の医師でも、同一患者に対して、弁証論治で得た結論によって何通りもの処方を組むことが可能な訳で、この場合にも、どの処方内容のものが一番すぐれていると判定できるのか。
 このような素朴な疑問に対する答えは、「医師(投薬者)の熟練の度合、言いかえれば、経験から得た勘がものを言う」のだ、ということにでもなるのでしょうか。
 このような疑問は、これまでに目を通して来た多くの中医学の公式的な治療書や医案集等をそれぞれ比較して常に感じて来たことなのです。

 しかるに、この薬物選択の問題こそは、各薬物の薬能薬理についての、これから先、将来にも引き続き行われるべき深い研究と開発に俟つべきものが多く、そしてそのことこそ、中医学の発展性を最も内臓している領域なのであろう、と理解していました。
 これ等のことを考える時、森先生の言われる「方剤の薬能・薬理・生薬の薬能・薬理についての漢方医学的な定義はすでにほぼ定まっている」とのお言葉に対して、大きな疑問符を投げかけない訳には参りません。
 ここまで考えてきますと、逆に「方証相対」の立場もあまり馬鹿にできないのではないか、と思われて来ます。
 とりわけ、弁証論治があまりに複雑になり、同じ弁証論治の結論によって、十人十色の処方が組立てられ、あるいは一人でいくつもの方剤を組立て、加減薬物の選択に右顧左眄するくらいなら、先ずは「方証相対」の立場をとり、それによって投薬した後、その結果を見て、再び「弁証論治」を行う、この二つの立場を併行させて考えて行くやり方が生まれて来ないものか、と思われるのです。
 そこに、「方証相対」の立場も、それなりに存在意義が出て来るのではないでしょうか。
 また逆に、弁証論治をするにはあまりに単純すぎる場合にも、「方証相対」の立場をとった方が有利なことがあるかも知れません。
 そこで、ここに特に強調したくなるのは、一般に中医方剤学で示される基本処方を「方証相対」の立場から、(山崎先生の言われる)「方剤が適用される病態、その病因、診断法、鑑別」を明らかにする努力を行えば、「弁証論治」で使用される基本方剤を発展的に批判検討出来るのではないか、ということです。
 これ等こそ、日本漢方と中医学の発展的統合への、ひとつの足がかりになるのではないでしょうか。
 「方証相対」論は明らかに日本の最大の特質のひとつであり、それにも増して、あるいはそれなるが故に、日本漢方の特長は、中医学に比較して、ひとつの方剤を様々に工夫・応用する伝統があり、将来もこの特長を大いに活かすべきだと考えるからです(たとえば、柴胡桂枝湯のように)。

 日本漢方における「柴胡桂枝湯」のような広範囲な活用方法は、それこそ日本漢方中の白眉であり、その他の処方の活用においても多かれ少なかれ共通した特長があります。
 とりわけ腹診による「方証相対」のあり方についてまでも「天動説」だと極め付けるには、さすがにコペルニクスでさえ、躊躇するに違いありません。
  「弁証論治」と「方証相対」の問題は対立的にとらえるよりも、むしろ互いに相補うべきものとして考えた方がより発展的であると確信致します。

《注記》
 「弁証論治」という用語の「論治」には、本来、治則と治法および処方までが含まれるのですが、便宜上、森先生の示された下記の図によって、治則と治法までとし、論治から処方を切り離した用語として使用したことをお断り致します(「弁証論治」と同義の「弁証施治」という用語がありますが、「論治」は治則・治法までとし、「施治」は治則・治法・処方を含む、とした方が便利ではないか、と提案致します)。 000000164ac.jpg
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2018年10月11日

日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱(平成元年の提言!)

『漢方の臨床』誌・東亜医学協会創立50周年記念特集号より

 実際に執筆したのは1988年の38歳当時の拙論で原文のまま、誤字の訂正以外は一字一句も改変せず。

 また、特記すべきは『漢方医薬新聞』の昭和64年1月号(平成元年)にも、ほぼ全文が転載されている。

 さらには故矢数道明先生御みずから、当時の『漢方の臨床』誌上で、印象に残った2つの論説の内の1つとして好意的に述べて下さったことを光栄と同時に大変な名誉に感じたものだった。

『日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』の抜き刷りの実際の画像の一部分

 さらに『漢方の臨床』誌第36巻5号、即ち本論発表の5ヵ月後に、「編集雑筆」欄において、編集のT氏が次のように書かれている。
京都の細野史郎先生がご逝去。漢方の御三家は、矢数道明理事長お一人となった。大塚・矢数・細野の三大大家が開拓、発展させた昭和漢方は平成時代にどのような道をたどるのか。下関の論客・村田恭介氏は切れ味鋭く論説しておられるが、いろいろ議論もあろう。「純粋な学問上の批判」なら大いにやって頂きたい。

以下本文
日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱(平成元年の提言!)

は じ め に

 本場中国の漢方、「中医学」がかなり本格的に我が国に紹介され始めて十年以上の歳月が過ぎたと思われるが、これも国交回復という国家間の関係による影響が大きいと考えられる。  
 国家間のお付き合いにはお互いに謙虚でなければならないように、漢方医薬学という学問分野の交流においても、お互いに謙虚であらねばならない。

 日本の漢方医薬学を学習し始めて十六年、並行して中医学を学習し始めて十数年の浅学の身ながら、冷静に分析判断して、これからの日本の漢方は中医学に吸収合併されるであろうし、またそうでなければならないとの私なりの結論を得るに到った。
 即ち将来あるべき姿として、表題に掲げた「中医漢方薬学」の提唱である。

日本漢方の特徴と欠点

 先ず日本の漢方について、その特徴と欠点を簡単に考察してみたい。
 江戸時代に学問上の復古主義ブームに乗って登場した医学界の特異な天才、吉益東洞の主張した方証相対論による処方単位のパターン認識の漢方が、昭和後期の現代においても主流を占めている。
 東洞は「親試実験」という実証主義のもとに、実際に現れる症候のみを重視し、従来の後世派医学の中心思想である陰陽五行論等の内経思想を空論臆説として、完全に否定した。と同時に医の原点復帰を唱え、『傷寒論』『金匱要略』のみを是としたが、必然的に『傷寒・金匱』の条文中に散在する内経思想を後人の注釈とし徹底的に排除した(文献1)。

 この実証主義は徹底を極め、三陰三陽などの現代日本漢方でも基本とされる概念は勿論、客観化しにくいとして脈診までも排した。然るに実証主義とは言っても主観的観念的な一面もあり、万病一毒論を唱え「毒ヲ以テ毒ヲ攻メル」ことを治病の原則として強調したり、「万病は腹に根ざす、病を治するには必ず腹を窺う」として、腹診を特に重視するなどの大変な矛盾も犯している。
 さすがに東洞の行き過ぎはその後に修正され、三陰三陽などの基本概念は復活されるが、「方証相対」による「随証治療」は現代までそのまま、日本漢方の伝統として受け継がれている。

 ところで現在、特異な存在として東洞直系の思想を受け継ぐと考えられる近畿大学東洋医学研究所教授、遠田裕政氏は徹底した実証主義の立場から「漢方近代化の試み」の一環として、『康治本傷寒論』を原始『傷寒論』として独自の御研究を数々展開発表されている。氏の「固体病理学」の立場に立った考察は、漢方薬の作用を現代医学的に理解するうえで大変興味深い(文献2)。
 但し、東洞がその時代に多くの批判を浴びたように、遠田氏の中医学思想や言語に対する非難と排斥は、東洞と同じ「観念的実証主義」の過ちを犯していると指摘する意見もある(文献3)。

 このような東洞流の実証主義は、古代の試行錯誤を繰り返しながらの純粋経験による成果のみを重視して、その後に付加された観念的把握の試みである後人の讒入文や、注釈を荒唐無稽な観念論であるとして蔑視排斥した。そのために却って将来に発展する医学としては限界を作ったことに等しく、『傷寒・金匱』のみの閉塞的な医術に堕する自縄自縛の規範を作ってしまった。
 自然発生的に生まれた各国の言語にそれぞれ独自の「文法」があるように、純粋経験のままの原始『傷寒論』にも、その後、観念的に把握される理論体系化がなければ永久に発達は望めないものと考えられる。これ等、観念用語による理論体系化の初期の試みが『傷寒・金匱』の条文に存在する後人の讒入文、あるいは注釈とされる部分であり、三陰三陽のみならず虚実、表裏、寒熱などの概念の、理論体系化につながる基本文法発見の探求であったはずである。

 ところが、日本漢方においては、『傷寒・金匱』のみを是とした吉益東洞以来の悪習がどうしても抜け切れぬらしく、その良きにつけ悪しきにつけ、東洞の提唱した方証相対論による処方単位のパターン認識の方法論が主体のまま、未だに漢方基礎学としての「文法」が確立されていない。これから発達すべき医学、薬学としては完全に閉塞状態に陥っていると思われるのである。

両医学における病態認識のあり方

 翻って、中医学には陰陽五行論を基本文法(基礎概念)として長い歴史の中で試行錯誤を繰り返し、成熟した独自の言語と、きめ細かい文法(理論体系)を持つに到った。
 日本漢方の特徴が「方証相対」による「随証治療」であるなら、中医学のそれは「弁証論治」による「病態認識・治法・方剤・実際処方」(文献4)であろう。

 日本漢方の<病態認識>は、それがそのまま<方剤=実際処方>として短絡的に繋がっており、その<病態認識>は方剤の名称をもって来てそのまま<何々湯証>として認識される。即ち、病態認識は存在しないに等しく、その病態に対する治療法ばかりが重要視される極めて民間療法的なものと言えよう。
 中医学においては、独自の理論、分析手段により論理的、分析的な病態の説明<病態認識>が可能である。そして、それに対する治療方法とその理由<治法>、それに該当する基本方剤の設定理由<方剤>、その患者の特殊性を考慮しての具体的処方内容とそれぞれの配合目的及びその配合理由<実際処方>が、それぞれ筋道をたてて論理的に説明できる独自の言語と理論、法則がある。

専門用語が未熟な日本漢方

 以上のように「方証相対」によるパターン認識医学の性質上、<病態認識>が実態的にも観念的にも把握不可能な閉塞状態にある日本漢方において、基礎学が未発達なままであるのは必然的なことであろう。
 たとえば「虚実」の問題において、<体力が余っているのが実証><体力が衰えているのが虚証>と表現する漢方の一般向け啓蒙書籍が多い。その実、漢方の専門家個人個人によって様々にニュアンスの異なった解釈がなされているが、やはり結果は大同小異である(文献5)。この実証、虚証の極めて幼稚な解釈は数々の困った現象を生むことになる。

 現代日本漢方の特異な風潮として、体質ばかりでなく方剤においても実証用、虚証用、虚実中間証用などと規定することに熱心な現象が見られるが、これは病人の状態を常に固定的に捉えることを奨励するような間違った観念を植え付けかねないものである。

 一方、<実とは外因、内因を含めた病邪の存在をあらわす概念><虚とは生体の機能面、物質面の不足をあらわす概念>と規定する中医学のありかたにおいては、合理的な病態把握が可能である。「実とは邪気が盛んなこと指し、虚とは正気の不足を指す」のであるが、従って「実証」とは邪気が盛んなために現れる証候であり、「虚証」とは正気不足より現れる証候である。
 現実問題としてとりわけ慢性的な疾患の場合、「虚実挟雑」状態であるのが一般であるが、疾病の過程はある意味では、正気と邪気との相互闘争する過程とも言える。それ故、中医学には「扶正袪邪」の法則がある。この理由から一般的な慢性疾患では「扶正法」、「袪邪法」を同時に用いる「攻補兼施」が治療原則となることが多い。

 ところが現代の日本漢方に従っていると、体力の強弱のみで虚実を論じ続けるあまり、病邪(邪気)の存在に対する認識を忘却しかねない奇妙な医学と言わざるを得ない。その奇妙さをカバーするためか、かの徹底した実証主義者であるはずの吉益東洞が提唱した「万病一毒論」という「観念論」を利用して一事を糊塗する以外に、この極めて幼稚と思える漢方医学をどう弁明できるのであろうか?

 このように、「虚実」の概念比較のみでも、既に吉益東洞の時代に<病態認識>に対する検討を放棄して一種の「観念的」実証主義に走った日本漢方の歴史的な失策の後遺症が、現在に到るまで回復出来ずにいるのである。
 その証拠の一つとして、我が国の症例報告の多くは過去の私の漢方経験例報告も含め、中国におけるものと比較して、あいまいな病態認識の記事とその処方の使用根拠の乏しい報告例が目立つ。それは飽くまで、パターン認識術の叙述に終始しがちであり、またそれで良しとするのが日本漢方の特徴なのである。そして両国の治験報告記事を比較すれば一目瞭然、我が国の症例報告のあまりの幼稚さにガクゼンとしてしまうのである。

日本漢方の処方運用上の欠点

 体力の強弱のみをもって虚実を論じるような幼稚な漢方医学においては、体格のみかけによって虚実を判別して良しとする誤解すら招くが、これとて大同小異と言わざるを得ない。
 たとえば、婦人科系の処方において、桂枝茯苓丸を実証用、加味逍遙散を虚実間用、当帰芍薬散を虚証用に決め込んでしまう日本漢方においては、同一の病人に、これら三処方が同時に必要とする病態が存在する発想すら浮かびにくい(文献6)(文献7)。
 もっとも、これは敢えてエキス製剤で投与する場合の話で、湯液で行う場合はもっと合理的な処方が可能なことは言うまでもないが、これはもっぱら中医薬学理論でのみ成し得ることである。

中医薬学の教科書

 中医薬学は、陰陽五行論を基礎概念とした内経思想が主軸となり、試行錯誤を続けながらも時代と共に発展し続けたもので、広い中国国内の多くの流派、多くの学説を整理し系統的に総括統合し平均化して構築された一大医薬学体系である。
 その特徴は、先述したように、弁証論治を中核とし、<病態認識><治法><方剤><実際処方>(文献4)と連係されるもので、それぞれの項目において厳密な考察がなされ、論理的かつ系統的な思考が要求される。その<病態認識>はかなり統一された豊富な専門用語によって表現され、系統的分析的に整然と把握される。その後に続く<治法><方剤><実際処方>においても同様である。

 この中医学の中核をなす弁証論治を学習するには、中医学の哲学理論に基づいた複雑な全体系を系統的に学習しなければならない。現在の中国においては菅沼中医師によれば、「中医基礎学」、「中薬学」、「方剤学」の三課程が基礎医学の柱であるという(文献6)。
これらの教科書類の原書、またはそれに類する原書は今日、かなり自由に手に入れることが出来るが、ただしこれら三課程は最低の基本線であることを忘れてはならない。また、これらの分野は勿論、その他の分野においても現実の中医薬学の学習書は中国において、無数にと言ってよいほどの種類が出版されている。

日本漢方に教科書はあるのか?

 ところが、これら中医学の基本三課程に該当するようなかなり統一された教科書類が、果たして日本漢方において存在するのだろうか?
 その考察は、月刊『和漢薬』誌(ウチダ和漢薬発行)の1989年1月号に掲載された拙稿「中医学と漢方医学」中に少々考察してみたが、答えはノーである。ただし、方剤学にのみ、若干の見るべきところがあり、これあるが故に日本漢方は、西洋医学に打ち消されることなく、現在まで辛うじて存在しえた所以であると思われる。方剤中心のパターン認識の医学としては、この分野に見るべき所があって当然であり、ほとんどこれあるが故の存在価値しか見出しえないほどである。

 『傷寒・金匱』の原始処方を中心に、その不足分を後世方から恣意的に追加して、処方毎にパターン化している。その使用目標はそれほど理論化されている訳ではないが、過去、多くの先人が使用してきた経験から来る使い方のニュアンスを伝える口訣は豊富で様々に表現されて来た。また、『傷寒論』、『金匱要略』等を深く読み込むことによる奇抜とも言える自由な発想から応用した時の著効例などは、枚挙に暇がないほどである。勘の冴えによって摩訶不思議な著効を生み続けた歴史と伝統が、多くの名人を生んで来た事は否定できない。
 比較的少ない処方で、百病に対処して、一定の成果をもたらして来た自信と誇り、中医学とは一線を画する日本独自の漢方医学は方剤中心のパターン認識の医学であり、これまた独自の腹診法と相俟って、益々発展するかに見えるが、現実はそう甘くはないと思われる。

閉塞状態にある日本漢方

 語彙の豊富さと思考能力や創造力にはおおかた比例関係があると考えられるが、東洞以来、日本漢方からは観念用語を蔑視する風潮は抜け切れず、そのために体験的な勘を養う体得漢方を是として来たようだ(文献8)。こういう風潮は古来からの日本人の国民性に大変馴染みやすいものであった。この点は各種の日本人論も参考になると思うが、これらの日本的怠慢は医学薬学という常に発展すべき分野においては、大変な障害とならざるを得ない。
 「虚実」の解釈にあるような、あいまいでかなり好い加減な言語と言語感覚しか持たない日本漢方の将来は暗い。原始医学のままの『傷寒論』『金匱要略』をいくら深く読み込んだところで、その限界は永久に突き破ることは不可能と考えられる。日本人には『傷寒論』『金匱要略』以後の中国で発達し続けた展開をもっと学ぶ必要があるのではないか。
 たとえ複雑に理論が錯綜しようとも、豊富な言語により、より科学的で且つ論理的に展開され体系化されて来た中医学の在り方に学ぶべきところは多い。東洞以前には後世派という現代の中医学にそのまま繋がる理論体系を持った時代もあったはずだが、現代の日本漢方は古方派、後世派を合わせた折衷派が主流のようである。
 折衷派と言えばいかにも融通のきく派のようではあるが、その実、東洞以来の方証相対論によるパターン認識の漢方術に堕したままの状態で、そこにはたいした進歩性は見られない。

日本漢方が発展する唯一の道

 かくして、このような閉塞状態にある現代日本漢方から脱却する唯一の道は、思考力、創造力を生むために必要不可欠な独自の言語を持つことにあると考えられるが、急場しのぎに言語を獲得することは不可能に近い。付け焼刃の言語でなく成熟した言語でなくては、正しい思考能力は生まれない。
 既に、日本国内においても逸早くこれらのことに気が付いた医師、薬剤師は多く、幼稚な東洞の流れを汲む日本漢方を見限り、既に中医学に転向している人もいる。或いは、一部の後世派や折衷派の識者は、もともと陰陽五行論を代表とする内経思想と馴染みがある関係から、極めて自然な経過として、中医薬学に溶け込まれている方も、現実には多いようである。

 ところが問題の日本漢方の主流が以上に見て来た通りの東洞の流れを汲むパターン認識の閉塞的な漢方であるだけに、彼等と共通の言語を、未だに共有できずにいる。「虚実」の問題ばかりか、「陰虚」という言葉の使用方法を比較すればおのずから明らかで、一事が万事この調子では、討論することすら困難である。
 と言っても幼稚な言語感覚しかもたない日本漢方においては、当然のことながら医学と言われるほどの理論と体系があるはずもなく、ぐるぐるとパターン認識の輪から永久に抜け出られない状態であるのだから、この際、一切の日本漢方における幼児語を捨て去るべきなのである。かくして日本漢方のは中医学に吸収合併され、その吸収合併の中で、殆ど唯一の光彩を放つ日本流の方剤学の分野における成果を活かす道(文献9)を見出すべきであろう。

 器用なわれわれ日本人は、我々だけで創造するのは不得意でも、他国の創造物を改良発展させる技術においては定評のあるところである。日本の漢方が中医学に吸収合併されて行くのは必然的なことであり、その第一歩を踏み出すべき時が今やって来たと思うのである。
 我々は謙虚に中医薬学を学習して豊富な言語と語彙を獲得し、これに過去の漢方医薬学の知識を吸収合併させることで、「中医漢方薬学」を新たに創造して行く必要があると思われるのである。(文献8)。

中医漢方薬学

 以前は手に入りにくかった中草薬は近年、容易に手に入るようになったが、これを自由に使いこなせるのは一部の限定された立場の人に限られているのが現状のようである。
 仄聞するところによると、漢方薬のエキスの一部が健康保険に採用されて以後、その限定された処方の枠内での使用に際して、大変便利な方法論は病名投与か、或いはパターン認識の日本漢方であり、中医学的診断で数処方を合方すると認められないことがあると言われる。このような社会制度が限界を呼ぶものなら、健康保険に頼らなければよいのだが、患者さんの金銭的負担を考えればそうもいかないらしい。

 一方、薬剤師の経営する漢方専門薬局においてもエキス製剤に限界があるのと、薬局製剤として自由に製造販売することが出来る規定の処方煎剤があっても、その内容を自由に加減することが出来ない制約がある。だからなおさら「中医漢方薬学」という、われわれ日本人独自の道の開発を提唱する所以であるが、合法的にいくらでも方法はあると思われるのである。
 中医薬学の言語と思考方式を学習すればおのずから道は開け、少ない持ち駒を利用することでも十分に簡易中医療法、即ち「中医漢方薬学」療法が可能であることを知るべきであると思うのである。

おわりに

 以上、浅学を省みず観念的実証主義者、吉益東洞の亡霊が、日本漢方の進歩発展を現在に到るまで阻止し続けている現象を中心に考察し、日本漢方の閉塞的状態からも脱却方法として、中医学への吸収合併論、「中医漢方薬学」を提唱した。
 浅学菲才の上、日々の仕事に追われながら身のほど知らぬ論考を試みたために、思い違いや考察不足も多々あるかと思われる。今後もなお考察を深めつつ、これに続く続編的な愚見を発表させて頂きたいと考えている。それ故、ぜひとも忌憚のない御批判と御指導をお願いする次第である。

 なお、この拙稿の前編的なものとして、「中医学と漢方医学」と題した拙文が『和漢薬』誌(ウチダ和漢薬発行)一九八九年一月号に掲載されている。このことは拙稿中にも書いた通りであるが、ぜひ、御併読願いたい。

文献


 (文献1) 山田光胤/代田文彦共著『図説東洋医学』学習研究社発行
 (文献2) 遠田裕政著「傷寒論再発掘(一)〜(四五)」『和漢薬』誌連載中(380号より)ウチダ和漢薬発行
 (文献3) 村田恭介著「遠田先生への反論及び中医学用語の弁護論」<「和漢薬」誌四二七号(一九八八年十二月号)>ウチダ和漢薬発行
 (文献4) 田川和光著「漢方エキス剤の中医学的運用」<『中医臨床』誌一九八八年九月通刊三四号>東洋学術出版社発行
 (文献5) 有地滋著「漢方の陰陽虚実について」<東洋学術出版社発行の「現代医療における漢方製剤」中の一論文>
 (文献6) 菅沼栄著「中医方剤学とエキス剤」<『中医臨床』誌一九八八年九月通刊三四号>東洋学術出版社発行
 (文献7) 村田恭介著「加味逍遙散加桂桃仁について」<『和漢薬』誌一九七八年四月号、二九九号>ウチダ和漢薬発行
 (文献8) 村田恭介著『求道と創造の漢方』東明社刊
 (文献9) 村田恭介著「『弁証論治』と『方証相対』雑感」<『漢方研究』誌 一九八二年二月号>小太郎漢方製薬発行

<その他に参考にさせて頂いた文献>
 *長浜善夫著『東洋医学概説』創元社刊
 *久保道徳/谿<忠人共著『漢方医薬学』廣川書店刊
 *『中医臨床体系・臨床理論概論』雄渾社/人民衛生出版社の共同出版
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2016年09月01日

「日本漢方はパターン認識の医学」であると藤平健先生が・・・

2010年9月1日のボクチン(6歳)
2010年9月1日のボクチン(6歳) posted by (C)ヒゲジジイ

 25〜26年前の年賀状に、藤平健先生が「日本漢方はパターン認識の医学」であるとご教示下さったことがあった。

 中医学と日本漢方の「良いとこ取り」、すなわち中医漢方薬学の創造に専念していた時期だけに、大いに得心するところがあり、本当にありがたいご教示であったと思う。

 その年賀状は、今も大事に保存している。

 9月1日に、突然、こんなことを思い出すなんて、どうしてだろう?

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2010年9月1日のボクチン(6歳)
2010年9月1日のボクチン(6歳) posted by (C)ヒゲジジイ

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2016年03月13日

初心者が漢方を学ぶにはどのような本がよいか?と訊かれたが

2010年03月13日の茶トラのボクチン(5歳)
2010年03月13日の茶トラのボクチン(5歳) posted by (C)ボクチンの母

 モンテーニュの随想録を嘲笑うので、気は確かかい?と心配になるようなヘンテコリンな医者の卵から、漢方薬を学ぶにはどのような本がよいか?と訊ねられたが、そんなのこちらに分かる訳がない。

 ヒゲジジイなどが初心者の頃、40年くらい前には、日本漢方関連書籍は比較的豊富でも、中医学関連ではせいぜい神戸中医学研究会の中医学入門関連書籍が何冊か出版されているくらいで、日本語の中医学専門書籍は限られていた。
 その後、徐々に増えてきたとはいえ、現在とは比較にならないくらいに入門書は少なかった。

 だからどうしたかというと、仕事で得た利益はもっぱら本場中国で出版された各種の中医学原書の専門書籍を毎月、店が潰れるほどの勢いで買い漁って、それで勉強した。

 専門書籍だから、訓練すれば意味を把握するのは容易になるが、中国語としての発音はいまだにできないものの、漢文と同じで、文意は容易に把握できるようになる。

 といっても、現代中国語と漢文とは、かなりな違いがあるので、漢文が読める人でも、現代中国語はそれなりに一から学ぶ必要がある。

 ともあれ、昨今は日本語で書かれた中医学入門書などはカラー活字も多用して、各種豊富に出版されている便利な時代だから、ヒゲジジイの入門当初の学習方法は何の参考にもならないだろうから、アマゾンなどで検索して、自分に合いそうなものを見付けるべきだという以外、特別な推薦図書はないのである。

 但し、中級レベルに達すれば、断然、中医病機治法学 である。

 蛇足ながら、当時の日本漢方関連書籍で、当時活躍されていた、大塚敬節先生、矢数道明先生、藤平健先生、山田光胤先生等多数の先生方、それ以前に活躍されていた龍野一雄先生、矢数格先生、奥田謙三先生、鮎川先生、湯本求真先生のみならず、小曽戸丈夫先生を通じて教えられた荒木性次先生の著書など、その他にも多数の先人の書籍は、手に入るものはほとんどすべてを読破し、繰り返し何度も学んだ書籍も多数ある。

 これらの先人の諸著作に多大な恩恵を蒙りながらも、残念ながら、日本流各派の限界を知ることとなり、中医学にますます魅かれる時代へと移って行ったのだった。

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2010年03月13日の茶トラのボクチン(5歳)
2010年03月13日の茶トラのボクチン(5歳) posted by (C)ボクチンの母

2010年03月13日の茶トラのボクチン(5歳)
2010年03月13日の茶トラのボクチン(5歳) posted by (C)ボクチンの母

2012年03月13日の茶トラのボクチン(7歳)
2012年03月13日の茶トラのボクチン(7歳) posted by (C)ボクチンの母

2012年03月13日の茶トラのボクチン(7歳)
2012年03月13日の茶トラのボクチン(7歳) posted by (C)ボクチンの母

posted by ヒゲ薬剤師 at 12:59| 山口 ☁| 中医漢方薬学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月18日

学問的な署名入り批判でも検索順位が下がる?!

 僻み根性でそのように見えるのかどうか?
 小生のサイトやブログには、専門誌にしばしば書いていた時代と同様、学問的に真面目な日本漢方批判を折々に書いている。

 もちろん我が日本国を愛するがゆえに行っている日本漢方の杜撰な問題の数々を挙げて指摘し是正を求めている。
 学問的にも臨床的にも世界に通用するレベルに向上してほしいからに他ならない。

 ところが、僻み心からそう見えるのか? そのような主旨を書いたサイトやブログは直ぐに検索順位が下落する。
 たとえば、ブログでは 漢方と漢方薬および中医学関連情報
 サイトではなどが特に顕著である。

 たとえそうであっても、日本の漢方界への遺言状として、学問的な批判はやめるつもりはない。
 あまりにも目に余ることが多過ぎるからである。専門家の間でも正当な学問的な批判であると同感される人は以前から多いのであるが、皆さんそれぞれに雁字搦めのシガラミがあって同じようにあまり公言できないだけである。

 だから皆を代表して、しがらみの少ない小生が孤軍奮闘しているのである。
(といっても、裏では支援者は少なくはないのですがねっ・・・苦笑)
posted by ヒゲ薬剤師 at 00:40| 山口 ☔| 中医漢方薬学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月18日

日本の医療界でも意外に盛んな中医学の学習講座

 日本の漢方界で派手に目に付くことはビックな漢方製薬メーカーの宣伝であり、テレビ・新聞・ネットなどを通じて、もっぱら前時代的な日本漢方流の虚実論に基づいた、やや没理論的なものばかりである。
 このためにアジア世界では勿論のこと、欧米における中国式の漢方にもどんどん遅れを取るのではないかと危惧されるところであるが、実際には日本東洋医学界の地方部会などでは、しっかりとした中医学の学習講座が組まれており、長期的に継続されている。

 参加経費はかなりな出費になるが、世間の表に現れないところで、一部の奇特な医師免許を持たれる先生方が日本全国に次第に増えつつあることは間違いのない事実である。つまり中医基礎理論を学ばれ、製薬メーカー主導ではない、真の実力を備えた先生方が次第に増えていくのは間違いないことだろう。

 この調子で行けば、あと10〜20年もすれば真に効果のある漢方治療がどのようなものか、中医学理論に裏打ちされた実力派の先生方が増え続け、現在の保険適応範囲内の処方では、あまりにも方剤が不足していることが再認識されることだろう。
posted by ヒゲ薬剤師 at 12:00| 山口 ☔| 中医漢方薬学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする