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2025年10月24日

漢方医学発展への道 (中医学と日本漢方) 村田恭介著

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異病同治の日本漢方と、同病異治の中医学を合体した『中医漢方薬学』

 本論の元版は1990年に『中医臨床』誌の9月号(通巻42号)に発表した
「中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤」です。

 
 当時から常々提唱していた「中医漢方薬学」論のひとつでもあり、エキス製剤でも充分な効果が得られることも実証したかった面もありました。

 初期の10年近く日本漢方の吉益東洞流の学習と実践の後、中医学に転向しましたが、日本流時代は煎薬ばかりに拘泥していたのに、中医学派に転向後は煎薬に拘らず、むしろ積極的にエキス製剤等の既製品に力を入れるようになりました。

 その理由は中医学理論および中医方剤学のみならず中薬学を知れば知るほど、代替方法を考えることは知識と技術を磨く上で、如何に重要かということを知るのと同時に、煎薬を製造することで多くの時間を奪われるくらいなら、悩める方々のお話をじっくりお聞きし、西洋医学の先生の診断等のご意見も参考に適切な漢方薬をアドバイスして差し上げる方が、遥かに重要ではないかと愚考した面と二つの要因がありました。

 ともあれ、本論も日本漢方を中国漢方に吸収合併させるべきとの年来提唱の「中医漢方薬学」論の一つに変わりはなく、両医学の長所と短所を挙つつ、その両医学の接点としてのエキス剤を論じたものでした。

 しかしながら、平成17年の現在、改訂を何度も試みるうち、論旨の途中からどんどんとウエイトが「異病同治」の理論研究の必要性を論じることに力が入り、あらためて日本古方派の優れた面には大いに再認識するところがあり、元古方派として著者自身が昔お世話になった古方派の漢方専門の先生方に、少しは恩返しが出来るかもしれない拙論となり、ホッとしている次第です。

 それゆえ、結局は大幅な改訂版となってタイトルまで変えずにはおれなくなりました!もともとのタイトルは『中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤』でした。

 結果的に「漢方医学発展への道」としての、大きなルートを開拓したのではないかと、いささか、誇大妄想的な自負を抱けるような結論が導かれたことと信じています。

 例によって本論発想のきっかけは、やはり(日本漢方に対する言及は一切無いものの)陳潮祖教授の『中医病機治法学』に多くを負うものでした。

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   はじめに

 中医学の特長の一つに、手元に充分な中草薬がない場合でも、弁証論治にもとづいた代替品を利用することで、一定レベルの治療効果を確保することを可能にする融通性がある。
 
 たとえば、天麻が手元にないとき、肝風内動による痙攣や震えには釣藤鈎、白彊蚕などで代用し、肝陽上亢から生じた眩暈・頭痛などでは代赭石・石決明で代用する、といった類である。

 数ある中医学の特長のなかで、このことは一見些細なことのように思えるが、限りある天然資源のことを思うと、日ごろから代替品の研究と応用は必要であると思われる。
 そして、その一つの代替の方法として漢方処方エキス製剤等の既製品を利用して多くの疾患に対処することで、一定レベルの治療効果が確保できるものなら、服用者の便利さとともに、薬剤師の調合業務の能率向上の点からも望ましいことではないかと愚考するものである。

   
   基本方剤の模倣

 たとえば一つの問題として、中医学における基本方剤を、日本で製造されている漢方処方エキス剤などの既製品だけで代用することは不可能なものであろうか。

 血府逐瘀湯を使用したいとき、四逆散合折衝飲各エキスの合方で、地黄・桔梗が不足しているものの、一応の基本的な効果は充分に期待できるようである。
 一般的にも既に広く行われている気虚血瘀に対して、補中益気湯合桂枝茯苓丸料各エキス合方などは、ときには補陽還五湯の代用品として通用できなくもない。
 桃紅四物湯などは、桂枝茯苓丸料合四物湯各エキス合方。天麻鈎藤飲は、釣藤散料合黄連解毒湯合六味丸料各エキス合方。
 独活寄生湯は、疏経活血湯エキスと海馬補腎丸との合方など。

 一部は牽強付会に過ぎる感はあるにせよ、弁証論治の基本から大きく外れなければ、代替品としての利用価値は計り知れない。

 最近も慢性化膿性骨髄炎で足に腐骨があり表皮に漏孔を作って膿が微量ずつ排出し続け、思うように入浴も儘ならない状態の患者さんに、日本でも良く使用される托裏消毒飲の代替として、玉屏風散エキス製剤に金銀花入りの荊防敗毒散料エキス製剤に白花蛇舌草の併用で一年半、基本的に漏孔も早くから塞がり安定した状態が続いてる。
 充分以上の代替となり、むしろ托裏消毒飲よりも効果的なのではないかと愚考しているところである。
 もちろん病院では手術によらないと不治というのを漢方方剤の配合により、寛緩状態にまでは充分に持ち込めているわけである。


   日本古方派の特徴と特長

 日本の古方派について、中医学派が注目するに値する点あるとしたら、基本方剤をあまり手を加えずに徹底的に応用しようとする精神であろう。

 基礎理論の点で多くの問題があるにせよ、一つの基本的な方剤を大切にする精神は、ともすれば実際の臨床時において、基本方剤の考察を忘れがちな中医学派にとっては、よい警鐘となるかも知れない。

 たとえば、少しは経験を積んだ古方派にとっては、桂枝茯苓丸料エキス単方のみによって、一人の女性患者に合併する気管支喘息・頭痛・吹き出物・乗り物酔いを同時に治癒あるいは軽快させる類のことは、それほど珍しいことではない。

 同じように柴胡桂枝湯エキス単方によって、小児喘息・夜尿症・自家中毒を同時に治癒あるいは軽快させることなどは比較的多いものである。

 さらに、古方派の行う経方単方による難治性疾患に対する治療例については、十分注目に値すると思われる。
 古方派の投与した方剤がどうして著効を奏したか、中医学的にはどのように解釈・分析が行えるのか。
 私自身の課題としても、過去に経験したことでありながら、桂枝茯苓丸料による気管支喘息等の多種合併する症候が治癒したメカニズムを中医学的に十分解明する能力を持てるようにならなければ、過去、日本の古方派漢方家であった経験を活かすことができないと思っている。

 もちろん、構造主義科学の一つであり、世界に誇れる構造主義医薬科学である中医学理論を駆使すれば、分析・解明の論文を書くことはそれほど困難なことではないのだが、それはどうしても「あと知恵」的な感は免れないのである。
 なぜなら、最初から弁証論治の病機分析から気管支喘息患者に桂枝茯苓丸が割り出せる確立はほとんど有り得ないことと愚考する。
 後に述べる「異病同治」の世界である日本古方派特有の発想にもとづく経験医学でなければ、思いつきにくいはずであろう。

 ともあれ、蛇足ながら最近経験した筆者の桂枝茯苓丸料エキス剤による二例をご紹介する。
 日本古方派にとっては全く当たり前の発想であるが、中医学のみの習得だけであったら自分自身、桂枝茯苓丸の発想はもっと遅れていただろうという経験である。

 57歳の男性のトラック運転手が、腰痛および左足の先まで走る電気的なシビレ感が強烈で、仕事に差し支えるが、医師は神経の圧迫だから手術すれば治ると勧められている。

 しかしながら、仕事を休めないので、定年までの「つなぎ」でよいから何とか症状を緩和して欲しいとの要求である。足先が冬でも火照る体質で、舌象からの肝腎陰虚に瘀血阻滞が明白であるから風邪を兼ねると見て、「現症の病機」だけに忠実に合わせたつもりの知柏腎気丸製剤に疏経活血湯製剤の合方で全く効果が無い。足部の火照りが解消しただけである。
 そこで過去の病歴を再度考慮し、40年前に足腰を強打した事故経験に照準を合わせ、まずは桂枝茯苓丸料エキス散のみの単独で、わずか10日間の服用で、かなり軽快。
 さらに雲南田七で補強することにして更に良好。古方派時代の経験のお陰で、かろうじて面目が保てた次第。

 もう一例は70歳を越える男性。
 10年以上前に長年の重度の坐骨神経痛を独活寄生湯エキス製剤と疏経活血湯エキス製剤に当時はまだ使用できた虎骨製剤に地竜エキス製剤の四者併用で長年の悩みが半年くらいで解消していた。
 最近(平成16年秋)健康法とて腰をひねる体操を始めて一週間、久しぶりに再発してしまったとて。前ほどはひどくないが歩くと攣って辛いと言う。
 疏経活血湯エキス錠と雲南田七の併用では殆ど効果がない。そこで、腰の捻挫でしょうとてこれに桂枝茯苓丸料エキス散を加えて即効があり、現在かなり楽になっている。 


   「異病同治」と「同病異治」

 ところで、敢えて極論させて頂ければ、中医学は「同病異治」の医学であり、日本の古方派漢方は「異病同治」の医学であると思われるのである。したがって、中医学は『金匱要略』を発展させたものであり、古方派漢方は『傷寒論』を日本独自の発想で応用・発展させたものであると言えるのである。

 成都中医学院の陳潮祖教授も一部指摘していることであるが、中国における『傷寒論』の研究は、過去の日本人の研究者の数を遥かに上回る多数の人々による成果が堆積しているはずであるが、いったい「異病同治」に対する研究が、十分になされて来たと言えるのであろうか?

 張仲景は『傷寒論』において、外感疾患の伝変法則を検討する形式を取りながら、「臓腑経絡を綱領として病機分析を進める方法」の道を開き、世に知らしめた。一方、『金匱要略』においては、『傷寒論』と同様に臓腑の生理・病理を根拠としているものの、病の種類別に病機を検討する形式を取っている。したがって、『金匱要略』においては『傷寒論』では存在しなかった「病名分類」が重要な位置を占めている。このようにして仲景は『傷寒論』を経とし、『金匱要略』を緯として、二書を縦横に連繋させ、以後の中国伝統医学における道標(みちしるべ)となる模範を示した。

 ところが、金元時代からは学科の分科が始まり、それ以後は病名別に病理を探究する方式が中心となり、『金匱要略』を基礎とした「同病異治」の理論研究が主体となったまま現在に至り、そしてそれがそのまま現代中医学の基本的な特徴とさえなった観を呈しているようだ。つまりは「それぞれ異なった病機に同一の症状が出現する」ことに対する治療方法の研究という同病異治の研究が、現在に至っても中心的な研究対象となっている現実は否定できないのである。

 反面では「同一の病機においても多種類の症状が出現する」ものであるが、この「異病同治」に対する明確な概念の追究は明らかに遅れを取っている。仲景が示した模範を十分に発展させて来たとは言い難く、一面的な発展方向にあった過去から現在までの状況を指摘せざるを得ないわけである。

 以上の論点は、何度も言うように陳潮祖教授の指摘による部分も多いので、筆者一人の独断だけとは受け取らないで頂きたいものである。


   中医学と日本漢方との接点

 ひるがえって、基礎理論が不完全で中国伝統医学(中医学)のような本来最も基礎的な部分を形成していたはずの「陰陽五行学説」という構造主義医科学の根本を捨て去ってしまった日本古方派にあっても、日本漢方なりの独自の『傷寒論』研究により、「異病同治こそ臨床的な現実である」とした臨床実践が多く行われて来た事実には注目する必要がある。たとえそれが吉益東洞が出現するまでは日本の後世方派も共通の基礎理論であった陰陽五行学を捨て去ったものであっても、現在も行われている、結果が伴う実践力があったことは歴史が証明していることである。

 「異病同治」の基本理念は、前述のように『傷寒論』が鍵を握っているわけで、それゆえ日本古方派の『傷寒論』に対する精神と臨床実践は、中医学派にとって「異病同治」に対する有益なヒントを与えるものとなろう。日本の古方派の難治性疾患に対する著効例を中医学的に詳細に分析して解説できるようになれば、自ずから「異病同治」の本質がどのようなものか、それら基本概念の更なる追究に大きな示唆を与えるに違いないのである。

 ただし、この作業にはお互いの派、つまり中医学派と日本古方派の協力が必要となるだけに多くの困難が予想され、以前本論の元版ではこれらのことを力強く訴えていたが、その後もそのような動きは見られない。そんなことなら元日本古方派出身の筆者自身がやればよいことだから、もう以前のような訴えかけは止めることにした。

 ところで最近、傷寒・金匱の経方ばかりの中医師による解説と症例集の翻訳書を手に入れたが、一番の指標となる「桂枝茯苓丸」を調べると、やはり日本古方派的な応用は皆無であった。筆者が日頃、三文のように利用する方文賢編『中医名方臨証秘用』(中国中医薬出版社)には、日本古方派特有としか思えない様々疾患、婦人科系疾患・前立腺肥大・甲状腺腫・肝炎は当然として、腰痛・痺証・気管支喘息・慢性腎炎・高血圧・血栓性静脈炎・慢性肺水腫・外傷感染・下肢潰瘍・脱疽・メニエール氏症候群・鼻出血:慢性副鼻腔炎・中心性網膜炎等々、まだまだ沢山の応用面の記載があるが、日本漢方の文献も相当参考にされている書籍であるから、純粋に中国における中医師の経験報告とは思えない。

 やはり、今(平成17年1月)にして思うことは、経方の応用に関しては、つまり「異病同治」の臨床実践に関しては、日本古方派漢方は中国のみならず世界に誇っても良いのだと、あらためて実感しているところである。


   中医学の一部であるべき日本漢方

 ただし、ここで特に指摘しておきたいことは、日本の漢方も中国の伝統医学に「復帰」すべきであり、したがって日本の古方派も中医学の中に包括されるべきものである、ということである。

 そもそも、ときに言われる「日本の伝統医学」という表現は、ほとんど間違った表現であり、本来、日本でも中国の伝統医学を輸入したものであり、とうぜん同じ医学・薬学であったものを、江戸期に吉益東洞がブチ壊しにしてしまったのである。東洞批判の詳細は拙論『日本の将来「中医漢方薬学」の提唱』(「漢方の臨床」誌 第35巻12号 東亜医学協会創立50周年記念特集号)で述べた通りである。

 このままでは日本漢方は世界の異端児のままであり、さらには現実にみられるように、「西洋医学化」という名のもとに、いよいよ邪道の道に迷い込み、いよいよ本質を忘れた似非東洋医学に堕するのみである。東洋医学、とりわけ漢方の世界において、「日本の常識は、世界の非常識」と言われている現実をもっと認識して欲しい。

 日本漢方も本来あるべき中国伝統医学の一部として、中医学という構造主義医薬科学の基礎である陰陽五行学説を再認識し、上述したように「中医学」の弱点、「異病同治」の世界を知らしめるのと同時に、中医基礎理論を取り戻して「構造主義科学」のレベルにまで復帰すべきなのである。 

   「異病同治」を追究する意義

 「異病同治」の概念を明確にしていくことの意義は、『金匱要略』方式では病気の種類別で病機分析を行う方法では、単に病機における横並びの関係をあらわすのみであり、検討される病の種類には限界がある。『諸病源候論』記載の病名1720則すべてを網羅することは不可能である。

 ところが『傷寒論』方式では、臓腑経絡を大綱にして病機分析を行う方法であるから、簡便な方法によって複雑な病態を整理でき、無限のあらゆる病変に対処できる。傷寒論研究者は注釈を施すのみで、『傷寒論』を模範とした研究を怠り、病機体系を発展させ完全なものに近づけようとはしてこなかったために、臓腑の生理・病理を大綱とした縦向きの研究、すなわち「異病同治」の理論については、却って見慣れないものになり、明確な概念の把握を困難にしている、というのが名著『中医病機治法学』の中で陳潮祖教授の指摘されるところである。

 それゆえに、日本古方派が長期にわたる臨床実践で得られた成果の中医学的分析は不可欠なのである。日本特有の「口訣集」なども相当に参考になるはずである。このように、陳潮祖先生が中医学に不足していると言われる「異病同治」の発展と完成を目指せるのは、この日本国内であるのに、筆者が知る限りでは、まだ今のところ誰も手を出そうとされていないようで、大変惜しいことである。

 このように経方が中心となっている日本の各種エキス製剤にも応用範囲がさらに広がり、中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤が光り輝いて来るのである。


   むすび

 漢方専門薬局を経営して32年。吉益東洞流を10年やって基礎理論の皆無に等しいひどさにとうとう見切りをつけ、中医学派に転向したものの、東洞流に苦言を呈し続けながらも、「異病同治」を臨床の現実として当然視する日本漢方の鋭さにも無意識に気付いていたのか、結局は「異病同治」の日本漢方と「同病異治」の中医学を合体して「中医漢方薬学」論を提唱せずにはおれなかった筆者である。中医学的な「異病同治」の分析は、私こそやるべきではないかという天の声が聞こえて来ないでもないが、そこまでのエネルギーが残っているのかどうか?平成17年1月11日の早朝、思案しているところである。
posted by ヒゲジジイ at 16:30| 山口 ☀| 中医学と漢方医学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月18日

『中医学と漢方医学』(11)とっても重要な「追記!」

  (11)追記

(追記1)

 中医学を今から本格的に始めようとされる方に是非、お奨めしたい書物としては、(文献@)の張瓏英先生著作の「臨床中医学概論」がある。

 日本漢方からなかなか中医学に転向出来ずに悩んでいる方には特に最高の書籍であると思う。私にとっては久々に目からウロコが本当に落ちてしまったくらいである。

 一般の中国語の原書や翻訳書では決して知ることの出来ない中医学マスターのコツが随所に書かれている。何はともあれ御一読を!

(追記2)

 最近ある機会から、中医師のT氏に親しく御教示を賜る光栄に浴した。
 氏は中国に四十年間在住し、後半の二十年を中医師として過ごされた。六年前に帰国され、現在はM社の対中企画室に勤務されておられる。

 氏のお話で特に印象深かったことは、「二十年間の診療中、一度として同じ処方を投与することはなかった。」どんなに似ている病人でもそれぞれに特殊性があるのだから(文献G)「日本漢方のように定型処方だけで病人を治療するのは原則的に言えば、決して正しいことではない。そんなことでは中国で一般の人が薬屋さんに行って中成薬を買って服用するのと同じレベルですよ」と言われたことであった。

 とは言え、日本には様々な事情から自在な処方が作れない。原料の中草薬の問題は一昔前と違って各漢方生薬メーカーさんに注文すれば殆どのものが入手可能ではある。

 ところが医師の場合は湯液治療までは手が伸ばせない方も多く、為に保険漢方で扱える範囲のエキス剤しか使用出来ない。薬剤師の場合は湯液やエキス剤の加減をすることが出来ない等の制約がある。

 ところが私の拙い経験から言えば、既成の処方エキス剤や薬局製剤できめられた範囲の煎剤でも、中医薬学的思弁を活用することは、かなりなところまで可能であると思う。

 但し、T氏が言われる、「二十年間に一度として同じ処方を投与したことはなかった」との正統な中医学の{実際処方}の在り方を忘れてはならない。それほど中医学は奥深いものであろうと思う

 従って我々は中医薬学をたゆまず学習し、これに漢方医薬学知識を吸収合併させることで、「中医漢方薬学」を新たに創造して行けば良いではないかと考えている。ここに、ものまね上手な日本人の持前の器用さを発揮する時と場所があると愚考している。(文献D)(文献G)

文献
(文献@)張瓏英著「臨床中医学概論」自然社発行/緑書房発行⇒『新編・中医学 基礎編 』源草社刊!!!
(文献D)村田恭介著「求道と創造の漢方」1985年5月 東明社刊
(文献G)村田恭介著「『弁証論治』と『方証相対』雑感」(「漢方研究」誌1982年2月号)小太郎漢方発行
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2018年11月17日

『中医学と漢方医学』(10)日本漢方(漢方医学)の将来のために

 (10)日本漢方(漢方医学)の将来のために

 以上、浅学菲才を棚に上げて、中医学と比較することによって自国で発展した漢方医学批判を繰り返す愚を犯してしまったようだ。これ等はあくまで、私個人の見解であるが、これによって多くの方々に不快を与えることを恐れる。然し、私は現在の見解の思うところを声を大にして訴えたい。

 これから漢方医学は、中医学派によって、吸収合併されざるを得ないだろうと。それ以外に生き延びる道はもう無いように思われる。

 漢方医学が医学として存続するには、あまりにも理論体系が貧弱に過ぎ、発展する余地が乏しいと思う。

 とりわけ、個々の生薬に対する認識不足は、漢方理論の貧弱さと相俟って、絶望的であるとさえ思われる。

 ただ、方剤に対する認識と腹診法、その他、傷寒論、金匱要略に対する認識に一応の見るべきところはあるが、これらは、積極的に、中医学に吸収合併してもらうべきであると愚考するのである。

 いや、このように主張する必要はないのかも知れない。器用な我々日本人は、我々だけで創造するのは不得意でも、他国の創造物を改良発展させる技術においては定評のあるところである。わが国において、漢方医学が中医学に吸収合併されていくのは必然的なことであり、もう既にその第一歩を踏み出している時代が来ていると信じたい。

 ある患者が漢方薬で病気が治った場合、どうしてその漢方薬が効いたのか。その患者の病態の説明{病態認識}、それに対する治療の方法とその理由{治法}、それに該当する基本方剤の設定とその設定理由{方剤}、実際に投与する時の具体的処方内容と、それぞれの薬物の配合目的及びその配合理由{実際処方}。

 これらを筋道たてて論理的に説明できる理論と法則が漢方医学にどの程度あるものか?

 薬学部出身の一介の漢方薬屋の分際でありながら、日本の漢方医薬学について兎や角言う筋合いではないかも知れないが、その素材の生薬は私の専門分野である。

 薬の専門家のはしくれである立場から見て、昨今のような漢方医薬学の在り方に、多大な疑義を抱くに到った訳である。

 日本の漢方医薬学の歴史を遡って考えれば、決して昨今の様なものではなく、現在の中医学につながる医学思想を持つ「後世方派」が主流を占めていた時代もあった。

 たまたま学問世界の復古主義が流行した折、吉益東洞という天才的な人物が登場し、傷寒論、金匱要略のみを是とし、且つ方証相対論を旗印にした「古方派」が次第に主流となるに到った。

 現在では「折衷派」が主流とは言え「方証相対論」の錦の御旗は東洞以来、変わることがない。

 ところがその間、中国との国交が回復して以来、急速に中医学が日本に入り込んで来た。一部では熱心に学習され、日本の伝統医学である漢方を殆ど完全に見捨ててしまった人もいるようだ。

 私自身にしても漢方医学とは対照的な中医学の在り方を多少とも実際に知るにつけ、この日本の伝統医学に対する疑義は最高潮に達してしまったのである。

 以上の稚拙なる私見に対して当然、多くの反論があるのは覚悟の上である。

 特に漢方医学の理論体系の有無について、また実証、虚証についての漢方医学上の定義については、私の極論的な決め付け方に相当な非難があることは覚悟している。是非、忌憚なき御批判と御指導をお願いしたい。

 少しでも自国の漢方医薬学の発展と繁栄のためになることなら、一人くらい本音を包み隠さず公言するドンキホーテがいてもよいではないかと居直っている昨今である。

続きは⇒(11)追記
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2018年11月16日

『中医学と漢方医学』(9)中医学の優越性について

   (9)中医学の優越性

 翻って、中医学にはまだまだ無限の可能性が秘められており、例えば「四診」の方法において、(この分野には将来、日本の腹診法の貢献も考えられるが・・・)「八綱弁証」「気血弁証」「臓腑弁証」「三焦弁証」「衛気営血弁証」「六経弁証」「病邪弁証」「外感熱病弁証」などの弁証項目のバリエーション、「治則」や「治法」における新見解から創造される「方剤学」の更なる発展への期待。(この方剤学にはとりわけ日本漢方の貢献も十分に期待される。)さらには「中薬学」の分野のみならず、基礎学や各論における理論面においても、新たな見解や理論を追加修正する余地と発展進歩性を十分に残している(文献F)。

 張瓏英先生によると「現代の中医学はあくまで現段階の水準のものに過ぎず、もちろん絶対的なものではない。理論上、実践上、いろいろの矛盾、不統一は少なからず存在するのが現実である。一方立場をかえてみれば、矛盾、不統一であるからこそ、今後の新しい飛躍があり得るし、新しい発展進歩が大いに期待される。新しい方剤の創造、新しい中薬の発見はあり得るし、私たちもそれに努力すべきと思っている。」(文献@)と言われる。

 蓋し、我々はそれ以前の問題として、いつまでも漢方医学の殻に閉じこもってばかりいないで、中医学の基本課程を一日も早く修得する必要があると思う。

 再び張先生によれば、「中医学は大学生が5〜6年もかけてやっと中医師の最低基準に達するほどの学問であり、単期日のうちに修得できるものでは決してなく、たゆまぬ努力と研究が要求されるものである。中医学も系統的な一つの学問であるから、基礎理論は十分修得する必要がある。あくまで臨床実践はその上に初めて成り立つものであるから、理論学習は一見遠回りのようではあるが、結局は近道となるからである。」(文献@)、といわれる。

 筆者のような浅学菲才の者にとっては十数年間、中途半端に続けていた為に、最近になってようやく初歩を一歩踏み出した程度にしかなっていない。それでも、少なくとも漢方医学を学習している上では常に理論上のあいまいさ、不可解さに悩まされ続けていたストレスが、中医学の学習が深まるにつれ、雲散霧消しつつある。

文献

(文献@)張瓏英著「臨床中医学概論」自然社発行/緑書房発行
(文献F)村田恭介著「読書と漢方」(「和漢薬」誌1988年9月号 通刊424号)ウチダ和漢薬発行

続きは⇒(10)日本漢方(漢方医学)の将来のために
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2018年11月15日

『中医学と漢方医学』(8)漢方医学に将来はあるのか?

  (8)漢方医学に将来はあるのか?

 先人の多くによって、或は近年の膨大な治験集の数々によって、繁用処方の使い方は日本的に徹底的に研究されて来た。これ等によって、日本独自の多くの処方解説書を生んでいる。

 比較的少ない処方で、多くの慢性病に対処し、一定の成果をもたらせて来た自信と誇り、中医学と一線を画する日本独自の漢方医学は方剤中心のパターン認識の医学であり、これまた独自の腹診法と相俟って、益々発展するかに見えるが、私にはそうは思えない。

 まず、方剤学及び腹診法においての成果を認めるに吝かではないが、医学としての発展性については殆ど絶望している。

 もしも発展する可能性があるとしたら、唯一つの道があるのみ、中医学に吸収合併されることである。もしも、この吸収合併がなされなかったら、まず漢方医学の進歩はあり得ず、医学もどきの存在として、中医学派に対して随分と肩身の狭い思いをする時代が来るに違いないと思うのである。

 医学思想として、体系化出来るほどの全体観と基本理念、及び成熟した専門用語を持つ訳でもない言語障害的な漢方医学の存在は、医学と言うには余りに貧相である。

 細部を見れば傷寒論、金匱要略の研究において、洗練された独自の見解が多々見られるにしても、いつまでも原始医学を墨守するのは時代錯誤も甚だしいと思われるのである。

続きは⇒(9)中医学の優越性
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2018年11月14日

『中医学と漢方医学』(7)漢方医学に「方剤学」といわれるほどのものは、はたしてあるのかどうか?

   (7)漢方医学における方剤学

 次に中医学における「方剤学」に該当する部分である。私見によればこの分野にのみ、辛うじて見るべきものが漢方医学にはあると思われる。

 方剤中心のパターン認識の医学としては、この分野にのみ本領があり、これあるが故に、西洋医学に打ち消されることなく現在まで生き残れた所以であろう(文献G)。

 傷寒論、金匱要略の原始処方を中心に、その不足分を後世方から恣意的に追加して、処方毎にパターン化されている。その使用目標とされるところは、それほど理論化されている訳でもなく、使い方のニュアンスを伝える口訣(くけつ)は豊富で様々に表現されて来た。

 また、傷寒論、金匱要略等を深く読み込むことによる奇抜?な発想から応用した時の著効例などは枚挙に暇が無い。あたかも芸術的センスと、何物にも囚われない創造力や発想力が要求される。

 勘の冴えによって摩訶不思議な著効を生み続けた歴史と伝統が、多くの名人を生んで来た事は事実である。

文献:(文献G)村田恭介著「『弁証論治』と『方証相対』雑感」(「漢方研究」誌1982年2月号)小太郎漢方発行

続きは⇒(8)漢方医学に将来はあるのか?
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2018年11月13日

『中医学と漢方医学』(6)中薬学に比べて見劣りがする漢方薬学

 (6)中薬学に比べてあまりにも見劣りがする漢方薬学

 次に、「中薬学」に該当する漢方医学におけるものはどうか。今、ちょっと思い浮かべても思い当たるのは吉益東洞の「薬徴」、浅田宗伯の「古方薬義」。近年の著作としては、管見によれば伊藤清夫先生監修の「漢薬運用の実際」であろうか。

 他にも種々あるにはあるが、どの書籍も、これが漢方医学における漢方薬学であると誇れるに足るものがあるとは考えられない。強いてあげるならせいぜいのところ、東洞の「薬徴」とその流れを汲むものであろうか。

 時折見られるこの分野の出版物は中薬学と現代生薬学の成果を取り入れた雑然としたものであるようだが、脆弱な基礎医学しか持たない漢方医学においてすぐれた漢方薬学が生まれないのは当然の帰結であろう。基本が脆弱なのだから、主体性のない切り貼り仕事の薬学書しか生まれる筈もない。

 この分野も漢方医学における大きな弱点の一つである。方剤中心のパターン認識が主体の医学としては当然の帰結かもしれない(文献F)。

文献:(文献F)村田恭介著「読書と漢方」(「和漢薬」誌1988年9月号 通刊424号)ウチダ和漢薬発行

続きは⇒(7)漢方医学における方剤学
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2018年11月12日

『中医学と漢方医学』(5)漢方医学(日本漢方)の虚実論における錯誤

 (5)漢方医学(日本漢方)の虚実論における錯誤

 あいまいな漢方理論は、体格のみかけによって虚実を判断して良しとする誤解すら招く。
 病人を実証、虚証、虚実間の三通りに分類し、それぞれ恣意的に決められた実証向け、虚証向け、虚実間向けの各処方にあてはめようとするパターン認識の方法が漢方医学の精髄であるとするなら、極めて幼稚な医学と言わざるを得ない。

 民間療法を漢方薬より幼稚な療法であると下に見る風潮が一般であるが、このような医学であるのなら、漢方医学も民間療法に毛が生えたくらいのものだと言われてもしかたないのではないだろうか?

 このように虚実の問題一つを取り上げてみても、中医学におけるそれと比較すると、漢方医学理論が如何に底の浅い基礎理論であるかが分る。
 漢方薬がしばしば著効を現すことを認めるに吝かではないが、このような基礎理論であっては、これを医学と言うには、あまりに貧弱すぎはしないだろうか。

 たとえ複雑に理論が錯綜しようとも、より科学的で且つ論理的に体系化された中医学の基礎理論の病態認識の在り方に学ぶべき所は多い。
 基礎学という面から比較して見ても漢方医学が医学と呼ばれ、医学として誇れるほどの理論や体系があるとは、私にはとうてい思われないのである。

続きは⇒(6)中薬学に比べてあまりにも見劣りがする漢方薬学
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2018年11月11日

『中医学と漢方医学』(4)臨床実践上の虚実論の比較

(4)両医学におけるにおける臨床実践上の虚実論の比較

 私自身は漢方医学と並行して中医学を学習し始めて十数年間になるが、その過程で、漢方医学を批判的に眺めはじめたきっかけ(文献D)は虚実の問題からであった。

 漢方医学の考え方において、体質及び方剤を実証、虚証、虚実中間型に分ける特有のやり方には、多々問題があるように思われる。
 体力が余っているのを実証、体力が衰えているのを虚証と決めるやりかたは非科学的であり漠然とし過ぎている。
 実証用、虚証用、或は虚実中間用とされる方剤にしても恣意的な感を免れない。

 それに比較して、「実とは外因、内因を含めた病邪の存在を言い、虚とは生体の機能面、物質面の不足を意味する」と規定する中医学のありかたにおいては合理的な病態把握が可能である。
 即ち、多くの病人は、とりわけ慢性疾患の場合、虚実挟雑しているのが一般であり、それ故、「扶正祛邪」の治法が自明のこととなる。

 ところが漢方医学に従っていると、体力の強弱のみで虚実を論じ続けるあまり、病邪の存在の問題を忘れ兼ねない。

 例えば、桂枝茯苓丸を実証用、加味逍遙散を虚実中間用、当帰芍薬散を虚証用として恣意的に決め込んでしまい、同一の病人に、これら三処方すべてが同時に必要とする病態が存在する発想すら浮かんでこない(文献B)(文献E)。

 尤も、これは敢えてエキス製剤で投与する場合の話で、湯液で行う場合はもっと合理的な処方が可能であるが、これはもっぱら中医学理論における弁証論治でのみ成し得ることである。

文献

(文献B)菅沼栄著「中医方剤学とエキス剤」(「中医臨床」誌1988年9月 通刊34号)東洋学術出版社発行
(文献D)村田恭介著「求道と創造の漢方」1985年5月 東明社刊
(文献E)村田恭介著「加味逍遙散加桂枝桃仁について」(「和漢薬」誌1978年4月号 通刊299号)

続きは⇒(5)漢方医学(日本漢方)における虚実論における錯誤
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2018年11月10日

『中医学と漢方医学』(3)中医学基礎と漢方医学基礎

(3)中医学基礎と漢方医学基礎

 さて、中医学における前述の三つの基礎課程、即ち、中医基礎学、中薬学、方剤学は、漢方医学においては、どういうものが該当するであろうか?

 まず、中医基礎学に該当するものは当時、長濱善夫著「東洋医学概説」、西山英雄著「漢方医学の基礎と診療」などがあったが、その後、私の知る限りでは、山田・代田共著「図説東洋医学」のみである。

 漢方基礎学は、「陰陽」、「虚実」、「表裏」、「寒熱」、「気血水」を特に重視し、三陰三陽の六経弁証、日本特有の腹診法等が主であって、その他の細かいところは、傷寒論、金匱要略に重要なことはすべて書かれているとする立場が中心であるようだ。

 黄帝内経思想は、書物によっては大いに取り上げられているようだが、鍼灸治療の立場と異なって湯液治療の臨床的運用においては、それほど重要視されていないのが平均的なところであるように思われる。

 そして未だにこれが漢方医学であると示される程に体系化された教科書、または教科書的な基準が出来てはいない現実はいかにもさびしい

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2018年11月09日

『中医学と漢方医学』(2)昭和末期の漢方医学の一般的な学習方法

(2)昭和末期の漢方医学の一般的な学習方法

 ところで漢方医学においてこれ等に該当する教科書的なものはかなりいびつであった。
 私自身が過去十六年間に学習した経験を思い返してみても、主軸は漢文の素読に始まるご存じ傷寒論、金匱要略の原書。
 そして一字一句に拘泥する綿密な読解と解釈。

 この読解と解釈の為には、先人の書かれた多くの各解説書も必要であった。それになお、実践に即役立つ吉益東洞著、尾台榕堂註の「類聚方広義」、口訣集と言われる先人の臨床経験談の数々の書籍や近年の臨床家による処方解説書。

 漢方は傷寒論に始まって、傷寒論に終わるとさえ言われた時代でもあったと思うが、実際の臨床面では、傷寒、金匱の研究以外に、臨床家による処方解説書と現代人による治験例集の数々の読書によって、処方運用の実際を学びつつ、即実践に役立てていた。

 最近、仄聞したことだが、中国から某科の西洋医学を学びに来日した西洋医師が、日本の漢方は、傷寒、金匱が中心的な教材であることを知って、あまりの時代遅れに驚き、また健康保険で使用される処方内容のアンバランスさと、小柴胡湯などの乱用に等しい使い方(文献C)を見て、全くあきれ果てたということであった。

文献

(文献C)村田恭介著「漢方経験雑録」(「和漢薬」誌1988年4月号 通刊419号)ウチダ和漢薬発行

続きは⇒(3)中医学基礎と漢方医学基礎
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2018年11月08日

『中医学と漢方医学』(1)方証相対と弁証論治

1989年月刊『和漢薬』誌1月号(通刊428号)巻頭論文として掲載された拙論『中医学と漢方医学』(村田恭介著)のほぼ全文をほとんど修正せずに転載。決して古びた内容とは思えない。
 平成元年1月、本場中国の漢方、中医学が日本国内に次第に認識され始めた1980年代後半に漢方と漢方薬の業界紙に書いた拙論。当時の漢方界の時代状況の一端を反映しているはずである。

     (1)方証相対と弁証論治

 中国では「漢方」と言えば日本の伝統医学、すなわち漢方医学のことであり、中国の伝統医学はすべて「中医学」であって、漢方とは言わない。「漢方」という言葉は元来が日本語である。(文献@)  
 であるから、漢方医学と言えば日本の古方派、後世方派、折衷派を総称したものの様である。尤も昨今は折衷派が大半のように思われる。

 漢方医学の特徴を要約すれば方証相対論による処方単位のパターン認識が主体ということであろう。【病態認識】がそのまま【方剤=実際処方】として短絡的に繋がり、その病態認識ですら、方剤の名称を持って来て、何々湯証として認識される。
 常に方剤中心の医学と言っても過言ではない。後述するような中医学の中核である「弁証論治」の様に【病態認識】【治法】【方剤】【実際処方】(文献A)と連携される訳ではない。
 
 ところで近年、新たな勢力として現代中国医学、即ち中医学派が台頭しつつあるのは周知の通りである。
 この中医学とは、陰陽五行論を基礎概念として広い中国国内の多くの流派、多くの学説を整理し系統的に総括統合し平均化して構築された一大医学体系である。
 その特徴は、弁証論治が中核となる。【病態認識】【治法】【方剤】【実際処方】(文献A)と連携され、それぞれの項目において厳密且つ系統的な思考が要求される。
 その病態認識はかなり統一された豊富な専門用語によって表現され、系統的分析的に整然と把握される。その後に続く【治法】【方剤】【実際処方】においても同様である。

 この中医学の中核をなす弁証論治を多少とも満足に行えるようになるには、中医学特有の哲学理論に基づいた複雑な全体系を系統的に学習しなければならない。
 現在の中国においては、菅沼中医師によれば、「中国の中医学院では、カリュキュラムは中医基礎学、中薬学、方剤学の三課程が基礎医学の柱」(文献B)となっていると言われる。
 それ等の教科書類の原書、或はそれに類する原書は、今日かなり自由に手に入れることが出来る。但し、これら三課程は最低の基本線であることを忘れてはならない。

  文献

(文献@)張瓏英著「臨床中医学概論」自然社発行/緑書房発行
(文献A)田川和光著「漢方エキス剤の中医学的運用」(「中医臨床」誌1988年9月通刊34号)東洋学術出版社発行
(文献B)菅沼栄著「中医方剤学とエキス剤」(「中医臨床」誌1988年9月 通刊34号)東洋学術出版社発行

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