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2023年07月11日

肝は下焦だけでなく中焦にも属する

肝は下焦だけでなく中焦にも属する

 三焦弁証において、肝は下焦に属するとされるが、解剖部位・生理機能のみならず病理変化などから分析すると、肝は胆と同様、中焦に属するものとみなされる部分が非常に多い。

 現代解剖学を持ち出すまでもなく《素問》の注釈家の王冰は明確に指摘しており、《霊枢》《難経》などの記載からも十分に認識することができるのである。

 また生理上からは、肝の疏泄作用と脾胃との密接な関係を考えれば、《霊枢》で指摘される「中焦は漚のごとし」とされる生理機能には肝胆・脾胃がともに参与していることがわかる。病理変化においても、よく見られる木旺乗土による中焦の病証が多いことなどからも、肝は中焦に属するものであることがわかる。

 ただし、肝は蔵血を主ることから、肝腎・精血同源の考えにもとづき、清代の名医呉氏は、三焦弁証綱領を創設するにあたって《温病条弁・中焦篇》で、温病後期に生じる肝の虚風内動の病証の存在から「肝は腎と同じく下焦に属するもの」、との見解を打ち出した。

 それ以後、この説が今日まで踏襲されている訳であるが、このように呉氏が「肝は下焦に属す」としたのは、病位概念のほかに発病状況・病勢における伝変・病証の特徴・病期の早晩・証治の規則などの総合体系的な疾病綱領としての弁証概念が含まれているのである。

 したがって以上のことから、

 @三焦弁証という特定の弁証概念。
 A少陽三焦という生理学上の概念。
 B上中下三部位の解剖学的区分による三つの機能系統としての三焦の概念。

 などの(多くの関連性と共通点を持ちながらも)それぞれに異なる概念を有機的に一体化あるいは結合させるには、「肝は中焦と下焦の二個所に属す」とされなければ辻褄があわないことになる。

 この見解は、瞿岳雲編著『中医理論弁』中の「肝は下焦には属さず、中焦に属する(改訳版)」(東洋学術出版社発行の季刊『中医臨床』誌【1992年3月・通巻48号】に掲載)と題された論文をヒントに考察した訳者自身の愚見である。

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2018年10月19日

肺系統の中でも、しっかり理解しておくべき重要事項

肺系統の重要部分のみの概括

                                    村田漢方堂薬局 村田恭介著

 (一)肺は気を主り、宣発と粛降の働きがあり、呼吸を司り、水道を通調するので、肺に病変が生じると、気液の宣降失調が基本病理となり、呼吸障害・咳嗽・喀痰などが主症状である。

 (二)肺は嬌臓(デリケートな臓器)であり、呼吸を司り、皮毛に合しているので、外邪の侵襲を最も受けやすく、寒熱燥湿いずれの刺激に対しても容易に影響を受けやすい。感冒や鼻炎など、肺系統の疾患が日常的によくみられるのはこのためである。

 (三)肺の宣降機能は、他の臓腑の気機と協調したり制約を加えたりする作用を持ち、心を補佐して営血の運行を推動するなど、肺臓特有の他臓との有機的な関連性の特長を把握した上で、それぞれの病機と治法を修得し、実際の臨床に応用すべきである。

 ●肺衛の意味

 肺衛という用語は中医学で頻繁に使用されるが、使用される状況によって微妙に意味が異なるようである。主として肺気の宣発と表衛の関係や、肺気の宣降と衛気の関係にもとづく用語で、「肺が主る衛外や表衛(体表衛分)」「肺および衛」「上焦肺経および衛陽(または表衛)」「肺気と衛気」などの意味が考えられる。

 また、皮毛の生理機能を肺衛(肺の衛り)として概括することも多く、つまり肺を護衛する役割としての皮毛の機能を指すなど気機や陽気の名称であったり、また病位を示す用語であることも多く、意外に注意を要する用語である。

 ところで、同業のK先生は解剖学的なイメージで「肺葉内を流通する衛気および衛分」が肺衛であり、「表衛は、口腔・鼻腔から気管および気管支の各内壁表層(皮毛様組織)を経て、肺胞嚢の内壁表層と連続かつ連動しており、この肺胞嚢の内壁表層の皮毛様組織を流通する衛気および衛分が肺衛である」と認識しておられるそうであるが、大変興味深い御発想である。

 ここで筆者なりの考察と補足をさせて頂ければ、「肺衛」は表衛との直接的な連続関係に重点を置いた名称であるからには、むしろ表衛を含めて口腔・鼻腔・気管・気管支・肺胞嚢に至る内壁表層すべてを包括して「肺衛」と見るべきだと考えている。そして、上記傍線部の「肺胞嚢の内壁表層を流通する衛気および衛分」のみを取り出して見たときの肺衛は肺気および肺なのであり、同様に口腔・鼻腔・気管など大気が呼吸によって出入りする通路のみを取り出して見たときの肺衛は肺系であり、体表のみを取り出して見たときの肺衛は表衛なのである。

 このように把握しておけば、同じ肺衛の病変であっても、発熱悪寒・無汗・頭痛・体痛などの衛陽(表衛)の鬱滞を主とする風寒客表の麻黄湯証と、咳嗽・痰涎・胸脘痞悶などの肺気の宣降失調を主とする風寒襲肺の杏蘇散証のように、風寒表証において肺と衛の病変の重点が異なる現象の説明にも対応することができる訳である。
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2018年10月18日

脾胃系統について

脾胃系統の概括

                                村田漢方堂薬局 村田恭介著

 ●脾胃はすべての疾病と関連する

 「脾胃は中土に居す」と言われるように、脾胃は五臓系統の中で最も中心的で重要な部分である。
 他臓についても五臓間の整体関係から同様な表現が可能であることは言うまでもないが、脾胃系統については、特に強調しておく必要がある。
 すべての疾病の基本構造は、「気血津精の昇降出入の異常と盈虧通滞」と言え、五臓の生理機能はいずれも気血津精の生化輸泄(生成・輸布・排泄)と関係がある。気血津精に過不足(太過や不及)が生じたときが病態であり、五臓間の相生・相克関係は、気血津精の生化輸泄の状況に直接関与している。
 この疾病の基本構造にもとづいて考察すると、脾胃は中焦に位置して五臓の気機が昇降するための中軸であり、他のすべての臓腑と極めて緊密な関係があるので、脾胃に病変が発生すると他の臓腑に容易に波及し、他の臓腑に病変が生じると脾胃に容易に波及する。
 また、五臓六腑は機能活動を維持するために、精気血津液を基礎物質として必要としており、脾胃が納運する水穀精微は精気血津液を生成する基本的な源泉であるから、脾胃と精気血津液の摂納・生成・輸布・排泄とは密接な関係がある。それゆえ、脾胃に病変が発生すると他の臓腑に容易に波及し、他の臓腑に病変が生じると脾胃に容易に波及するのである。

 ●他臓の疾病に脾胃の論治が必要な場合

 眩暈を主訴とする肝病に対して半夏白朮天麻湯が適応するとき、口内炎を主訴とする心病に対して半夏瀉心湯が適応するとき、浮腫を主訴とする腎病に対して分消湯や補気建中湯が適応するときなどがある。
 逆に、脾胃の疾病に他臓の論治が必要な場合は、嘔吐を主訴とする疾病に対して腎系統の治療薬である五苓散が適応するときや肝胆系統の治療薬である小柴胡湯が適応するとき、下痢を主訴とする疾病に対して腎系統の治療薬である真武湯や五苓散が適応するときなどがある。

●脾胃は病邪の中では湿邪との関連性が最も深い

 湿邪は陰邪であり、粘膩・粘滞な性質を持つためなかなか除去し難く、全身各所の特定の部位で停滞しやすい。
 脾胃は水穀の海であるから湿邪の影響を最も受けやすい。
 湿邪は外湿と内湿があり、外湿は外来の湿邪による病変を指し、内湿は脾虚不運湿による体内から生じた湿邪の病変を指す。
 外湿と内湿の関連性は深く、脾虚不運湿は外湿を招来する誘因となり、外湿が除去されなければ脾が損傷されて内湿を誘発する。
 湿邪は他の邪気と合併することが多く、風邪や寒邪とともに経絡に侵入して痺証を形成したり、寒邪を伴う寒湿の病証や、熱邪を伴う湿熱の病証を形成し、なかでも湿熱の病証が比較的よく見られる。
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2018年10月17日

肝胆系統の病機と治法について

肝胆系統の病機と治法の概括

                               村田漢方堂薬局 村田恭介著

 特に注目すべきは、陳潮祖先生が『中医病機治法学』で提示される以下の二項目の見解である。

@肝の疏泄機能は、気血津液精という五種類の基礎物質の運行調節を統括管理するものであるが、このことは「肝が筋膜を主っている」ことと関連があるのであろう、との見解である。

A少陽三焦は、膜原と腠理の二つの組成部分を包括したものであり、表裏上下のあらゆるところに存在し、五臓六腑・四肢百骸の組織と連絡し、津気が昇降出入する通路となっている、との見解である。

 少陽三焦とは、陳潮祖教授が御高著で指摘するように、膜原と腠理から構成される機能体を指している。そしてこれらは肌表、五臓六腑、四肢百骸の各組織と連絡し、津と気が昇降出入する交通路となっているものである。

 膜原(まくげん)は臓腑や各組織器官を包み込む膜のこと。

 腠理(そうり)とは、膜外の組織間隙のこと。

 もっと詳細に述べれば、腠理というのは、皮膚・肌肉・筋腱・臓腑の紋理や間隙などの総称であり、皮腠・肌腠・粗理・小理などに分けられる。腠理は体液のにじみ出る所であり、気血が流通する門戸であり、外邪が体内に侵入するのを防御する働きがあるなどと解釈されるのが一般であるが、
下線部の「気血が流通する」とい点については疑義があり、「気津が流通する」というように、気と津に限定すべきだと愚考する。血を全面的に含めてしまうと、あまりにも流通物質が拡大し過ぎるので、主として気と津とにある程度限定的に捉えたほうが合理的であろう。

参考文献:猪苓湯と少陽三焦

 ●肝の疏泄機能と筋膜の関係

 肝は蔵血の臓であり、胆汁の生化輸泄を主り、血量の調節と胆汁の輸泄を包括していることは一般常識となっているが、気血津液の疏泄調節と肝が主る筋膜との関連については、まだまだ重視されるに至っていない。

 すなわち、供血運行する脉絡と、胆汁を輸送する胆管など諸々の管道は、いずれも肝が主る筋膜によって構成されており、しかも筋膜組織に属する膜原と腠理は、三焦の組成部分でもあることを認識する必要があるのである。膜腠(膜原と腠理)は、衛気が昇降出入する所であり、水液が運行出入する道である。それゆえ、脉絡・胆道など諸々の管道、および膜腠に多少とも変化が生じると、すぐに気血津液の流通に影響する。これとは逆に気血津液の盈虧と通暢に異常があれば、直接筋膜に影響して病変が発生する。なぜなら、筋膜の和柔活利のためには、陽気の温煦・血液の滋栄・陰津の濡潤を必要としているからである。

以上は、

肝の疏泄機能は気血津液精という五種の基礎物質の運行調節を統括管理しているが、このことは「肝が筋膜を主っている」ことと直接関連がある、とされる陳潮祖先生提示された学説の根拠である。

●「肝の体陰用陽」の意味するもの

 五臓はすべて「体陰用陽」であり、何の変哲もない中医学の基礎理論の一つに過ぎないと思われるのに、どうしてわざわざ「肝」についてのみ、「体陰用陽」を特別に強調する必要があるのであろうか?

 訳者が種々の文献類で調査し、考察・検討を加えた結論では、

 「肝は蔵血の臓であり、血は陰であるから肝の実質は陰である。肝は疏泄・昇発・筋の活動などを主り、内に相火が寄り剛猛な性向があって容易に化火動風するので、肝用すなわち肝の機能は陽に属し、肝体と肝用は相互に依存する。」

 という肝の特徴を特別に強調する為の象徴言語とされているようだ、ということである。 もとをたどれば、中国の清代の名医葉天士が、《臨床指南医案・肝風》において「肝為風木之臓、因有相火内寄、体陰用陽、其性剛、主動主昇」と述べた文章が土台となっており、後世において「体陰用陽」という用語だけが、シンボリックな表現として一人歩きし始めたのではないかと思われるのである。

 ところで、肝の体陰用陽のみを取り上げて分析すれば、「肝の実体(実質)は陰血であり、肝の作用(機能)は陽気である。」ということであるが、より簡潔に表現すれば「肝は血を以て体と為し、気を以て用と為す。」ということになる。これは、文匯出版社発行の『中国歴代中医格言大観』における肝の体陰陽用に対する注釈文であり、本書に従えば、肝は血を以て体と為し、気を以て用と為すので、肝は「体陰用陽」と云われるのである、ということである。

 このように、「肝の体陰用陽」という用語のみに着目すれば、当然と云えば当然の中医学基礎理論の用語法の一つに過ぎない訳である。

 ところが、体陰用陽はいつの間にか、前述の「肝為風木之臓、因有相火内寄、体陰用陽、其性剛、主動主昇」という葉天士の述べた主旨を喚起するための枕詞や象徴言語として使用されるようになり、次第に葉天士の述べた主旨のすべてを意味する用語として、定着するに到ったと思われるのである。

 ところで、すべての疾病は、多かれ少なかれ必ず肝と関連するので、もしも難病奇病であらゆる治療に抵抗する場合は、肝胆系統との関連性に基づいた病機分析を行えば、有効な打開策が見付かることが多いといわれる。たとえば、一九八九年に発行された朱進忠著『難病奇治』(科学技術文献出版社重慶分社)は、大いに啓発される内容である。

●附録●中医眼科学における西洋医学検査の重要性について

 眼科疾患は、西洋医学と同様に中医学においても眼科の専門科があるように、かなり特殊な領域である。現代の中医学における眼科治療においては、正確な弁証論治を行う上で、西洋医学的な病態認識が必須事項となっている。それゆえ、必ず西洋医学の眼科専門の設備の充実した医療機関における検眼検査等の詳細な西洋医学的診断が求められる。
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2018年10月14日

科学としての中医学

 類似した内容の拙論も数十年前に各所に書いた気がするが、いつ何時書いたのか、あるいはどこに発表していたのかは現時点では不明。
医学領域における「科学」としての中医学

                                   村田漢方堂薬局 村田恭介著

 陰陽五行学説にもとづく中医学理論は、まぎれもなくスケールの大きな一つの科学理論であることを指摘しておきたい。 まず、構造主義科学論の提唱者、池田清彦氏(山梨大学教育学部教授)の諸論文『構造主義生物学とは何か』『構造主義と進化論』『構造主義科学論の冒険』などの著書を拝読して、村田流に理解したところでは、

 科学とは、現象間の関係記述である。つまり、科学とは変転する現象間の関係を、なんらかの不変の同一性(構造・形式・公理など)によって記述しようという営為である。

 したがって、あらゆる科学理論というのは構造(構造・形式・公理など)という不変の同一性によって、現象という変なるものを変換・体系化したものである。

 それゆえ、最終的に正しい究極の理論というものはありえず、より多くの現象を説明できる理論が、より有効な理論と言えるだけなのであり、背反する二つの理論が同じくらいに有効なときでも、必ずどちらかの理論が間違っている、などということは、決してない。 ということである。

 この二つの背反する理論の具体的な例としては、西洋医学理論と中医学理論を比較すればおのずと明白であり、とりわけ両者における病態観の相違を検討すれば容易に察することができる。

 ともあれ、陰陽五行学説にもとづく中医学理論そのものがすでに現象間の関係記述という構造主義的な理論構成をなしているだけに、医学領域における最先端の科学理論として、再認識されてしかるべきであろう。それゆえ、今後の研究課題としては、中医学を構造論的な方法で徹底的に分析して行く必要があると愚考しているが、これによって昭和の終わり頃から村田が提唱してきた日本漢方の将来のあるべき姿として、弁証論治の中医学に随証治療の漢方医学を吸収合併させた「中医漢方薬学」の確立だけでなく、理想的な中西医結合の方向性を発見し確立することができるように思われる。

 構造論の短絡的な誤解と歪曲の誹りを免れないが、ここで敢えて暫定的に、より具体的な考察を加えておくと、

 弁証論治における弁証の世界では、四診によって認識される一連の症候にもとづいて把握される疾病の本質(病機)を構造とみることができる。このときの構造(病機)は、要素集合(一連の症候)に構造法則(中医学理論という文法)を用いて解読する仕組となっている。つまり、

 構造(病機〈疾病の本質〉)= 要素集合(一連の症候)+ 構造法則(中医学理論)

 と定義することができよう〔勁草書房発行・上野千鶴子著『構造主義の冒険』の十五頁を参照〕。

 けだし、構造主義科学論の視点から見ると、中医学には「整体観」という構造論的な視点が既に確立しているのにくらべ、西洋医学においては−ミクロ的にはともかく−マクロ的には構造論的な視点が比較的乏しく、このために西洋医学は「非科学的」であると言われてもしかたがないのである。したがって、現在の西洋医学においては、

 構造(病名〈疾病の本質〉)= 要素集合(諸検査を含めた自他覚症状)+ 構造法則(西洋医学理論)

 という関係式は成立し得ていない。

 つまり、西洋医学では全体系を支配する構造論的観念が欠如しているために、西洋医学理論は構造法則としての文法が不完全なものであり、それゆえに西洋医学における病名は、構造分析によって導きだされる「疾病の本質」を表現するものとしては、常に不完全なものでしかない訳である。

 それゆえ、中医学に西洋医学を吸収合併させ、西洋医学の特色である諸検査を有効に活用する方向こそが、臨床医学という現実に即した、今後の新しい医学の方向であると思えてならないのである。

 とは言え、小論の目的は我田引水的に中医学が完全無欠であると訴えているものではなく、構造主義科学論の立場から見ると、中医学理論のみならず「陰陽五行学説」そのものが、一つの立派な科学理論であるということ、および前述の構造の定義を用いて解読すれば、西洋医学においてさえ、非科学性が見えてくることを述べたかったのである。

 のみならず、最も重要な問題としては、西洋医学という中医学とはかなり異質な医学を、前述の構造の定義にもとづいて比較検討しつつ詳細に分析すれば、西洋医学におけるミクロ的な部分における高度な科学性が改めて認識され、構造論的に見て完成度の高い中医学においても、四診内容の未熟性と疾病の本質を示す病機の表現のありかたの未熟性を認識することができるということである。

 しかしながら、両者を結合する方法論としては、科学的な理論体系として既に完成度の高い中医学に、マクロ的には完成度の低い西洋医学を吸収合併させることこそ、疾病の治療を目的とした臨床医学の要求にこたえ得る、より優れた医学・薬学が創造される道ではないかと愚考している訳である。
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posted by ヒゲジジイ at 05:38| 山口 ☀| 中医学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする