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2018年11月18日

『中医学と漢方医学』(11)とっても重要な「追記!」

  (11)追記

(追記1)

 中医学を今から本格的に始めようとされる方に是非、お奨めしたい書物としては、(文献@)の張瓏英先生著作の「臨床中医学概論」がある。

 日本漢方からなかなか中医学に転向出来ずに悩んでいる方には特に最高の書籍であると思う。私にとっては久々に目からウロコが本当に落ちてしまったくらいである。

 一般の中国語の原書や翻訳書では決して知ることの出来ない中医学マスターのコツが随所に書かれている。何はともあれ御一読を!

(追記2)

 最近ある機会から、中医師のT氏に親しく御教示を賜る光栄に浴した。
 氏は中国に四十年間在住し、後半の二十年を中医師として過ごされた。六年前に帰国され、現在はM社の対中企画室に勤務されておられる。

 氏のお話で特に印象深かったことは、「二十年間の診療中、一度として同じ処方を投与することはなかった。」どんなに似ている病人でもそれぞれに特殊性があるのだから(文献G)「日本漢方のように定型処方だけで病人を治療するのは原則的に言えば、決して正しいことではない。そんなことでは中国で一般の人が薬屋さんに行って中成薬を買って服用するのと同じレベルですよ」と言われたことであった。

 とは言え、日本には様々な事情から自在な処方が作れない。原料の中草薬の問題は一昔前と違って各漢方生薬メーカーさんに注文すれば殆どのものが入手可能ではある。

 ところが医師の場合は湯液治療までは手が伸ばせない方も多く、為に保険漢方で扱える範囲のエキス剤しか使用出来ない。薬剤師の場合は湯液やエキス剤の加減をすることが出来ない等の制約がある。

 ところが私の拙い経験から言えば、既成の処方エキス剤や薬局製剤できめられた範囲の煎剤でも、中医薬学的思弁を活用することは、かなりなところまで可能であると思う。

 但し、T氏が言われる、「二十年間に一度として同じ処方を投与したことはなかった」との正統な中医学の{実際処方}の在り方を忘れてはならない。それほど中医学は奥深いものであろうと思う

 従って我々は中医薬学をたゆまず学習し、これに漢方医薬学知識を吸収合併させることで、「中医漢方薬学」を新たに創造して行けば良いではないかと考えている。ここに、ものまね上手な日本人の持前の器用さを発揮する時と場所があると愚考している。(文献D)(文献G)

文献
(文献@)張瓏英著「臨床中医学概論」自然社発行/緑書房発行⇒『新編・中医学 基礎編 』源草社刊!!!
(文献D)村田恭介著「求道と創造の漢方」1985年5月 東明社刊
(文献G)村田恭介著「『弁証論治』と『方証相対』雑感」(「漢方研究」誌1982年2月号)小太郎漢方発行
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2018年11月17日

『中医学と漢方医学』(10)日本漢方(漢方医学)の将来のために

 (10)日本漢方(漢方医学)の将来のために

 以上、浅学菲才を棚に上げて、中医学と比較することによって自国で発展した漢方医学批判を繰り返す愚を犯してしまったようだ。これ等はあくまで、私個人の見解であるが、これによって多くの方々に不快を与えることを恐れる。然し、私は現在の見解の思うところを声を大にして訴えたい。

 これから漢方医学は、中医学派によって、吸収合併されざるを得ないだろうと。それ以外に生き延びる道はもう無いように思われる。

 漢方医学が医学として存続するには、あまりにも理論体系が貧弱に過ぎ、発展する余地が乏しいと思う。

 とりわけ、個々の生薬に対する認識不足は、漢方理論の貧弱さと相俟って、絶望的であるとさえ思われる。

 ただ、方剤に対する認識と腹診法、その他、傷寒論、金匱要略に対する認識に一応の見るべきところはあるが、これらは、積極的に、中医学に吸収合併してもらうべきであると愚考するのである。

 いや、このように主張する必要はないのかも知れない。器用な我々日本人は、我々だけで創造するのは不得意でも、他国の創造物を改良発展させる技術においては定評のあるところである。わが国において、漢方医学が中医学に吸収合併されていくのは必然的なことであり、もう既にその第一歩を踏み出している時代が来ていると信じたい。

 ある患者が漢方薬で病気が治った場合、どうしてその漢方薬が効いたのか。その患者の病態の説明{病態認識}、それに対する治療の方法とその理由{治法}、それに該当する基本方剤の設定とその設定理由{方剤}、実際に投与する時の具体的処方内容と、それぞれの薬物の配合目的及びその配合理由{実際処方}。

 これらを筋道たてて論理的に説明できる理論と法則が漢方医学にどの程度あるものか?

 薬学部出身の一介の漢方薬屋の分際でありながら、日本の漢方医薬学について兎や角言う筋合いではないかも知れないが、その素材の生薬は私の専門分野である。

 薬の専門家のはしくれである立場から見て、昨今のような漢方医薬学の在り方に、多大な疑義を抱くに到った訳である。

 日本の漢方医薬学の歴史を遡って考えれば、決して昨今の様なものではなく、現在の中医学につながる医学思想を持つ「後世方派」が主流を占めていた時代もあった。

 たまたま学問世界の復古主義が流行した折、吉益東洞という天才的な人物が登場し、傷寒論、金匱要略のみを是とし、且つ方証相対論を旗印にした「古方派」が次第に主流となるに到った。

 現在では「折衷派」が主流とは言え「方証相対論」の錦の御旗は東洞以来、変わることがない。

 ところがその間、中国との国交が回復して以来、急速に中医学が日本に入り込んで来た。一部では熱心に学習され、日本の伝統医学である漢方を殆ど完全に見捨ててしまった人もいるようだ。

 私自身にしても漢方医学とは対照的な中医学の在り方を多少とも実際に知るにつけ、この日本の伝統医学に対する疑義は最高潮に達してしまったのである。

 以上の稚拙なる私見に対して当然、多くの反論があるのは覚悟の上である。

 特に漢方医学の理論体系の有無について、また実証、虚証についての漢方医学上の定義については、私の極論的な決め付け方に相当な非難があることは覚悟している。是非、忌憚なき御批判と御指導をお願いしたい。

 少しでも自国の漢方医薬学の発展と繁栄のためになることなら、一人くらい本音を包み隠さず公言するドンキホーテがいてもよいではないかと居直っている昨今である。

続きは⇒(11)追記
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2018年11月16日

『中医学と漢方医学』(9)中医学の優越性について

   (9)中医学の優越性

 翻って、中医学にはまだまだ無限の可能性が秘められており、例えば「四診」の方法において、(この分野には将来、日本の腹診法の貢献も考えられるが・・・)「八綱弁証」「気血弁証」「臓腑弁証」「三焦弁証」「衛気営血弁証」「六経弁証」「病邪弁証」「外感熱病弁証」などの弁証項目のバリエーション、「治則」や「治法」における新見解から創造される「方剤学」の更なる発展への期待。(この方剤学にはとりわけ日本漢方の貢献も十分に期待される。)さらには「中薬学」の分野のみならず、基礎学や各論における理論面においても、新たな見解や理論を追加修正する余地と発展進歩性を十分に残している(文献F)。

 張瓏英先生によると「現代の中医学はあくまで現段階の水準のものに過ぎず、もちろん絶対的なものではない。理論上、実践上、いろいろの矛盾、不統一は少なからず存在するのが現実である。一方立場をかえてみれば、矛盾、不統一であるからこそ、今後の新しい飛躍があり得るし、新しい発展進歩が大いに期待される。新しい方剤の創造、新しい中薬の発見はあり得るし、私たちもそれに努力すべきと思っている。」(文献@)と言われる。

 蓋し、我々はそれ以前の問題として、いつまでも漢方医学の殻に閉じこもってばかりいないで、中医学の基本課程を一日も早く修得する必要があると思う。

 再び張先生によれば、「中医学は大学生が5〜6年もかけてやっと中医師の最低基準に達するほどの学問であり、単期日のうちに修得できるものでは決してなく、たゆまぬ努力と研究が要求されるものである。中医学も系統的な一つの学問であるから、基礎理論は十分修得する必要がある。あくまで臨床実践はその上に初めて成り立つものであるから、理論学習は一見遠回りのようではあるが、結局は近道となるからである。」(文献@)、といわれる。

 筆者のような浅学菲才の者にとっては十数年間、中途半端に続けていた為に、最近になってようやく初歩を一歩踏み出した程度にしかなっていない。それでも、少なくとも漢方医学を学習している上では常に理論上のあいまいさ、不可解さに悩まされ続けていたストレスが、中医学の学習が深まるにつれ、雲散霧消しつつある。

文献

(文献@)張瓏英著「臨床中医学概論」自然社発行/緑書房発行
(文献F)村田恭介著「読書と漢方」(「和漢薬」誌1988年9月号 通刊424号)ウチダ和漢薬発行

続きは⇒(10)日本漢方(漢方医学)の将来のために
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2018年11月15日

『中医学と漢方医学』(8)漢方医学に将来はあるのか?

  (8)漢方医学に将来はあるのか?

 先人の多くによって、或は近年の膨大な治験集の数々によって、繁用処方の使い方は日本的に徹底的に研究されて来た。これ等によって、日本独自の多くの処方解説書を生んでいる。

 比較的少ない処方で、多くの慢性病に対処し、一定の成果をもたらせて来た自信と誇り、中医学と一線を画する日本独自の漢方医学は方剤中心のパターン認識の医学であり、これまた独自の腹診法と相俟って、益々発展するかに見えるが、私にはそうは思えない。

 まず、方剤学及び腹診法においての成果を認めるに吝かではないが、医学としての発展性については殆ど絶望している。

 もしも発展する可能性があるとしたら、唯一つの道があるのみ、中医学に吸収合併されることである。もしも、この吸収合併がなされなかったら、まず漢方医学の進歩はあり得ず、医学もどきの存在として、中医学派に対して随分と肩身の狭い思いをする時代が来るに違いないと思うのである。

 医学思想として、体系化出来るほどの全体観と基本理念、及び成熟した専門用語を持つ訳でもない言語障害的な漢方医学の存在は、医学と言うには余りに貧相である。

 細部を見れば傷寒論、金匱要略の研究において、洗練された独自の見解が多々見られるにしても、いつまでも原始医学を墨守するのは時代錯誤も甚だしいと思われるのである。

続きは⇒(9)中医学の優越性
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2018年11月14日

『中医学と漢方医学』(7)漢方医学に「方剤学」といわれるほどのものは、はたしてあるのかどうか?

   (7)漢方医学における方剤学

 次に中医学における「方剤学」に該当する部分である。私見によればこの分野にのみ、辛うじて見るべきものが漢方医学にはあると思われる。

 方剤中心のパターン認識の医学としては、この分野にのみ本領があり、これあるが故に、西洋医学に打ち消されることなく現在まで生き残れた所以であろう(文献G)。

 傷寒論、金匱要略の原始処方を中心に、その不足分を後世方から恣意的に追加して、処方毎にパターン化されている。その使用目標とされるところは、それほど理論化されている訳でもなく、使い方のニュアンスを伝える口訣(くけつ)は豊富で様々に表現されて来た。

 また、傷寒論、金匱要略等を深く読み込むことによる奇抜?な発想から応用した時の著効例などは枚挙に暇が無い。あたかも芸術的センスと、何物にも囚われない創造力や発想力が要求される。

 勘の冴えによって摩訶不思議な著効を生み続けた歴史と伝統が、多くの名人を生んで来た事は事実である。

文献:(文献G)村田恭介著「『弁証論治』と『方証相対』雑感」(「漢方研究」誌1982年2月号)小太郎漢方発行

続きは⇒(8)漢方医学に将来はあるのか?
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2018年11月13日

『中医学と漢方医学』(6)中薬学に比べて見劣りがする漢方薬学

 (6)中薬学に比べてあまりにも見劣りがする漢方薬学

 次に、「中薬学」に該当する漢方医学におけるものはどうか。今、ちょっと思い浮かべても思い当たるのは吉益東洞の「薬徴」、浅田宗伯の「古方薬義」。近年の著作としては、管見によれば伊藤清夫先生監修の「漢薬運用の実際」であろうか。

 他にも種々あるにはあるが、どの書籍も、これが漢方医学における漢方薬学であると誇れるに足るものがあるとは考えられない。強いてあげるならせいぜいのところ、東洞の「薬徴」とその流れを汲むものであろうか。

 時折見られるこの分野の出版物は中薬学と現代生薬学の成果を取り入れた雑然としたものであるようだが、脆弱な基礎医学しか持たない漢方医学においてすぐれた漢方薬学が生まれないのは当然の帰結であろう。基本が脆弱なのだから、主体性のない切り貼り仕事の薬学書しか生まれる筈もない。

 この分野も漢方医学における大きな弱点の一つである。方剤中心のパターン認識が主体の医学としては当然の帰結かもしれない(文献F)。

文献:(文献F)村田恭介著「読書と漢方」(「和漢薬」誌1988年9月号 通刊424号)ウチダ和漢薬発行

続きは⇒(7)漢方医学における方剤学
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2018年11月12日

『中医学と漢方医学』(5)漢方医学(日本漢方)の虚実論における錯誤

 (5)漢方医学(日本漢方)の虚実論における錯誤

 あいまいな漢方理論は、体格のみかけによって虚実を判断して良しとする誤解すら招く。
 病人を実証、虚証、虚実間の三通りに分類し、それぞれ恣意的に決められた実証向け、虚証向け、虚実間向けの各処方にあてはめようとするパターン認識の方法が漢方医学の精髄であるとするなら、極めて幼稚な医学と言わざるを得ない。

 民間療法を漢方薬より幼稚な療法であると下に見る風潮が一般であるが、このような医学であるのなら、漢方医学も民間療法に毛が生えたくらいのものだと言われてもしかたないのではないだろうか?

 このように虚実の問題一つを取り上げてみても、中医学におけるそれと比較すると、漢方医学理論が如何に底の浅い基礎理論であるかが分る。
 漢方薬がしばしば著効を現すことを認めるに吝かではないが、このような基礎理論であっては、これを医学と言うには、あまりに貧弱すぎはしないだろうか。

 たとえ複雑に理論が錯綜しようとも、より科学的で且つ論理的に体系化された中医学の基礎理論の病態認識の在り方に学ぶべき所は多い。
 基礎学という面から比較して見ても漢方医学が医学と呼ばれ、医学として誇れるほどの理論や体系があるとは、私にはとうてい思われないのである。

続きは⇒(6)中薬学に比べてあまりにも見劣りがする漢方薬学
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2018年11月11日

『中医学と漢方医学』(4)臨床実践上の虚実論の比較

(4)両医学におけるにおける臨床実践上の虚実論の比較

 私自身は漢方医学と並行して中医学を学習し始めて十数年間になるが、その過程で、漢方医学を批判的に眺めはじめたきっかけ(文献D)は虚実の問題からであった。

 漢方医学の考え方において、体質及び方剤を実証、虚証、虚実中間型に分ける特有のやり方には、多々問題があるように思われる。
 体力が余っているのを実証、体力が衰えているのを虚証と決めるやりかたは非科学的であり漠然とし過ぎている。
 実証用、虚証用、或は虚実中間用とされる方剤にしても恣意的な感を免れない。

 それに比較して、「実とは外因、内因を含めた病邪の存在を言い、虚とは生体の機能面、物質面の不足を意味する」と規定する中医学のありかたにおいては合理的な病態把握が可能である。
 即ち、多くの病人は、とりわけ慢性疾患の場合、虚実挟雑しているのが一般であり、それ故、「扶正祛邪」の治法が自明のこととなる。

 ところが漢方医学に従っていると、体力の強弱のみで虚実を論じ続けるあまり、病邪の存在の問題を忘れ兼ねない。

 例えば、桂枝茯苓丸を実証用、加味逍遙散を虚実中間用、当帰芍薬散を虚証用として恣意的に決め込んでしまい、同一の病人に、これら三処方すべてが同時に必要とする病態が存在する発想すら浮かんでこない(文献B)(文献E)。

 尤も、これは敢えてエキス製剤で投与する場合の話で、湯液で行う場合はもっと合理的な処方が可能であるが、これはもっぱら中医学理論における弁証論治でのみ成し得ることである。

文献

(文献B)菅沼栄著「中医方剤学とエキス剤」(「中医臨床」誌1988年9月 通刊34号)東洋学術出版社発行
(文献D)村田恭介著「求道と創造の漢方」1985年5月 東明社刊
(文献E)村田恭介著「加味逍遙散加桂枝桃仁について」(「和漢薬」誌1978年4月号 通刊299号)

続きは⇒(5)漢方医学(日本漢方)における虚実論における錯誤
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2018年11月10日

『中医学と漢方医学』(3)中医学基礎と漢方医学基礎

(3)中医学基礎と漢方医学基礎

 さて、中医学における前述の三つの基礎課程、即ち、中医基礎学、中薬学、方剤学は、漢方医学においては、どういうものが該当するであろうか?

 まず、中医基礎学に該当するものは当時、長濱善夫著「東洋医学概説」、西山英雄著「漢方医学の基礎と診療」などがあったが、その後、私の知る限りでは、山田・代田共著「図説東洋医学」のみである。

 漢方基礎学は、「陰陽」、「虚実」、「表裏」、「寒熱」、「気血水」を特に重視し、三陰三陽の六経弁証、日本特有の腹診法等が主であって、その他の細かいところは、傷寒論、金匱要略に重要なことはすべて書かれているとする立場が中心であるようだ。

 黄帝内経思想は、書物によっては大いに取り上げられているようだが、鍼灸治療の立場と異なって湯液治療の臨床的運用においては、それほど重要視されていないのが平均的なところであるように思われる。

 そして未だにこれが漢方医学であると示される程に体系化された教科書、または教科書的な基準が出来てはいない現実はいかにもさびしい

続きは⇒(4)両医学におけるにおける臨床実践上の虚実論の比較
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2018年11月09日

『中医学と漢方医学』(2)昭和末期の漢方医学の一般的な学習方法

(2)昭和末期の漢方医学の一般的な学習方法

 ところで漢方医学においてこれ等に該当する教科書的なものはかなりいびつであった。
 私自身が過去十六年間に学習した経験を思い返してみても、主軸は漢文の素読に始まるご存じ傷寒論、金匱要略の原書。
 そして一字一句に拘泥する綿密な読解と解釈。

 この読解と解釈の為には、先人の書かれた多くの各解説書も必要であった。それになお、実践に即役立つ吉益東洞著、尾台榕堂註の「類聚方広義」、口訣集と言われる先人の臨床経験談の数々の書籍や近年の臨床家による処方解説書。

 漢方は傷寒論に始まって、傷寒論に終わるとさえ言われた時代でもあったと思うが、実際の臨床面では、傷寒、金匱の研究以外に、臨床家による処方解説書と現代人による治験例集の数々の読書によって、処方運用の実際を学びつつ、即実践に役立てていた。

 最近、仄聞したことだが、中国から某科の西洋医学を学びに来日した西洋医師が、日本の漢方は、傷寒、金匱が中心的な教材であることを知って、あまりの時代遅れに驚き、また健康保険で使用される処方内容のアンバランスさと、小柴胡湯などの乱用に等しい使い方(文献C)を見て、全くあきれ果てたということであった。

文献

(文献C)村田恭介著「漢方経験雑録」(「和漢薬」誌1988年4月号 通刊419号)ウチダ和漢薬発行

続きは⇒(3)中医学基礎と漢方医学基礎
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2018年11月08日

『中医学と漢方医学』(1)方証相対と弁証論治

1989年月刊『和漢薬』誌1月号(通刊428号)巻頭論文として掲載された拙論『中医学と漢方医学』(村田恭介著)のほぼ全文をほとんど修正せずに転載。決して古びた内容とは思えない。
 平成元年1月、本場中国の漢方、中医学が日本国内に次第に認識され始めた1980年代後半に漢方と漢方薬の業界紙に書いた拙論。当時の漢方界の時代状況の一端を反映しているはずである。

     (1)方証相対と弁証論治

 中国では「漢方」と言えば日本の伝統医学、すなわち漢方医学のことであり、中国の伝統医学はすべて「中医学」であって、漢方とは言わない。「漢方」という言葉は元来が日本語である。(文献@)  
 であるから、漢方医学と言えば日本の古方派、後世方派、折衷派を総称したものの様である。尤も昨今は折衷派が大半のように思われる。

 漢方医学の特徴を要約すれば方証相対論による処方単位のパターン認識が主体ということであろう。【病態認識】がそのまま【方剤=実際処方】として短絡的に繋がり、その病態認識ですら、方剤の名称を持って来て、何々湯証として認識される。
 常に方剤中心の医学と言っても過言ではない。後述するような中医学の中核である「弁証論治」の様に【病態認識】【治法】【方剤】【実際処方】(文献A)と連携される訳ではない。
 
 ところで近年、新たな勢力として現代中国医学、即ち中医学派が台頭しつつあるのは周知の通りである。
 この中医学とは、陰陽五行論を基礎概念として広い中国国内の多くの流派、多くの学説を整理し系統的に総括統合し平均化して構築された一大医学体系である。
 その特徴は、弁証論治が中核となる。【病態認識】【治法】【方剤】【実際処方】(文献A)と連携され、それぞれの項目において厳密且つ系統的な思考が要求される。
 その病態認識はかなり統一された豊富な専門用語によって表現され、系統的分析的に整然と把握される。その後に続く【治法】【方剤】【実際処方】においても同様である。

 この中医学の中核をなす弁証論治を多少とも満足に行えるようになるには、中医学特有の哲学理論に基づいた複雑な全体系を系統的に学習しなければならない。
 現在の中国においては、菅沼中医師によれば、「中国の中医学院では、カリュキュラムは中医基礎学、中薬学、方剤学の三課程が基礎医学の柱」(文献B)となっていると言われる。
 それ等の教科書類の原書、或はそれに類する原書は、今日かなり自由に手に入れることが出来る。但し、これら三課程は最低の基本線であることを忘れてはならない。

  文献

(文献@)張瓏英著「臨床中医学概論」自然社発行/緑書房発行
(文献A)田川和光著「漢方エキス剤の中医学的運用」(「中医臨床」誌1988年9月通刊34号)東洋学術出版社発行
(文献B)菅沼栄著「中医方剤学とエキス剤」(「中医臨床」誌1988年9月 通刊34号)東洋学術出版社発行

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