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2025年11月10日

中 医 理 論 弁 (瞿岳雲著) 湖南科学技術出版社

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1990年11月発行の中国語の原書です。発行されて間もない頃に、1,500円で購入しています。

 大変な良書ゆえ、紙質を考慮して3冊は購入していたと思うのですが、どこを探しても一冊しか見つかりません。

 わら半紙以下の文字通り薄紙ですから、当時、読了後に本書の一部をピックアップして東洋学術出版社の季刊誌『中医臨床』に四回ほど翻訳連載しましたので、繰り返しの紐解きで一冊は破損崩壊した可能性がありますが、間違いなくもう一冊あるはずなのに、一冊しか見当たらないたのです。まったく出鼻をくじかれた気分です。
 あるいはよく持ち歩いていたので、吉和村に置き忘れたのかもしれませんが?&?*?@?#?です。

 もちろん専門家のための書籍で、一般の方にはチンプンカンプンかもしれませんが、中国医学(中医学)の専門家たちが、本来充分に学習しなければならない内容が、どのようなものかの一端を知るだけでも、世間で考えられているほど、単純なものではないことが、僅かでも感じてもらえるかもしれません。

 本書の内容の御紹介を、やはり当時の『中医臨床』誌の1992年3月号(通巻48号)に村田恭介みずからが執筆しています。
 以下に転載してみます。


 
 本書は教科書中医学の欠点を指摘・訂正あるいは補足するような内容で、臨床実践に即した視点から、説得力のある中医理論を展開している。

 中医臨床を行うためには、中医基礎理論を充分に学習することが必須条件であることは言うまでもない。とはいえ、基礎理論を学習した後は、実際の臨床に通用する実践的な学習が必要となり、中医理論の有機的な活用能力を養わなければならない。

 つまり「常を知り変に達する」ことが要求されるわけである。この「知常達変」の能力の高低が臨床実践における優劣を決するものとなる。

 ところが一般の中医理論専門書籍による学習と実践を続けるうち、様々な疑問点に遭遇して理論上納得できない部分に悩まされたり、臨床実践において「教科書通りには行かないぞ!」と感じた経験は、多かれ少なかれ皆が味わってきたに違いない。

 実際のところ、通常の中医理論専門書籍においては、一般の通説を述べるのみで、別解や異説に関しては省略されていることが多い。

 本書は長年の読書・臨床実践・後学の指導を行う身にある著者、瞿岳雲氏がこうした基礎理論における疑問個所にしばしば遭遇し、徹底的な学習と考察により、著者なりの解決を行ってきた一種の報告書である。

 本書は67の問題提議と分析解明が行われているが、著者も序文で述べている通り、主に次の4種類のタイプに区別される。

 1.経書類の解釈に対するもの
 内経や傷寒論などの各種経書類の重要ポイントの意味と、過去の解釈や注釈の誤りを分析して正解を追及したもので、興味深いテーマに、
 「精気奪すればもとより虚証であるが、邪気が盛んである場合は必ずしも実証とは限らない」
 「六経病証のいずれにも表証がある」
などがあり、とりわけ
 「肝は下焦には属さず、中焦に属するものである」
との結論は絶品である。


 2.歴代医家の学説に対するもの
 古今名医の学説にはそれぞれの特徴があるものの、その際立った部分だけを述べるのは誤解を生じるだけであるとして、深く追求している。中でも、
 「丹渓の学は滋陰だけではない」
 「温邪は上に受けるといつも真っ先に肺を犯すわけではない」
などは興味深い。

 3・中医理論中で不足している部分
 中医理論中の盲点である肝気虚や腎実証などに対する解明は、いずれも一般中医学の基礎理論書では充分に記載されていない部分だけに、得るところは多い。
 「腎病には虚証が多いが実証もあり、治療には補虚と瀉実がある」
との論は参考価値があり、また
 「心腎不交の病理的本質」
の解明は絶品である。

 4.常と変に対する考察
 中医学理論の有機的な活用の実際に触れたもので、一般の通常理論を学んだ上で応用力を身につけることが、中医臨床実践における最も大切な部分であると考える著者が、中医臨床の実際を指導する部分である。
 「盗汗はすべて陰虚とは限らず、自汗もすべて陽(気)虚とは限らない」
 「内臓下垂の病証は必ずしもすべて気陥として論治するとは限らない」
 「口苦はすべて熱として論治するとは限らない」
など。

 前述したように、本書は67のテーマを論じたものだけに、以上はほんの一部のテーマを紹介したに過ぎない。いささか大袈裟な表現をとらせていただくと、本書を通読すれば弾力性に富んだ中医学の無限の可能性に深く感動するか、あるいは弾力性よりも混沌性と感じて辟易するか、読者それぞれの中医学観によって読後感はまったく異なるに違いない。


 以上が本書の紹介文です。

 これに続いて村田自身がもっとも参考になった論説から順番に翻訳連載を四回にわたって行ったわけですが、雑誌の末尾に掲載される「本号の翻訳者」という欄に、一度の例外を除いて、私の名前だけが常に除外されていることから継続する気力を失ってしまった。

 他誌にも力を入れている訳注の連載を持っていたことでもあり、わずか四回で止めてしまったのは、翻訳という自分の思考法を介入させてはならないとてもシンドイ仕事を依頼されながら、その号の全翻訳者紹介欄に自分の名前だけが毎号欠けている、ということは頑張る動機付けを失う結果となったようですね。

 このような無礼な扱いをされれば、誰でも嫌気がさすのではないでしょうかね。

 しかしながら、その67のテーマのうちのわずか4篇とはいえ、中医学的には、大変重要なテーマばかりで、
 一回目「肝は下焦には属さず、中焦に属する
 二回目「『病が表にあればすべて表証』とは限らない
 三回目「『邪の湊まるところ、その気は必ず虚す』に対する新見解
 四回目「『邪気が盛んであれば必ず実』とは限らない
の四編です。

 一回目の「肝」に対する考察は、実際の臨床実践で、これを知るか知らないかでは治療方法及び治療効果で雲泥の差がつきかねない濃厚な内容となっています。

 また、三回目と四回目を総合すると、虚実の問題が詳細に理解できる内容となっています。
posted by ヒゲジジイ at 14:48| 山口 ☀| 中医学主要翻訳集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月06日

村田漢方中西医結合論━特殊性と共通性の合体

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村田の「中医漢方薬学」論の集大成として・・・誰にもわかりやすく
 個人の特殊性を重視する中医学と漢方医学・共通性を重視する西洋医学、三者を合体した漢方薬。

 本論は、他の多くの拙論のように、過去に専門家向けに発表したものを改訂したものではありません。
 平成17年6月23日と24日にまたがって、別サイト「漢方と漢方薬の真実」において、「特殊性と共通性(中西医結合)」「再び中西医結合について」と題した日録として気楽に書いたものをまとめたものです。

 本論の理論的基礎は拙論の「漢方医学発展への道」「中医学と西洋医学」なのですが、いずれも専門家向けです。

 かなり要約して言えば、本場中国の漢方「中医学」も、日本の漢方医学においても、「その人固有の体質および疾患の個性」を重視した医学です。

 すなわち「特殊性」を最も中心にした医学ということです。

 一般社会でもよく「個性を大事にする」とか言いますが、漢方の世界では「個性を大変重視」するのです。

 一方、西洋医学においては、人間としての、人類としての「共通性」をもっとも重視します。極論すれば、個性などは二の次、ということです。
 医学の世界ですから、「西洋医学的な病名に共通する特徴」を特に重視しているわけです。
 要するに、西洋医学はこの「共通性」を重視した治療学、ということができます。

 この特殊性を把握して、その人その人の漢方処方を考えるという中医学や漢方医学の方法は、西洋医学とはまた異なった、素晴らしい威力を発揮するものなのです。

 とは言え、諸検査の方法や、病名学的な分類方法、および治療法・薬物療法において、西洋医学特有の人類に共通した部分の解明から、数多くの素晴らしい成果が得られているのも、間違いない事実です。

 個人個人の特殊性を重視する中医学(中国の伝統医学=中国漢方)や日本の漢方医学と、特定の疾患における共通性を重視する西洋医学。

 これら三者のよいところを合体したものが「中西医結合」です。

 (合体させるからと言って、なにも漢方薬と一緒に合成医薬品を併用する、と言っているのではありません。
 もちろん、すでに西洋医学治療において、お医者さんから頂いている必要不可欠な医薬品類は、それはそれとしての別問題の話です。
 ここでは、漢方の今後の新しいあるべき方向としての理想論どころか、すでに村田漢方堂薬局で実践している方法論をやさしく書いているものです。)

 もう少し単純に言えば、中国医学や漢方医学と西洋医学の結合、ということですが、西洋医学的な発想を漢方医学にも応用する、ということです。

 もう少しだけ具体的に言えば、

 もともと特殊性を把握して方剤を考える漢方のやりかたに加え、西洋医学的な共通性を考慮した漢方薬や中草薬類の配合を加える、ということなのです。
 たとえば、村田漢方堂薬局において、西洋医学的な発想から開発したものに、次のようなものがあります。

 ミネラル学の応用で、カルシウムとマグネシウムを中心にしたものに、これらに付随する微量ミネラルとともに、葉緑素系の天然原料から製造された医薬品の併用により、ある種のアレルギー性疾患などの「共通性」をカバーする。
 これに、弁証論治にもとづく「特殊性」に対応した漢方薬方剤を、必要に応じて配合する、というもの。


 長期にわたる臨床実践の繰り返しから生まれた中国の伝統医学・薬学の領域において、これらの先人の業績を「批判的に継承しなければならない」と、多くの中国の中医師らが公言されています。

 一方、現代社会、今日のこの日本国において、西洋医学・薬学という各疾患に対する共通性の把握から得た膨大な研究成果と業績をヒントにして、これを中医学や漢方医学に応用できないはずがない!

 その一つの方法が、上述した村田漢方堂薬局の方法、名付けて「中医漢方薬学療法」です。

 現代社会における疾病構造というものは、実に複雑多変であり、これらに対処するには漢方医学・薬学の分野においても、高度に複雑化されて当然のこと。

 ですから、軽医療の分野はともかく、難治性疾患はもとより、一般の慢性疾患に対処するには、漢方医学もそれなりに発展・進化の法則として、それ相応の知恵と工夫が必要である、といえます。

 とは言うものの、「例外のない規則はない」といわれるように、昨年から立て続けに、病院治療や漢方治療でも長年、治癒せずステロイド漬けになっていたような人が3名、「茵蔯蒿湯」の単方で急速に軽快したりするなど、

 なんでここまで苦労されたの?

 と疑問に思うほど、単純な漢方薬方剤で、急速に軽快する場合もありますが、これらはやはり例外に近いことは事実です。

 ともあれ、以上のことから、必ず西洋医学における専門医による診断および治療は、漢方薬を求める前に、必ず受けておくべきだといえます。

 西洋医学の一般治療で、どうしてもあまり回復しないとき、複数の専門病院や専門科で諸検査および標準治療を受けても、思うようにならないとき、はじめて漢方を考えても、決して遅いとはいえない。


 漢方療法を受けるにしても、必ず専門医による正しい診断があってはじめて、上述の「中西医結合」の本領をよりよく発揮できる。
 すなわち、よりすぐれた漢方薬の配合が可能だということなのです。
posted by ヒゲジジイ at 16:32| 山口 ☀| 中医漢方薬学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月05日

漢方専門用語「証」の考察(村田漢方堂薬局 村田恭介著)

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中医学と日本漢方の接点としての「証」(異病同治追究の基礎として)
 
 東亜医学協会発行の漢方専門の月刊誌『漢方の臨床』1992年11月号に発表した『漢方医学と中医学の接点としての「証」』を改訂したものですが、当時ちょうど陳潮祖教授の『中医病機治法学』をウチダ和漢薬発行の月刊『和漢薬』誌に訳注の連載を始めており、その途上、中医学原書において「証」「証候」のみならず「証状」「証象」など、紛らわしい言語の続出で、他の中医学原書においては、「証状」や「証象」は一切使用されずに「症」や「症状」となっているものもあったりで書籍によってマチマチですが、不思議にどの書籍にも日本で常用される「症候」という言葉は、ほぼ皆無なのです。

 気になって文字通り夜も寝られないほど、これらの言葉の訳語に悩み続け、当時はこのために何ヶ月もの間、あらゆる手元にある膨大な数の中医学関連書籍の原書をかなり徹底的に調べ上げたものでした。

 それらの調査と考察にもとづいて、『和漢薬』誌、1992年4月号に詳しい論説を発表した後、そのお陰で中医学と日本漢方の接点としての「証」の考察にまで発展して行き、とうとう上記の通り、そのまとめとして一応の決着をつけた拙論を発表したわけです。

 考察としては私自身は『和漢薬』誌発表拙論のほうが、「病機」との関連と併行したものであっただけに、こちらを先に点検・改訂して発表したいとも考えたのですが、「中医学と日本漢方の接点」としての『証』に的を絞っているだけに、むしろまとまりが良いので、こちらを中心に改訂して、掲載することにしました。

 いずれ折を見て、「病機」をからめた最初の考察も、必ず改訂して発表したいと考えています。そちらの方が「証」「症」などを深く掘り下げて調査・考察していますので。

 なお、「校正恐るべし!」は、洒落ではないですが、上記『和漢薬』誌に発表した1992年4月号の拙論は、筆者に校正刷りが来ない時代であったため、最も心臓部分である「証」と「症」の字を逆に印刷されるという悲劇的な拙論となっており、このために後続の号で沢山の「正誤表」を掲載してもらっています。

 なお「証と症」の問題では次のサイトを参照されたい。

中医学および漢方医学上の「証」と「症」の問題点について

   はじめに

 近年、わが国に中医学をますます積極的に取り入れるようになったが、漢方医学と中医学の相違点ばかりが喧伝されるあまり、共通点に対する認識が不足しすぎているように思われる。

 かく言う筆者も、過去に学習途上における止むにやまれぬ無念さから、漢方医学の専門誌『漢方の臨床』第35巻12月号(1988年)東亜医学協会創立50周年記念特集号に『日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』と題して、かなり意識的・意図的にその片棒を担いできた時期もあった。

 しかしながら、日本における今後の発展のためにも、意外に認識されていない共通点について述べておく必要を感じた次第である。

 まずは、本題に這入る前の布石として、従来の中医学における「証候」という用語の意味の検討から始めたい。


   中医学における「証候」の意味

 従来の中医学における「証候」の意味を検討してみると、以下の六種類のようである。

 @ 「証」のこと。つまり、疾病過程におけるその時点の一連の症候にもとづいて把握される病理的概括(疾病の本質)である。
 したがって「弁証」というときの「証」にしても、「病証」と表現される用語における「証」にしても、証候名すなわち証名や証型の意味である。
 たとえば、葛根湯証、桂枝湯証というとき、あるいは営衛不和証・太陽表虚証・表寒表虚証・風寒表証などと表現するとき、いずれも同様に「疾病過程におけるその時点の一連の症候にもとづいて把握される病理的概括(疾病の本質)」ということであり、これを成都中医学院の陳潮祖教授は「病機」としている。

 A 上記@のような、桂枝湯証や営衛不和証と表現される根拠となった症候のこと。つまり、その証の確定根拠となる一連の症候のこと。言い換えると「某証と確定するのに不可欠な一連の症候」のことを指して「証候」と表現されるものである。

 B 一般的な日本で言う「症候」のこと。中医学専門書籍類には不思議なことに「症候」という熟語はほぼ皆無に等しいが、ちょうど日本語の一般的な意味での「症候」を表現するもので、自・他覚症状を一括した意味である。つまり、中国語の「症徴」や「症状と体徴」などと表現されるときの意味と同義語として「証候」と表現されることも多い。

 C 「証候」の意味として、上記の@とAのどちらの意味にとっても間違いではないというどっちつかずの表現で「証候」がよく使われるが、意味としてはどちらに取ろうが、両者を兼ねようが、大きな誤読を誘うような問題は決して生じない。

 D それゆえCの最後の@Aの両者を兼ね、二つの意味をそのまま包括した二重の意味として「証候」が使われていることも多い。

 E病状が進展し、伝変する趨勢を示唆する意味としての「証候」。

 など、表現される前後の文意によってかなり可変的な用語なのである。

 また、主題の「証」についても「証候」の意味の中で@Aの意味と全く同様であるばかりでなく、Bも同様であり、CとDの二重性をはらんで使用されてきたことは全く同じで、従って「証」も「証候」ほぼ同じものであり、証候の省略形が「証」と考えても間違いではないのである。


   中国における「証候」の意味の統一化構想における問題点

 『中医薬学報』第5巻・第5期・1990年10月号に詳細が記されているが、中国では全国中医病名与証候規範検討会において、「証候」を前述のAとほぼ同様な意味のみに限定する統一化構想が出されている。しかしながら、「証候」の意味をAの「某証の確定根拠となる一連の症候」のみに限定しようとしたところで、@で述べたように、もともと「証とは、疾病過程におけるその時点の証候(一連の症候)にもとづいて把握される病理的概括を指す」ものであるから、証と証候は不即不離の関係にあるため、どのような論文中においても、CDのような二重性の意味を完全に断ち切ることは不可能である。なぜなら、「証」という共通の漢字を使用する限りは当然のことであり、それを実現させたければ、陳潮祖教授のように証候と証を区別するために、証を「病機」に置き換える以外は不可能であろう。


   中医学における「証」と日本漢方における「証」

 本題の中医学における「証」と日本漢方における「証」については、両医学とも「最終的な治療方剤を決定するための総括」であり、要するに@に該当する「証とは、疾病過程におけるその時点の証候(一連の症候)にもとづいて把握される病理的概括であることは完璧に一致しており、相違点は病理的概括を導く方法(ものさし)と、その表現形式の綿密さに違いがあるだけであり、日本漢方も中医学で言う「弁証」を行っているのである。

 たとえば、「葛根湯証がある」と表現されるとき、この意味は「葛根湯適応の確定根拠となる一連の症候を有している」あるいは「葛根湯の適応であると確定するのに不可欠な一連の症候を有している」ということであるから、日本漢方における「証」とは、従来の中医学の「証候」のAの意味であるのと同時に、中国の統一化構想における「証候」の定義と全く一致するものであり、さらには上述のCDの二重の意味を含んだ要素を内在しているのである。


   結 語

 以上のように、日本漢方の「証」は中医学の「証」と極めて多くの点で一致しており、日本漢方と中医学の融合一体化を可能にする強力な根拠を見出すことが出来るのである。異病同治を臨床の現実として認識する日本漢方と、同病異治ばかりを発達させてきた中医学のことを考えると、これはすなわち「同病異治」の中医学が年来の追究を怠ってきたと陳潮祖教授に指摘されている「異病同治」の追究の基礎的な足がかりとなるものである。

 両医学の相違点は、病理的概括を導く方法(ものさし)と、その表現形式の綿密さが異なるだけであるから、発展的に解消して両医学の長所をとり入れた「中医漢方薬学」の創造をつねづね提唱している所以である。両医学を融合一体化するに当たってはまず、日本漢方に特有な「口訣」に対する中医学的な分析から着手するのが手っ取り早く能率的であるかも知れない。これらによって、中医学における未完成部分の多い「異病同治」に対する認識と、これにもとづく病機体系をより完成度の高いものに導く足がかりになるのと同時に、両医学の「証」の共通性がますます明確化され、実り豊かな中医漢方薬学創造の第一歩を踏み出すことができるはずである。

 吉益東洞流の古方派漢方を信奉したのちに中医学に転向してしまった経験にもとづき、筆者なりに客観的で偏見のない視点をとれるようになった現在での考察である。

 なお、『中医薬学報』に掲載された「全国中医病名与証候規範検討会」の原文資料は、東洋学術出版社の社長、山本勝曠氏より御提供頂いた。紙上を借りてお礼申し上げたい。


【参考文献】
●北京中医学院主編『八綱与八法』5頁、天津科学技術出版社(1990年初版)
●何紹奇主編『現代中医内科学』19頁、中国医薬科技出版社(1991年7月初版)
●朱文鋒主編『実用中医詞典』527頁、陝西科学技術出版社(1992年1月初版)
●伊藤清夫著「日本の漢方診療の現状と今後(29)」62頁、月刊『漢方の臨床』誌、通巻454号、東亜医学協会(1992年6月号)
●陳潮祖著・村田恭介訳注『中医病機治法学(5)の【訳者のコメント】』12〜13頁、月刊「和漢薬」誌、通巻468号、ウチダ和漢薬(1992年5月)
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posted by ヒゲジジイ at 10:14| 山口 ☁| 中医漢方薬学『中医学と漢方医学の融合』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年11月04日

猪苓湯と少陽三焦  (村田漢方堂薬局 村田恭介)

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「中医漢方薬学」論が本領発揮した方剤の一つがこの「猪苓湯」です!

 現在では自分に取って、陳潮祖先生の御高著から学んだ「少陽三焦理論」は当たり前のようになっていますが、当時はこれを利用して様々な応用が実際にかなり通用することに感激のあまり、気負いばかりが目立って空転気味の拙論でした。現在の知見を交えながら改造するのには大分苦労しました。何せ土台が土台だっただけに元版とはかなり変わってしまいました。
(元版) 猪苓湯(ちょれいとう)が滑石茯苓湯(かっせきぶくりょうとう)に変わるとき 1991年新年号月刊『和漢薬』誌(通巻452号)の巻頭論文

猪 苓 湯 が 滑 石 茯 苓 湯 に 変 わ る と き
1991年新年号月刊『和漢薬』誌(通巻452号)の巻頭論文の【大改訂版】


 平成17年1月現在からはちょうど13年前の41歳の頃、陳潮祖著『中医病機治法学』に熱中し惚れ込んで、この書籍の内容を基礎に、様々な創造力を働かせて臨床実践と直結した論文もかなり書いていたようです。訳注翻訳連載が始まる約一年前の拙論です。

 「少陽三焦の陰虚湿熱に対応する滑石茯苓湯(猪苓湯)」などと分析する突拍子もない解釈のようですが、臨床実践上は結構重宝な解釈で、アトピー性皮膚炎や気管支喘息あるいは蓄膿症など、主方剤となる他剤との調和をはかり、不可欠な方剤として現在も多方面に仲人的な処方として重宝しています。

 ともあれ、本論のベースになる「少陽三焦」が膜原と腠理から構成され云々のクダリは、すべて上記の書籍から学んだことであり、それらにもとづいてフツフツと沸き起こった理論構築であった訳です。

 理論と実践の繰り返しの毎日で、実際に西洋医学で思うようにならなかった人が、漢方薬で快方に向かってもらわなければ仕事にならないのです。専門家の名が廃ります。効かなければ誰も村田漢方堂薬局に来てくれません。

 漢方専門の看板を降ろさなければなりません。それだけに実際の臨床と理論がつねに絡み合って自分なりの理論構築が出来上がっていく訳でした。実際に皆さんに喜んでもらえる漢方薬の配合をアドバイスし、結果が良ければそれだけ信頼を得られ、直ぐに効かない場合でも、信頼があれば上手な配合が決まるまで、皆さん我慢強く待って頂けるのでした。

 こうした臨床実践と理論構築の繰り返しから生まれたのが本論だけに、同じ専門家に少々イビツナ理論と受け取られても、結果が出ているだけに、村田としては大いに自信があるのです。

 平成17年現在でも、決してくだらない論文とは思えない訳です。但し、現在読み直してみると、気負いすぎて表現がしつこかったり拙かったり、あるいはアトピー性皮膚炎に対する考察がまだまだ一面的であったりで、それゆえ大幅に削除・訂正・増補した部分があります。それゆえ、平成17年1月6日現在では、本当に自信のあるものに出来上がったと信じています。

 なお、本論は一般向けではありません。もともと専門誌に発表したもので、[中医漢方薬学]的思考方法の一つの見本を示したものです。


 はじめに

 猪苓湯は漢方入門当初、最も繁用したももの一つで、膀胱炎の特効薬として大変重宝していた。そのうちに膀胱炎でも猪苓湯で効果が見られず、五淋散や八味丸の適応となる場合や稀には清心蓮子飲が必要な場合もあった。

 ところで、最近は膀胱炎のようなありきたりな病人さんは当時よりも扱う頻度が激減しているのに、この猪苓湯をいまだに繁用している。

 膀胱炎や腎臓系統に使用する機会は以前よりもかなり少なくなったのに、多汗症や湿潤性の皮膚疾患等に多用している昨今、些かの新しい発見もあったと思われる。これら、多汗症や皮膚疾患に対する猪苓湯の応用例は寡聞にしてこれまで耳にしたことがないし、本で読んだことも無いので、ご参考にでもなればと考えた次第である。

 かくして、多汗症や皮膚疾患へ応用するとき、猪苓湯は「滑石茯苓湯」へと変身するのである。


 多汗症への応用

 今年は例年になく猛暑が続き、拙稿を書いている九月下旬でもその勢いがおさまりそうもない。世間には汗かき体質に悩む人が多いので、さぞや今夏は大変なことであったと思われる。

 そういう方達が相談にみえた場合、ご承知のように病名漢方的な防已黄耆湯のみの対応だけでは効果は不充分である。収斂作用のある竜骨・牡蠣を加えたり、或いは白虎加人参湯を考えたり、しまいには六味丸を考えたり、ずいぶんと苦労されられた経験が過去に何度かある。

 そこで弁証論治の中医学、と言いたいところだが、それはさておき、汗を小便に導く方法を考えることが第一に手っ取り早いのではないかとの単純な発想が以前からあった。これには「少陽三焦」の働きに注意しておく必要がありそうだ。

 第二に、汗は津液の化したもので、汗が多いと津を傷つけ、ひどいときには亡陰となる。(汗は心の液であり、発汗が多いと亡陽となるが、亡陽の多くは亡陰が更に進行したもので、陰液が過度に損傷されると、それにつれて陽気の必ず亡脱する。)このことも、少陽三焦との関係に注意が必要である。

 そこで、育陰清熱利水の猪苓湯の応用を考えてみるわけであるが、傷寒論の条文をすべて暗記されている方には、多汗による亡陰の問題を指摘しておきながら、利水作用のある猪苓湯を敢えて投与することに疑問を覚えられることであろう。


 白虎加人参湯との鑑別

 たしかに傷寒論には、「陽明病、汗出多而渇者、不可與猪苓湯、以汗多胃中燥、猪苓湯復利其小便故也。」とある。〔陽明病で汗が出るのが多くて口渇する場合には猪苓湯を与えてはならない。汗が多いために胃中が乾燥している場合に猪苓湯を与えると、利尿することによってさらに津液を枯渇させるからである。〕というのである。

 陽明病において多量に発汗して口渇がある場合には、この条文の少し前にある白虎人参湯や承気湯類が適応するが、その条文中にあるように「舌燥」の状態を認めてこそはじめて「白虎人参湯」証なのである。したがって、水熱互結に熱邪傷陰を伴う猪苓湯証の黄〜黄膩苔などの舌像とはおのずから異なるものであり、この点は重要な鑑別点となるものである。

 ところで、夏に多い膀胱炎は、暑さにやられて発汗過多となり、尿が濃くなって排尿痛・残尿感を生じることが多々見られるが、これこそ一般的な猪苓湯証である。(寒さにやられて膀胱炎を引き起こすことも当然多く、この場合にも猪苓湯証のことが多い。

 冷えが原因だからとうっかり温熱の方剤を投与すると却って治癒を遅らせててしまうことが多いが、この問題を論じていたら議論やややこしくなるので、今回は省略。)

 その時の舌像を注意深く観察してみると、重度の熱射病でない限りはという条件付ではあるが、白虎加人参湯証のように裏熱が津液をひどく傷つけた状態のものとはおのずから異なる。それには矢張り舌像の観察がかなりな決め手になる。

 夏の多汗症の者は膀胱炎症状がなくとも、尿が濃くなっていることが多く、あたかも白虎加人参湯証であるかのように多汗・口渇があって尿が濃いものの、舌苔が黄〜黄膩などの条件を備える場合は、たとえ膀胱炎症状を伴わなくとも猪苓湯証ではないかと睨んだわけである。

 ここで、とりわけ重要なことは、発汗と尿が濃くなる関係は、少陽三焦の機能と密接に関係しているということである。


 少陽三焦の重要性

 この少陽三焦の重要性については陳潮祖著『中医病機治法学』に随分と教わったことである。

 少陽三焦とは、膜原と腠理から構成される機能体を指すもので、これらは肌表・五臓六腑・四肢百骸の各組織と連絡し、津と気が昇降出入する交通路となっている。

 少陽三焦を構成する膜原と腠理は、肝が主(つかさど)る筋膜組織に属するものであるから、疏泄調節を主る肝のと関係は大変密接である。

 それゆえ、少陽三焦とはまた、肺気・脾気・腎気ばかりでなく肝気も加わって、おもにこの四臓の機能が協力して営まれる津気運行の作用が実際に行われている区域こそが、この膜原と腠理から構成される「少陽三焦の腑」としての実体なのである。

 と同時に、これら肺脾腎肝が協力して営まれる津気運行の作用のみを取り出して概括したものがすなわち「少陽三焦の機能」である。

 ところで、中医学の病理観の中で、とりわけ重要なものは五臓六腑のバランスシートである。

 これらの生理機能はいずれも気血津液の生化輸泄(生成・輸布・排泄)と関係があり、そして「流通」という共通した働きがある。

 それゆえ、基礎物質の生化輸泄に過不足やアンバランスが生じた場合、それがその時の病態である。

 したがって、五臓六腑は「流通しているもの」としての生理と病理の特徴があり、五臓間の生克関係は、気血津液の生化輸泄状況のバランスに関わっている。


 猪苓湯の病機と適応症

 猪苓湯の病機名を極限に要約すると「陰虚湿熱」とされている。水熱互結・小便不利などに適応するものであるが、さらに心煩して眠れない者や下痢・咳嗽・嘔吐を兼ねる者を主治する。このことは、下焦の陰虚湿熱を治するばかりでなく、作用領域が上中下焦に及んでいることを物語っている。

 傷寒論中にある猪苓湯の条文は次のようである。

 陽明病篇に、
「若脉浮発熱、渇欲飲水、小便不利者、猪苓湯主之。」
「陽明病、汗出多而渇者、不可與猪苓湯、以汗多胃中燥、猪苓湯復利其小便故也。」

 少陰病篇には、
「少陰病、下痢六、七日、咳而嘔渇、心煩不得眠者、猪苓湯主之。」

 以上の三条文である。

 猪苓は甘淡微寒で帰経は腎・膀胱経。沢瀉は鹹寒で帰経は腎・膀胱経。いずれも滲湿利水し、腎と膀胱の湿を除去することができる。

 追記:同時に猪苓には補益作用がある。昨今の中医学書には、チョレイの補益作用が欠落しているが、中品に分類されているものの神農本草経にはっきりと記載がある。

 すなわち、神農本草経には猪苓を「久服すれば身が軽くなって老いに耐えるようになる」と述べられており、さらには清代の名医葉天士は「猪苓の甘味は益脾する。脾は統血するので猪苓の補脾によって血が旺盛となり、老いに耐えるようになる。また猪苓の辛甘は益肺する。肺は気を主るので猪苓の補肺によって肺気が充実して身は軽くなる」と解説している。

 参考文献:利水滲湿薬「猪苓」の補益性について

 茯苓は甘淡平で、脾と肺の湿邪を滲湿利水する。
 追記:ブクリョウには滲湿利水とともに健脾補中などの補益作用があり、これらチョレイとブクリョウの補益作用により、猪苓湯一方剤で、明らかな扶正と袪邪を兼ね備えた方剤となっている。

 滑石は甘淡寒で帰経は胃・膀胱経、清熱通淋して水道を通利するが、上下表裏の湿邪を小便によって排出する作用がある。
 これら四薬によって水熱互結を清利して解消する。

 阿膠は甘平で帰経は肺・肝・腎。滋陰潤燥・養血止血する。
 これら五薬によって滲湿利水と養陰清熱を同時に行うもので、利水しても傷陰せず、滋陰しても邪を留まらせず、水湿を去り、邪熱を清し、陰液を回復させるものである。

 と、教科書的には如何にも良くできた方剤のような説明になるが、現実的には煎薬であれば阿膠は加減すべきであり、エキス剤を用いる場合は、前四薬を煎じたエキスに後でゼラチンをそのまま加えた製剤においては、膀胱炎に対する治療効果は、却って悪くなる場合がある。

 後述するアトピー性皮膚炎の場合は、患者さんの陰虚レベルで使い分ければ、却って便利であるが、筆者は膀胱炎や尿路結石に使用する場合には、阿膠も一緒に煎じてエキス化したような、一見杜撰に見える製造方法のものが有効だと考える。実際に自分自身が尿路結石に罹患した場合も、阿膠があると効力が悪いので、猪苓湯去阿膠を基本にした煎薬で治療できている。エキス剤においては他の病院や薬局で猪苓湯を処方されて効き目が悪いと悔やむ患者さん達に、阿膠の作用の弱い製剤を出して、却ってよく効いている。

 ともあれ、私が最も多用して来た湿潤性皮膚疾患や多汗症、とりわけアトピー性皮膚炎をはじめとする皮膚疾患は、後述するように「肺脾病」であるから、猪苓湯の薬味中、上下表裏の湿邪を小便によって排出する滑石と、脾と肺の湿邪を滲湿利水する茯苓が中心となって働いているものと考えられる。それゆえ「滑石茯苓湯」と別称を設けた所以である。

 かくして、滑石茯苓湯(猪苓湯)は、肺・脾・腎・肝の四臓の補益とともに滋陰利水の効能を持つので、少陽三焦を通じて皮毛と肌肉間の膜腠区域の水分代謝の偏在を調整する効能を発揮し、多くのアトピー性皮膚など皮膚疾患系のみならず、かなり広い領域の様々な疾患に対して応用範囲が拡大するのである。


 アトピー性皮膚炎の中医学的考察

 現代の難治性疾患ともいえるアトピー性皮膚炎に対する論文は、村田自身にも何度かまとまった論説を発表しているが、結局は1996年5月に東洋学術出版社から発行去れた『アトピー性皮膚炎の漢方治療』の拙論「肺脾病としてのアトピー性皮膚炎」におけ考察が、一番妥当適切であったと思われる。

 アトピー性皮膚炎は現象的には皮膚と皮下組織の病変であり、中医学的には肺に属する「皮毛」と脾に属する「肌肉」の病変であるから、アトピー性皮膚炎は肺脾病と考えることができる。それゆえ、大気汚染の状況や空調設備の環境および食生活の習慣や環境などと、密接な関係がある。

 ところで、『素問』咳論に「五臓六腑はみな人をして咳せしむ。独り肺のみにあらざるなり。」と述べられているように、五臓の機能が失調すると少陽三焦を運行する気機の逆乱を誘発し、いずれも肺の宣降を失調させて咳嗽が出現しうることを指摘しているが、アトピー性皮膚炎も同様に、五臓の病変が肺脾に波及すると、いずれもアトピー性皮膚炎を誘発しうるのである。

 昨今のアトピー性皮膚炎には様々なタイプがあり、代表的な弁証分型を提示することはできても、すべてを包括することは不可能な状況である。肺脾の疾患であっても、五臓の病変はいずれも本病を誘発しうるだけに、病機は複雑多岐である。

 とはえい、これはなにもアトピー性皮膚炎に限ったことではなく、大局的に見れば他の疾病となんら異なることのない普遍的な共通性である。それゆえ、アトピー性皮膚炎だからといって特別視する必要はなく、肺脾病との認識に立脚して中医学理論にもとづく弁証論治を忠実に行うという基本的な営為こそが、最も有効な治療方法といえるはずである。

 人体の生命活動は「五行相関にもとづく五臓を頂とした五角形」が基本構造であり、病機分析(病態認識)の基礎理論となる構造法則は、陰陽五行学説である。陰陽五行学説という原理にもとづく中医学理論は、よりハイレベルな構造法則として常に発展していく必要があるが、差し当たりは現段階における中医学理論にもとづき、五臓を頂とする五角形のひずみを矯正することが、疾病治療の基本原則となる。

 つまり、成都中医学院の陳潮祖教授が『中医病機治法学』(四川科学技術出版社発行)で述べられているように、五臓間における気・血・津液の生化と輸泄(生成・輸布・排泄)の連係に異常が発生し、これらの基礎物質の生化と輸泄に過不足が生じたときが病態であるから、五臓それぞれの生理機能の特性と五臓六腑に共通する「通」という性質にもとづき、病機と治法を分析して施治を行うのである。

@病因・病位・病性の三者を総合的に解明し、A気・血・津液の昇降出入と盈虚通滞の状況を捉え、B定位・定性・定量の三方面における病変の本質を把握するというわけである。

 治療方法については、これらの病機分析にもとづき、病勢の感熱に対応した薬物を考慮しつつ、@発病原因を除去し、A臓腑の機能を調整し、B気血津精の疏通や補充を行うのである。

 治療の成否は、中医基礎理論の知識を実際の臨床にどのように活用し、応用できるかという一事にかかっているが、実際の臨床においては「現症の病機」の把握に大きな間違いかなければ。アトピー性皮膚炎といえども、既製のエキス剤の代用でも、一定の成果を上げうるのである。


 アトピー性皮膚炎への応用

 猪苓湯を多汗症に対して応用する発想から、エスカレートしてしまったかのように、そのまま難治性のアトピー性皮膚炎への応用にまで突き進んだわけだが、多汗症に対する臨床例では弁証分析による基本方剤、たとえば防已黄耆湯あるいは玉屏風散などに猪苓湯を加えればかなり効果的であった。実際には順序が逆で、皮膚疾患に対する多数の応用経験があったからこそ、多汗症者に対する応用の発想が湧いたのであった。その他にも、気管支喘息や蓄膿症など、いずれも肺脾に関係する疾患に応用する機会もかなりあった。

 ともあれ、アトピー性皮膚炎などへの応用条件は、患部が湿潤していたり水疱性であることを条件に、養陰清熱利水の猪苓湯を応用するのである。皮膚病における分泌物の実態は主に汗と同様、津液が化したものであるから、津気が昇降出入する通路としての少陽三焦との関係は密接である。

 但し、アトピー性皮膚炎に限らず、喘息であれ蓄膿症であれ、多汗症であれ、単方投与は殆ど少なく、いずれの場合も他方剤と併用することが多い。たとえば、アトピー性皮膚炎では、しばしば六味丸系列の肝腎陰虚に対する方剤と併用することが多いなど、いずれも正確な弁証分析があってはじめて、猪苓湯も有効に活きるのである。

 なお、アトピー性皮膚炎に実際に猪苓湯応用した例を、先述の東洋学術出版社発行の『アトピー性皮膚炎の漢方治療』に、村田による四名の比較的詳細な弁証分析を記載した症例が掲載されている。


 猪苓湯と少陽三焦の関係

 猪苓湯は陽明や少陰の水熱の病変に対応するものとして、傷寒論の時代から多々応用されてきた重要方剤である。
 ところで、水湿のからむ病変では、少陽三焦との関係を無視できないものであるが、これまで述べてきたように私の経験と考察によれば、猪苓湯は少陽三焦における機能失調の病変に比較的広範囲に適用できるものと考えている。

 すなわち、《滑石茯苓湯(猪苓湯)は少陽三焦における陰虚湿熱を改善する基本方剤》であるとの認識であるが、このことは今後、猪苓湯の応用範囲をさらに広げるものであると思われる。

 「三焦の陰虚湿熱」という病機概念は言葉としては耳新しく、大変奇異に思われるかもしれない。

 よく似たものでは「三焦の湿熱阻滞」があり、湿熱阻滞によって三焦の機能不全に陥った病態を示す病機概念であるが、これには三仁湯や甘露消毒丹のように、辛開・苦泄・芳化・淡滲により湿熱を除去する方法でなければ病態を改善することは難しいとされている。

 それゆえ、滑石茯苓湯(猪苓湯)の処方構成から見ても、「三焦の湿熱阻滞」に対する基本方剤とすることはできそうもない。

 したがって、滑石茯苓湯に即応する病機は「三焦の陰虚湿熱」であり、陰虚湿熱による少陽三焦の比較的軽い機能失調に対応する、と言えそうである。

 とは言え、前述したように、時には阿膠を必要としないケースもママあり、筆者自身の尿路結石経験からも、阿膠を去って用いて却って著効を得ているのである。それゆえ、阿膠を去ればあらゆる軽度の「三焦湿熱」に対する方剤として活躍の場が広がるのである。

 幸か不幸か、市販されている猪苓湯エキス製剤には阿膠(ゼラチン)を一緒に煎じて作られた為にか、阿膠の滋陰力を殆ど感じさせない製剤もあり、一方では他薬を煎液でエキスを抽出して製剤粉末化した後に、阿膠を加えたものは、総じて利水力が殺がれ、却って使い物にならない場合もあるようである。


 五臓間の整体関係に対する注意

 なお、水液の正常な運行の分配は、肺気・脾気・腎気・肝気に依存しており、これらのどの一臓の機能が失調しても、水液が三焦において壅滞するようになり、痰飲水湿に変性して様々な病態が生じ得る。そして痰飲水湿の邪は、三焦を流通する気に従ってどこにでも流れて行き、阻滞したそれぞれの場所に応じて特有の病変病態が出現することになる。

 病態を正しく把握するには、常に五臓間の整体関係に注意しなければならず、時に複雑になり過ぎて混乱を生じかねない。しかし要約して考えると、五臓の生理機能はいずれも気血津液の生化輸泄と関係があり、「流通しているもの」としての共通した働きがある。そしてそれらの基礎物質の生化輸泄に過不足やアンバランスが生じた時が、其の折々の病態なのである。それゆえ、《五臓六腑の「通」というキーワードこそが、病機と治法を分析する上で、重要な指針になる》、ということを認識していると、複雑な中医学も大変理解しやすくなると思われる。


 三焦を研究する意義と問題点

 そのほかの少陽三焦に関係した基本方剤に対して管見を述べると、藿香正気散について角度を変えた考察と実践がある。「外感風寒・内傷湿滞」の病機に対応する方剤とされるのが一般的であるが、「三焦湿鬱・昇降失司」あるいは「(三焦の)寒湿阻滞・昇降湿司」の病機に対応する方剤として考えると、藿香正気散の広範囲な応用が、理論的にも臨床的にも可能になる。

 「三焦」などと実態が分かっているようでも、古来より様々な学説があり、実際には大変解釈の難しい面を持った「機能体」を持ち出して記述することは、多くの問題があると思われる。現代中国においても三焦の解釈はマチマチであり、かなり軽視した解釈をするものもあれば、重要なテーマとして取り扱うものもあり、統一が取れているとは言いがたい「難物」でもある。

 しかしながら、臨床に直結した有益な理論構築であれば「創造的進化」としてある部分認められてしかるべきものと愚考する次第である。管見からすれば中医学および中医漢方薬学をさらに発展させる可能性を秘めている部分の一つが、この手少陽三焦であると思うのである。

 ここで最後にもう一度言わせて頂ければ、陳潮祖教授の御高著を基礎に、三焦とは、膜原と腠理から構成される機能体を指している。これらは肌表・五臓六腑・四肢百骸の各組織と連絡し、津と気が昇降出入する通り道である。そしてこの膜原と腠理はまた、肝が主る筋膜組織に属するものであるから、疏泄を主る肝との関係は大変密接なものである。

 それゆえ、肺気・脾気・腎気ばかりでなく肝気も加わって、主にこの四臓の機能が協力して実現される「津気の運行」が実際に行われている区域こそ、膜原と腠理から構成される「少陽三焦の腑」としての実体なのである。と同時に、これら肺脾腎肝が協力して行う津気運行の働きのみを取り出して概括したものがすなわち「少陽三焦の機能」の実体である。


 おわりに

 実際の滑石茯苓湯(猪苓湯)のアトピー性皮膚炎に対する臨床応用例は記述の通り、東洋学術出版社発行の『アトピー性皮膚炎の漢方治療』に、拙著として「エキス剤運用 肺脾病としてのアトピー性皮膚炎」と題して、かなり長文詳細な症例報告を四例掲載されている。もしも購読ご希望の方は、東洋学術出版社のサイトから、お問い合わせ願いたい。
posted by ヒゲジジイ at 11:25| 山口 | 中医漢方薬学『中医学と漢方医学の融合』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月31日

脾湿についての考察

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 ●寒湿困脾について

 寒湿困脾は、寒湿中阻とも称され、日常の臨床でしばしば見られる。

 病理的には寒湿の邪が内盛し、「中焦脾胃」という三焦の枢軸が困阻(阻遏)され、胃が痞えて苦しい・身体が重い・下痢・浮腫などの症状が発生したものである。

 脾は太陰湿土で、燥を喜(この)み湿を悪(にく)む。それゆえ、水遊び・雨に濡れる・湿気の多い場所に居住する・あるいは生冷物の過飲や過食などがあると、寒湿が内侵して中陽を困阻(阻遏)しやすくなる。

 とりわけ内湿がもともと盛んな者では、ちょっとした過飲や過食でも中陽が困阻されてますます寒湿が内生する。

 つまり、「太陰脾土」と「寒湿の邪」という同類は互いに招きあうので、容易に寒湿が脾にとりついてしまい、このために運化と昇降が失調して上述の諸症状が発生する。

 陳潮祖著『中医病機治法学』では、湿困脾陽や湿困脾胃という「実証」の病機に対応する平胃散証も、代表的な寒湿困脾として論じられている。

 しかしながら、寒湿困脾は「虚中挟実」の脾虚湿困に比較的接近し、胃苓湯あるいは香砂養胃湯などが適応する病態であるとする見方もあるので、注意を要する。

 たとえば、天津化学技術出版社の『臓腑証治』では、寒湿困脾においては水湿内停という寒邪を形成するものの、根本的な原因として脾虚の内在が前提条件であるとし、方剤例は胃苓湯と茵蔯四逆湯加減があげられている。

 さらに極端なものでは、脾虚湿困の別名が寒湿困脾であると記載する書籍もあるが、こればかりは錯誤としか思われない(たとえば人民衛生出版社刊『中医証候弁治規範』)。

 一般的には、脾虚傾向が顕著でない者が、過度な水遊びや水中作業・湿気の多い居住空間、あるいは暴飲暴食から脾陽が阻遏・損傷され、水湿内停を生じた急性症状では実証に属し、病機は「湿困脾陽」や「湿困脾胃」であり、平胃散類の適応となる。

 もしも寒邪が比較的顕著であったり、脾虚が内在して発病した場合でも実証に属する場合が多く、このときの病機こそが「寒湿困脾」なのである。

 藿香正気散や胃苓湯・平胃散加白朮、あるいは平胃散中の蒼朮を白朮に換えるなど、脾陽の損傷だけでなく腎陽の損傷や脾虚に対する配慮も必要であるが、脾虚が基礎にあっても実証が主体であることに違いはない。

 なお、ここで言う実証とは「邪実によって生じる一連の症候」という意味である。


 ●病機の呼称における記号学的な問題点

 脾湿の病変には、

@湿困脾胃
A湿困脾陽
B湿邪困脾
C寒湿困脾
D寒湿中阻
E脾虚湿困
F脾虚湿阻

など、中医学では最も常識的なこれらの病機が、書籍によっては上述のような異論や異説、あるいは混同・混乱、時には錯誤が見られるので注意が必要である。

 上記の@〜Fは、実証度の高い順に次の三種類に分類できる。

 【一】 @湿困脾胃・A湿困脾陽・B湿邪困脾の三種類は同義語に近い。急性で見られることが多く、実証に属する。

 【二】 C寒湿困脾・D寒湿中阻の二種類は同義語に近く、寒湿の邪が比較的顕著であったり、脾虚が基礎にある場合のいずれかであるが、急性で見られることが多く、実証が主体である。

 【三】 E脾虚湿困・F脾虚湿阻の二種類は同義語であり、慢性で見られることが多く、明らかに「虚中挟実」に属する。

 したがって、E脾虚湿困とF脾虚湿阻では、香砂養胃湯のみならず参苓白朮散や香砂六君子湯などの「健脾除湿」の方剤が適応となる。

 ただし、実際の臨床では【一】と【二】の中間型や、【二】と【三】の中間型も多く見られ、藿香正気散や胃苓湯・香砂養胃湯などに限らず、各種の基本方剤を加減・合方するなどすれば対処できる。

 このような平胃散から六君子湯までの類縁方剤については、脾湿という水湿内停(「胃内停水」というのは具体的な症候)の病変をキーワードとして、記号化された上述の病機類を参考にして、各自で詳細な分析・検討・整理を行い、実際の臨床における混乱を避けたいものである。

 たとえば、湿困脾陽と寒湿困脾を比較すれば、湿邪は陰邪であるから脾陽を阻遏するものの、寒邪がなければ腎陽にまで波及することは少ない。

 しかしながら、湿邪に寒邪が伴えば、脾陽を損傷するばかりでなく、容易に腎陽に波及する。

 このへんにも注意深い配慮が必要であるから、湿困脾陽に対する平胃散と、寒湿困脾に対する胃苓湯の差異として認識するのも、一つの方法であろう。

 以上の拙論は、却って初学者を混乱に陥れる恐れがあるが、現実的にはそれほど細かく分析しなくとも、適当な区分ができれば、それほどの不都合は生じない。

 しかしながら、「生体内の生命活動は言語のように構造化されている」というよりも、もともと「人体の生命活動は構造化された」ものであるから、その生命の宿る人間同士の意思疎通の道具である「言語」が構造化されていて当然であり、それゆえフランスの精神医学者、ジャック・ラカンが、ソシュールの言語学をモデルとして、「無意識は言語のように構造化されている」という命題を出発点にすることができたのであろう。

 このように、「生体内の生命活動は構造化」されているのであるから、病機の記号学的な理詰めの詮索が、実際の臨床に直結することになるので、高度な知識と分析力を獲得するには、さらに深く掘り下げた考察は避けて通れない。
ラベル:脾湿
posted by ヒゲジジイ at 14:13| 山口 ☔| 中医学基礎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする