漢方薬とは
漢方薬とは、漢方で用いる草根木皮や動物類を原料とした医薬品、つまり治療薬のことを指す。
しかしながら、ネット界では「漢方」と同様、健康食品と同列に置くという甚だ錯誤・混乱したひどい扱いである。これだから薬事法違反が横行するはずである。
また、なんと驚くべきことには某大手検索サイトさんでも「健康食品 > 漢方薬」という分類を行うほどだから、唖然とするばかりである。
先年、このことについて当の某超大手検索エンジンさんに筆者が訂正を求める要望書を提出したことがあった。
そして当時の応答内容をブログ「漢方と漢方薬の正しい意味」で掲載しているので、以下に引用する。お問い合わせ内容たまには、応援のクリックお願いします!⇒
いつも検索ではありがたく利用させて頂いております。
さて、問題は登録依頼とは無関係な問題でございます。貴社のカテゴリ区分の問題です。
漢方薬が健康食品の下位となっていること、つまり、
健康食品 > 漢方薬
ビジネスと経済 > ショッピングとサービス > 健康 > 健康食品 > 漢方薬
とされるのは間違いだと存じますがいかがでしょうか?
そもそも「漢方とは中国から伝来した医術であり、漢方薬は漢方で用いる草根木皮や動物類を原料とした医薬」であるはずです。
したがって、医薬品である漢方薬を、健康食品に分類されること自体が間違っています。
ご参考になるブログとしまして、 http://ameblo.jp/kanpoyaku/ などがあります。
以上、早急に改善されますことをお祈り申し上げます。
頓首
これに対する某大手検索エンジンさんからのお返事
・・・・・・・・・・・サービスです。
ご利用くださいまして、ありがとうございます。
このたびは、貴重なご意見いただきまして、ありがとうございました。
・・・・・カテゴリでは、登録サイトがどのようなコンテンツを主に扱って いるか、特に企業・ショップの場合は商品やサービスの内容によって分 類されています。
これらは、・・・・・・カテゴリの編集方針上の分類であって、学術的、医学 的分類ではありません。
なお、医薬品扱いの漢方薬の製造、販売が主なコンテンツとなっているサイトの場合は以下に分類されます。
ビジネスと経済 > ショッピングとサービス > 健康 > 各種療法 > 漢方
(管理人注:差し障りがあってはいけないので、一部省略)
・・・・・・・・・・・・では編集方針に基づき、実際にサイトを見たうえで掲載先カテゴリを選択し、タイトル、コメントなどを編集して掲載処理を行っております。
以上、ご理解いただきますようお願いいたします。
このお返事に対する当方からの折り返しのコメント
拝復
このたびは、ご丁寧なお返事を賜り、ありがとうございました。
ただ、残念なことは、どう考えましても、「漢方薬」というものが、歴史的に「医薬」、つまり治療薬という歴史的な意味を有するものに対して、いくらなんでも、あるいはどういう理由があろうとも、健康食品の下位カテゴリに分類される意図には、残念ながら納得しかねる次第でございます。
貴サイトのような超ビッグな組織において、便宜上とはいえ、
健康食品 > 漢方薬
ビジネスと経済 > ショッピングとサービス > 健康 > 健康食品 > 漢方薬
この分類は、一般世間の誤解を生じる大きな原因となるものと思われ、残念でなりません!
やはり、一犬虚を吠ゆれば万犬実を伝う(いっけんきょをほゆれば ばんけんじつをつたう)
のたとえ通り、誰かが好い加減なことを言い出すと、皆がそのように信じ込んで、間違ったことでもいかにも真実のように広まってしまう。 という類(たぐい)ではないかと、実に残念です!
以上、失礼ながら、忌憚のないところを専門家の一人として、もう一度、念押し申し上げる次第です。
頓首
━某大手検索エンジンに、健康食品>漢方薬 という間違った分類の是正のお願いをするも、謝絶されたことより
その後の返事は一切ナシっ!ラベル:漢方薬
2018年12月09日
漢方薬とは(間違いだらけの漢方と漢方薬)
2018年12月08日
漢方とは(間違いだらけの漢方と漢方薬)
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漢方とは中国から伝来した医術や薬術を指す言葉である。
「中国から伝来した医術や薬術」というのは、中国の伝統医学や薬学のことにほかならず、言うまでもないことであろう。
医師が診断して漢方処方を投与すれば医術であり、薬剤師が薬局店頭などで漢方相談により漢方製剤を販売する行為を薬術ということになろう。
「漢方は日本で成熟した医術である」などと特に強調されたり、日本の伝統医学であるなどと主張されるむきも多いが、この点については大いに異論や問題のあるところである。
むしろ日本に伝わって漢方の本質を損なった点も少なしとしないのである。この点については 日本漢方を堕落させた吉益東洞 日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱 や 日本漢方の問題点『中医漢方薬学に目覚めるまで』 などを参照されたい。
ところでネット上ではしばしば健康食品類を漢方の健康食品と銘打って販売している向きも多いが、問題なしとしない。
たとえば先年、健康被害が多発したダイエット用食品「天天素」事件などでは「マジンドール」「シブトラミン」等の医薬品成分が含有されていたにも関わらず、漢方と銘打って多くの薬局や健康食品店で販売されていた。
いまだに中国から輸入した健康食品なら何でも「漢方」だと信じている一般人のみならずネット販売業者さん達も多いようだが、根本的な勘違いをされている。
おおよそ漢方薬とはかけ離れたもが配合されたものでも中国から輸入したものなら何でも漢方と銘打たれるのは非常識であろう。
極端な例では上記の天天素のように合成医薬品含有した無承認無許可医薬品であっても中国からの輸入品であれば「漢方」や「漢方薬」とも表現されるネット界の非常識は是正されるべきであろう。
これらは牽強付会であることは明らかだが、無知蒙昧をよいことに得手勝手な拡大解釈には、ちょっと付き合いかねる世界である。
上記のような低次元の話しはこれくらいで終わり、漢方と漢方薬の本質を考えてみたい。
漢方と漢方薬の本質
漢方とは何か? 漢方薬とはどんなものか?
その本質的な所を的確に表現することは容易ではありませんが、おおよそのところは以下の通りです。
漢方を含めた東洋医学においては、どのような病気も究極的には五臓六腑のアンバランスによって生じるものと捉えています。
一人の身体の中で起こる病気は、その人の生まれ持った体質的な素因やストレス状況、地域的な生活環境の諸条件、あるいは食生活環境の諸条件などとも大いに関係があり、現在出ている病気の症状だけでなく、過去の病歴やその他の環境的な諸条件なども配慮し、また一見無関係に思えるような症状も参考にします。
要するに、現在の病気の解決の為には、種々の要因を総合的に分析・判断することによってはじめて、その人の体質と病状に合った漢方薬の組合せ(配合)ができるというわけです。
やや専門的に述べれば、
東洋医学における疾病観は、五臓間における気・血・津液の生化と輸泄(生成・輸布・排泄)の連係に異常が発生し、これらの基礎物質の生化と輸泄に過不足が生じたときが病態とされる。
この理由から、五臓それぞれの生理機能の特性と五臓六腑に共通する「通」という性質にもとづき、病機(病理機序)と治法を分析する。
つまり、
1.病因・病位・病性の三者を総合的に解明し、
2.気・血・津液の昇降出入と盈虧通滞(量的な過不足と流通の過不足)の状況を捉え、
3.定位・定性・定量の三方面における病変の本質を把握する。
これらの分析結果に基づき、
1.病性の寒熱に対応した薬物を考慮しつつ、
2.発病原因を除去し、
3.臓腑の機能を調整し、
4.気血津精の疏通や補充を行う。
以上が真の漢方と漢方薬の姿です。
日本漢方の悲しい現実
但し、これは中国漢方すなわち中医学の本質であり、この本来あるべき基礎理論が日本漢方ではほとんど取り入れられていないのが現実である。
吉益南涯の気血水説と傷寒論医学の六経弁証はあっても臓腑弁証や経絡理論を取り入れないのが日本漢方、とりわけ日本古方派の困った現実がある。
何が困るかと言うと、日本古方派が日本の伝統医学の主流、すなわち日本漢方であるとされることに対して、同じ日本人として実に困るわけである。
我が愛すべき日本国のこの恥ずかしい現実を如何にせむ。
ラベル:漢方
2018年12月07日
基礎理論が脆弱な現代日本漢方医学(間違いだらけの漢方と漢方薬)
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この問題については、すでに多くの拙論で贅言を弄してきた問題である。
筆者自身が初期の10年以上、日本古方派漢方にのめり込んでみて感じたことは、まるで禅宗の悟りを求めるような 不屈の精神で、傷寒・金匱要略を繰り返し熟読し、方剤を理解するにあたってはまるで禅宗の公案を解く様な面持ちで、全身全霊で小柴胡湯の方意を体得せねばならないことに、感激したものである。
すなわち学としての漢方ではなく、術としての漢方の修業の道である。
おかげで四逆散の方意を得るのに10年間、日本漢方の流儀に従って学んだが、どうやっても理解困難で難儀し続けた。
ところが何のことはない、本場中国の中医学書を熟読すれば、いっぺんに難問が氷解したのである。
基礎理論を蔑ろにした吉益東洞は問題外にしても、吉益南涯がその反省から打ち立てたてた 気血水説くらいではあまりにも貧弱かつ脆弱に過ぎるのである。
2018年12月06日
附子剤を乱用気味の日本漢方(間違いだらけの漢方と漢方薬)
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相変わらず八味丸製剤の宣伝が盛んであるが、日本国中が食糧事情が豊富で栄養豊かでしかも暖房設備の充実した時代である。 しかも地球の温暖化現象の危機が叫ばれる時代に、日本列島全体に向けて 辛温、大熱の附子(ブシ)の配合された八味丸が、それほど普遍性があるのかどうか、再考を促したいものである。 たしかに八味丸や牛車腎気丸は適応証がある人にとっては素晴らしい薬効を奏するが、腎陽虚がなければ絶対に 使用してはならない。
たとえ腎陽虚がある場合でも、五臓六腑はそれぞれ寒熱に違いがあるので、肺熱や肺陰虚をともなっている 場合には慎重に用いる必要がある。
つまり肺熱や肺陰虚に対する方剤を併用するなりして、未然に肺陰が損傷されない配合が必須であるということだ。
肺は嬌臓(脆弱な臓器)であり、寒、熱、燥、湿などいずれにも敏感に影響を受けやすい臓器であるから 五臓六腑の中でも特に配慮が必要である。
わけても附子の辛温大熱は容易に肺陰を損傷して、乾燥性の咳嗽や血痰、咽喉腫痛あるいは口内乾燥刺激感 などを引き起こすことも珍しくないのである。
一般薬の八味丸製剤が盛んに宣伝されることで適応証でもない人が、指名買いすることによる副作用の問題のみ ならず、医療用漢方においても八味丸エキスや牛車腎気丸エキスが盛んに投与されることで、上記のような軽度の副作用が 出ても、あらずもがなの遠慮から主治医に相談できずに漢方薬局へ問い合わせるケースも稀ではない。
参考文献
注意が必要な漢方薬(肺陰を損傷しやすい漢方処方)
ラベル:附子
2018年12月05日
果穂茵蔯と綿茵蔯の錯誤(間違いだらけの漢方と漢方薬)
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茵蔯蒿といえば中国では当然のごとくカワラヨモギの幼苗であるが、日本ではもっぱらカワラヨモギの果穂が用いられる。
現実問題としては長年の経験から言えることは、日本で使用される果穂茵蔯でも十分に優れた効果を発揮するので、大きな問題はないように思われるが、実際の効力的には幼苗を用いた綿茵蔯の方が効果が優れているとされている。
このことを論じた過去の拙論を参考のために以下に転載する。
img535 posted by (C)ヒゲジジイ茵蔯蒿は本来茎葉を用いるべきで、とくに嫩葉(どんよう)ばかりを用いるのが良い。中国でも若葉だけを用いて、日本で主に使われている果穂は、用いられていません。
いつ頃から、どうして日本ではそのように果穂ばかりを使う習慣が出来てしまったのか、勝手な憶測をいわせてもらえば、調剤上の便利さを慮って、計量に手間取る本来の嫩葉ばかりのものを廃し、サジで簡単に計れる果穂ばかりを、医者の手前勝手で使うようになったのではないか。もしそうであるとするならば、案外日本人も、ずぼらなところがあるものと、御先祖さんに対する憤りを禁じ得ません。
従来の、果穂茵蔯でも、所期の目的を達することは、充分に可能であるようですが、本来の茵蔯蒿である嫩葉の、いわゆる綿茵蔯には、より確実な効力があるもので、聞くところでは、故荒木正胤先生や故荒木性次先生等の後世に残る大家は、綿茵蔯を使うべきだ、と主張されていたようです。
−村田恭介著:中草薬漫談「綿茵蔯」(和漢薬誌339号 1981年8月)
2018年12月04日
漢防已と清風藤の混同問題(間違いだらけの漢方と漢方薬)
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本来「防已」といえば寒涼性の「漢防已」あるいは「粉防己」(原植物はツヅラフジ科のシマハスノカズラ Stephaniatetrandra S. Moore)が使用されるべきものである。
しかしながら残念なことに近年、間違ってアリストロキア酸を含有する「広防己(Guangfangji)」(Aristolochia fangchi Y.C. Wu ex L.D. Chow)を使用して腎障害が発生する事故のために、アリストロキア酸を含有しない粉防已や漢防已まで敬遠されたかの感がある。
ところで問題は日本国内で防已といえば、すべて清風藤が用いられており、アリストロキア酸を含有しない粉防已や漢防已はまったく採用されないことである。
日本では防已といえばすべて日本薬局方で定めるオオツヅラフジ Sinomenium acutum Rehder et Wilson (Menispermaceae)のつる性の茎及び根茎に限定されている。
このオオツヅラフジは中医学における清風藤に該当するもので、中医学における防已としては使用されない。それもその筈で、両者は寒熱に違いがある。
本来の防已は辛寒で苦味の性味で、帰経は膀胱、脾、肺、腎。袪風止痛、通経活絡、利水退腫の効能であり、清風藤は辛温で苦、帰経は肝、脾。袪風除湿、通経活絡、散瘀消腫で、両者は類似点が非常に多いものの、寒熱が異なることに大きな違いがある。
だから実際問題として、日本でもしばしば繁用される防已黄耆湯を用いる場合、変形性膝関節症において、患部の寒熱の状況によって効能に大きな差が出てくることになる。
数十年前までは、清風藤を用いた日本の防已黄耆湯がよく奏功する変形性膝関節症にしばしば遭遇したものだが、昨今の温暖化により患部に熱を持つ膝関節症が増えており、明らかに防已黄耆湯証と思われる場合でも、石膏や地竜を加えるなどして清風藤の温性を打ち消す工夫をしなければ 効果を発揮しない事態が頻出するのである。
願わくば寒涼性の正式な防已である粉防已や漢防已が厳密な検査を経て、日本薬局方に採用され、本当の防已黄耆湯が製造できる体制を整えて欲しいものである。
2018年12月03日
真防風と混用される浜防風(間違いだらけの漢方と漢方薬)
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日本漢方ではしばしば真防風の代用として浜防風が使用されるが、中医学的には効果・効能において大きな違いがあり、代用になるはずがない。
そもそも日本で言う浜防風は、中薬学においては沙参(シャジン)、北沙参にほかならない。
沙参は肺胃に対して作用し、清熱・生津・養陰作用を発揮する。一方、真防風は解表散風、勝湿止痛、袪風止痙などで微温、辛甘の性味であり、まるで効能・効果・薬性において異なるものである。
江戸期に真防風の代用として浜防風を使用したという経緯があるにせよ、現在に到っても多くの処方で真防風を使用せずに、いまだに浜防風が使用される時代錯誤は、なんとかならないものかっ。
錯誤・錯覚したまま惰性でいまだに沙参を浜防風として真防風の代用品がそのまま荊芥連翹湯(けいがいれんぎょとう)や清上防風湯あるいは消風散などで使用されているのだがら、絶句するのみ。
2018年12月02日
●原料生薬として日本には桂枝が存在しないに等しいのに、桂枝と桂皮、肉桂の信じがたい混同(間違いだらけの漢方と漢方薬)
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桂枝と肉桂は同じ原植物であっても薬用部分が異なっており、桂枝は若い細枝、肉桂は幹皮である。つまり肉桂は桂皮であるから桂枝とはまったく異なる薬用部分である。
ともに温通散寒作用があるが、肉桂(桂皮)は辛甘・大熱で作用が強く、裏を温め腎陽の温補に優れている。
桂枝は辛甘・温であり、作用は肉桂よりも穏やかで、発汗解肌を特長とし、主として肺・心・膀胱経に作用する。
このように薬用部分が異なれば作用の強弱もかなり異なり、命門の火を補うのを特長とする肉桂と、発表散寒・活血痛経を特長とする桂枝を混同して使用する日本漢方、つまり日本漢方医学の杜撰さはどうしようもない。
漢方薬における製剤原料の吟味において、杜撰な数々を考えると、日本人の繊細な美徳はいかにまやかしであったかということが分かろうというものである。
2018年12月01日
生姜と乾姜の驚くべき錯誤(間違いだらけの漢方と漢方薬)
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乾燥生姜を使用すべきところを、蒸して加工して飴色に黒変した煨姜(わいきょう)もどきの代物が、乾姜として使用される我が日本国の漢方界の杜撰さには驚くばかりである。 単に生姜を乾燥しただけのシンプルな乾燥生姜を用いればよいものを、わざわざ本来期待される乾燥生姜の効力を台無しにしているのである。
生の生姜であるべきところを乾燥生姜を用い、乾燥した生姜を用いるところを、わざわざ蒸して飴色に加工した煨姜(ワイキョウ)もどきを用いるのは、明らかな錯誤である。
この、漢方薬の製剤原料としての乾燥生姜を、日本薬局方では「生姜」と名づけているのだから驚くばかりである。これは明らかに中医学における乾燥生姜、つまり「乾姜」なのである。
生姜というからには、生(なま)のものでなければ生姜と呼べるわけがないではないかっ!
こんなことは、子供でも分かりそうな常識だが、不思議と日本の漢方界は杜撰さを通り越して非常識極まりないのである。
たとえば胃がつっかえておなかがゴロゴロなるような時に、漢方では「半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)」が使われるが、日本では「煨姜(わいきょう)もどき」が配合されていることが多い。
処方集にはちゃんと「乾姜」と書かれているのだから、ひね生姜を乾燥させた「乾燥生姜」を使用すべきである。
でなければ、乾燥生姜にある消化促進作用がかなり損なわれる。
日本のように蒸した後に乾燥させた煨姜もどきを半夏瀉心湯に使用されたのでは、その人の病症にピッタリ合っているはずでも、効力が台無しになる場合すらある。
さいわいに、錠剤や顆粒剤になった漢方製剤でも、煨姜もどきではなく、正しい乾燥生姜を用いている製品も少数ながら製造されているので、大いに助かる。
柴胡桂枝乾姜湯という日本漢方では、よく使用される方剤があるが、この方剤も日本漢方では、本当の乾姜が使われずに、煨姜もどきが使われているものだから、体質にフィットしているはずでも、へんに胃にもたれたりして、思ったほど効力を発揮できないことが多い。
そんな人にでも、煨姜もどきではなく正しい乾姜(乾燥生姜)が使用されていると、胃にもたれることもなく、良好な結果がえられことが多いのである。
【関連参考文献】
•意外に重要な!漢方製剤および煎薬の品質問題
•半夏瀉心湯 (はんげしゃしんとう)
•日本国内における乾姜の錯誤問題についての御質問
2018年11月30日
白朮を蒼朮で代用する杜撰(間違いだらけの漢方と漢方薬)
白朮を蒼朮で代用されている医療用漢方の問題は小さくない。
そうはいっても現実的には、五苓散中の白朮を蒼朮で代用することは、実際にはそれほど大きな問題ではないものの、補中益気湯や六君子湯など、いわゆる虚証向けの方剤において、白朮を蒼朮で代用されているエキス製剤は、問題はかなり大きい。
これらの拙論を全否定しようとする人達は、玉屏風散中の白朮は絶対に蒼朮で代用できないことを考えてみるがよい。
これでも理解しようとしない頑迷な人達は、補気建中湯や分消湯、あるいは半夏白朮天麻湯などでは、白朮と蒼朮の両者が配合されている意義を考えてみるがよい。
それでも、なおかつ頑迷に否定する人達は、万事休す。
そうはいっても現実的には、五苓散中の白朮を蒼朮で代用することは、実際にはそれほど大きな問題ではないものの、補中益気湯や六君子湯など、いわゆる虚証向けの方剤において、白朮を蒼朮で代用されているエキス製剤は、問題はかなり大きい。
これらの拙論を全否定しようとする人達は、玉屏風散中の白朮は絶対に蒼朮で代用できないことを考えてみるがよい。
これでも理解しようとしない頑迷な人達は、補気建中湯や分消湯、あるいは半夏白朮天麻湯などでは、白朮と蒼朮の両者が配合されている意義を考えてみるがよい。
それでも、なおかつ頑迷に否定する人達は、万事休す。
白朮を蒼朮で代用する杜撰たまには、応援のクリックお願いします!⇒
日本の漢方製剤には原料生薬の吟味において、極めて杜撰なメーカーさんが目立つ。その最たるものがこの蒼朮(ソウジュツ)と白朮(ビャクジュツ)の区別である。
ひどいメーカーになると白朮であるべきところがすべて蒼朮に改悪されて製造されているところもある。しかも日本の代表的な医療用漢方メーカーで顕著であるから由々しき問題である。
白朮と蒼朮は類似点は多いが中薬学上の薬効は明かに違いがある。
脾虚脾湿に適応する白朮と、湿邪の実証に適応する蒼朮である。燥湿健脾を特長とする白朮と、袪風除湿を特長とする蒼朮である。
白朮と蒼朮の最大の違いは、白朮は固表止汗して黄耆(オウギ)がないときの代用品になるくらいだが、蒼朮は逆に散寒解表して発汗作用があるので決して黄耆の代用とはなり得ない。
たとえば玉屏風散(ギョクヘイフウサン)は黄耆・白朮・防風の三味で構成されるが、この白朮を蒼朮で代用するなんてことは絶対にあり得ない。
蒼朮を用いることは玉屏風散の立方の主旨、表衛不固に対する治療方剤(益気固表止汗)にはなり得ないからである。
日本漢方の杜撰さがここにあり、補虚の白朮を袪邪の蒼朮に置き換えたら四君子湯も六君子湯も補中益気湯も、苓桂朮甘湯など、本来の方意を微妙に損なうことになる事実を知る医療関係者がどれだけいるのだろうかっ?
このような白朮と蒼朮の問題は、すべて学問的にも臨床的にも中医学的には常識中の常識の問題である。
なお、以下に 1982年・陝西科学技術出版社刊「中薬方剤基本知識問答」に記載される蒼朮と白朮についての記載の一部をピックアップし、意訳して参考に供する。蒼朮と白朮は《神農本草経》での記載において区別はなく、《名医別録》で初めて赤朮、白朮と分けられた。
すなわち赤朮とは現在の蒼朮のことである。宋代に到って《政和本草》で蒼朮の名が出で来る。
蒼朮、白朮の二つの朮はいずれも燥湿健脾の効があり、どちらも湿阻脾胃、脾胃気虚により運化機能が失調して起こる脘腹満悶、食欲不振、悪心嘔吐、泄瀉、無力等の症に用いられる。
それゆえ臨床上、二薬は常に合用する。
蒼朮と白朮の両種薬物の異なる点は、古人の李士材曽が総結して「寛中発汗の効は蒼朮が勝れ、補中除湿の効は白朮が勝る。脾虚には白朮を用いてこれを培し、胃強には蒼朮を用いてこれを平げる。補脾には白朮を用い、運脾には蒼朮を用いて補運を相兼ね、両者を合用する。湿盛の実証には蒼朮を多用し、脾弱の虚証には白朮を多用する」
と述べている。これは前人が二つの朮に対する臨床の応用面の経験を総結したものであり、参考価値が高い。
具体的に説明すれば、蒼朮の味は辛でよく発散し、性は温で燥、芳香の気が強く、燥湿作用は白朮よりも優れ、健脾の効は白朮に及ばない。
痺証の治療では、虚湿が重い場合は白朮を用い、実寒が甚だしい場合は蒼朮を用いる。
この他、蒼朮は湿温、夜盲症、佝僂病等にも用いる。
白朮は補気固表の効があり、表虚自汗に用い、また安胎の作用があることから、妊婦の脾胃虚弱で水湿内停して起こる悪心嘔吐、眩暈、胎動不安および両足の浮腫等、胎気不和の諸証に用いられる。
−1982年・陝西科学技術出版社刊「中薬方剤基本知識問答」
参考文献
•補中益気湯に蒼朮(ソウジュツ)が配合される錯誤問題
2018年11月29日
温病学を学ばない日本漢方の杜撰(間違いだらけの漢方と漢方薬)
温病学を学ばない日本漢方の杜撰たまには、応援のクリックお願いします!⇒
医療用漢方を含めて、日本漢方には「温病学」関連の方剤が僅少である。
傷寒論・金匱要略は聖典として重要視しても、明(みん)から清代(しんだい)にかけて急速に発達した温病学を無視し続けるから当然であろう。
だから王孟英の『温熱経緯』はおろか呉氏の『温病条弁』を見向きもしない。
このため、一般の風邪だけでなくインフルエンザに対しても威力を発揮する温病に対する銀翹散(ぎんぎょうさん)製剤系列の方剤(天津感冒片や涼解楽など)が使用されることもないし、ましてや医療用に採用されることもない。
一握りの中医学専門の医師、あるいは特定の中医学薬学を重視する薬局・薬店グループ関連で取り扱われるだけである。
日本漢方では、中国古代にまとめられた傷寒論医学ばかりに固執し、時代が下って清代に発達した温病学を取り入れようとしない。
昨今の温暖化のみならず食料豊な時代の急性疾患に、いつまでも栄養状態が劣る時代に考案された傷寒論医学で対処しようとするのは時代錯誤に近いものと言えないだろうか。
「温病」の概念がないまま、上気道感染症をすべて傷寒と判断する日本漢方の錯誤は是正されなければならない。
風邪やインフルエンザを治療するのに、いつまでも傷寒論医学ばかりに固執していると、「漢方医学」は日本の伝統医学であるなどと、胸を張っておれなくなる。
巷では、風邪に葛根湯という常識が既に崩れ始めている。病院で貰った葛根湯が意外に効かないので、薬局にかけこんだら天津感冒片や涼解楽などの銀翹散製剤が出され、これであっさり治ってしまったという例があとを絶たない。
「傷寒論」は異病同治の模範を示したところに意義があり、「金匱要略」は同病異治の模範を示したところに意義がある。
「温熱経緯」や「温病条弁」は現代人の急性疾患のみならず、多くの難病を解決するヒントがたくさん書かれている。
昨今のように漢方医学に西洋医学流のエビデンス概念を取り込むことばかりに血道を上げるようでは、日本漢方の明日はないかもしれない。
重要な付録
《温熱経緯》は、一八〇八年に生まれ一八六七年に没した王士雄(字は孟英)が、一八五二年に編集・著述。
内経や傷寒論中の温病に関連した条文を経とし、葉天士(外感温熱篇)・陳平伯(外感温病篇)・薛生白(湿熱病篇)など諸家の説を緯とし、歴代の医家の見解を引用して、温病の病因病機・症候・診断・治療原則などを解明している。
のみならず、王孟英自身の臨床経験に基づき、温病を新感と伏気の二つの分類を前提とした弁証論治を提唱した。
また、用薬上の原理や原則も検討しており、温病学説における系統的な総括を行ったものとしては歴史的に最初の著作である。
それゆえ後学にとって大変重宝な温病学の原典の一つである。
《温病条弁》は、1758年に生まれ1836年に没した呉瑭(字は鞠通)が、1798年に出版。
急性伝染病が従来の治療方法では治りにくいことを慨嘆していた呉鞠通は、明代の呉又可著『温疫論』に触発され、葉天士(1667〜1746年)の理論から多くを学ぶ。
とりわけ葉桂(天士)の《臨床指南医案》を重視し、自身の数々の臨床経験を総括して補足・整理し、三焦を経とし、衛気衛血を緯とした「三焦弁証」を提唱した。
四時に生じる急性熱病(温病)をメインテーマに、温熱病と湿熱病に分類して、傷寒論医学に欠落していた温病学説を大きく前進させた。
中医学における《温病条弁》の位置は、傷寒論と同等以上に重要な典籍となっている。
参考文献
•日本の伝統医学と言われる「漢方医学」に欠落するもの
•日本漢方には「傷寒論」があっても「温病学」がないのは致命的かもしれない
2018年11月28日
日本漢方を堕落させた吉益東洞(間違いだらけの漢方と漢方薬)
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江戸期の漢方医である吉益東洞は、陰陽五行学説を基礎に発展・発達した中国の伝統医学の最もエッセンシャルな部分である「陰陽五行」を臆面もなく完全に否定した。
この本来の中国の伝統医学の最もエッセンシャルな部分を、空論臆説として退けるという暴挙により、取り返しのつかない自己矛盾を犯したのである。
つまり、陰陽五行を否定した時点で、もはや東洞流の日本漢方は、漢方の来源である中国医学の本質を否定するものであり、その自己矛盾による自縄自縛により、没理論の泥沼に埋没する方向へまっしぐらに進むことになった。
事実、歴史が証明するように吉益東洞は「親試実験」という実証主義の旗印を掲げて没理論の方向へ突き進んでしまったわけで、それは現代の医療用漢方における「漢方の科学化」と同類の考えに他ならない。
現代のこの一見実証主義的な「漢方の科学化」という名目は、単に病名漢方的な西洋医学化にすり替わり、ますます本来の漢方医学の本質を見失いつつある。
江戸期の吉益東洞の行なった「親試実験」は、それがそのまま現代における「漢方の科学化」という名の下に行われる中国の伝統医学の本質を忘れた没理論の「マニュアル漢方」であることを、重ね重ね強調してし過ぎることはないだろう。
重要参考文献
•日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱(平成元年の提言!)
•平成の御世も深まって、とうとう吉益東洞先生は・・・
ラベル:吉益東洞