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2025年10月30日

病 名 漢 方 の 功 罪 (村田漢方堂薬局 村田恭介著)

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病名だけで漢方薬を使用することの利点と問題点を論じたものです。

 『和漢薬』誌に長期間連載していた村田恭介訳注の陳潮祖著『中医病機治法学』における「訳者のコメント」として、しばしばまとまった小論を発表していましたが、本論もその中の一つで、2004年12月現在、読み直しても些かも古びていません!

 日本で顕著な「小柴胡剤」の乱用問題、および「病名漢方」の功罪について、現在でも十分過ぎるほど村田恭介の指摘は的確であると自負しています。

 なお、もともとは『柴胡剤と病名漢方雑感』と題した論説でしたが、かなり加筆修正した部分もありますので上記のように改題し、また、読者の想定が医師・薬剤師であった雰囲気を壊さないために、「文体」はそのままで掲載することにしました。


● 柴 胡 剤 と 「 病 名 漢 方 」 雑 感

 私の漢方入門は、今から三十二年前に、薬科大学卒業直後からで、もっぱら書籍を頼りに日本流の古方派漢方を主体に十年間、薬局の店頭で実践を続けてきた。

 その後は徐々に中医学に目覚め、ここ二十年以上は中医学理論を主体に、日本漢方の基本方剤を大切にする精神を合体させた「中医漢方薬学」を実践して今日に至っている。

 今、振り返ってみると、私が古方派の頃は「柴胡剤」の全盛時代で、小柴胡湯・柴胡桂枝湯・柴胡桂枝乾姜湯・大柴胡湯など、当時の指導的な立場にあられた先生方の著作物や専門雑誌の論文や症例報告など、柴胡剤の優れた体質改善作用が、広く日本の漢方界に喧伝され続けていた。

 日本漢方の基本精神である方証相対や随証治療の重要性が強調されながらも、一方では肝臓病に小柴胡湯、胃・十二指腸潰瘍に柴胡桂枝湯加牡蠣小茴香、胆石に大柴胡湯、気管枝拡張症に柴胡桂枝乾姜湯など、あるいは変形性膝関節症に防已黄耆湯、アレルギー性鼻炎に小青竜湯、メマイに苓桂朮甘湯、頭痛に五苓散や桂枝人参湯等々、病名漢方が広く喧伝されていたもの事実である。

 御多分にもれず、私自身も入門初期の30年前頃は、柴胡剤の頻繁な販売や、病名漢方的な販売に勤しんでいた時期があったことは否定出来ない。

 基礎理論を熟知した上で、「病名漢方」という通説あるいは俗説も参考にする程度であるなら、あながち病名漢方や口訣漢方も全面的に否定するには及ばない。

 中医学派においても弁証論治が強調されながらも、一方では眼科疾患に杞菊地黄丸、冠状動脈性心疾患には冠心二号方、神経痛・腰痛に独活寄生湯など、病名漢方的な通説がないわけではない。

 但し、一部に行われているような一般消費者相手に漢方製剤や中医学製剤(中成薬)の病名治療的な宣伝は、一般の家庭用医薬品と同列扱いに堕せしめる行為であり、些か顰蹙物であろう。

 このような例外は別にして、専門家が基礎理論を熟知した上で、折に触れて病名漢方や口訣的な言い伝えを参考資料にすることについては、否定されるべき要素は少なく、むしろ有益で能率的であるとあるとさえ思われるのである。

 むしろ否定されるべき俗説は、柴胡剤の体質改善効果の優越性が過剰なまでに強調され続けて来たことである。

 この俗説に「肝臓病に小柴胡湯」というような、信憑性が疑われる病名漢方が複合されることで、安易に小柴胡湯を乱用する風潮を醸し出してしまったことは、とんでもない間違いであったと思われるのである。

 ともあれ、私自身、日本の古方派時代と「中医漢方薬学」を実践し始めて以降を比較すれば、柴胡剤の使用が激減し、六味丸系統や四物湯系統の地黄含有方剤の使用頻度が遥かに増加し、以前は単方投与が比較的多かったのが、中医基礎理論の学習が深まれば深まるほど、合方・加減が日常化するようになり、それとともに各種疾患に対する著効および有効率は急上昇している。

 同時に漢方薬販売に対する安全性への配慮も、過度なくらい慎重に考えるようになっている。

 とりわけ、柴胡剤の代表格の小柴胡湯、および麻黄剤の小青竜湯を使用する機会は、不思議にほぼなくなってしまたのである。

 しかしながら、大柴胡湯の使用頻度は不変で、胆石症や慢性膵炎のみならず、昨今では逆流性食道炎に使用頻度が高まっており、各種消化器系疾患には無くてはならない方剤である。

 体格の比較的華奢な女性にも使用頻度はかなり高く、心下痞硬を伴う患者さんには、半夏瀉心湯証やその他のほう剤よりも、ダントツで大柴胡湯証が多いという印象である。


● 大 柴 胡 湯 の 経 験 例

 既述のように、私の薬局では開局以来の繁用方剤であり、日常的に使用している訳であるが、その中から特殊な合方例を簡略に紹介する。

 三十代のガッチリした体格の女性。以前から油物や中華料理が大好きで、中華の専門料理店で外食する事が多い。ところが、ここ一年、中華料理店で食事中に、突然の嘔吐に見舞われることが度重なっていた。
 下痢もともなうこともあった。のみならずメマイ感が常習化するようになった。

 当然のことながら通院し、治療を求めて諸検査・諸治療を受けたが、全くの原因不明で、それゆえか治療効果も全くみられない。
 相変わらず中華料理・油物が大好きであるが、外食が出来なくなっただけでなく、日常の食事でも油物の摂取後に生じる吐き気やメマイ感に耐えられなくなっている。
 (以前から鼻炎と気管支喘息で漢方薬を服用中の)母親に連れられて来局。

 上記の自覚症状に加えて、症候として心下の痞えがあり、これを圧迫すると不快で吐き気が生じ、胸脇苦満・舌苔の微黄膩などを伴っている。
 西洋医学的には胃腸の問題というよりも、むしろこれらの胃腸症状の原因を膵臓関係のトラブルに求めたいところであるが、上述のように病因での諸検査では全く異常が見付かっていない訳である。

 ところが、上述の一連の症候から分析すると、中医学的には肝胆湿熱(湿邪偏勝)が主体であることは明白である。それゆえ、大柴胡湯合半夏白朮天麻湯を各エキス製剤を服用してもらったところ、比較的順調な回復が得られ、一年以上続いた不快な消化器症状のみならずメマイ感も半年間で完全に消失。現在では休薬しているが、休薬後も今のところ二年以上、再発はみられていない。

(これは6年前の時点での経過報告で、その後の経緯は不明)


● 病名漢方による現実的な弊害

 大柴胡湯の有用性について述べることで、病名漢方の弊害について、具体的に述べるのが最後になってしまったが、柴胡剤による弊害は小柴胡湯による間質性肺炎の問題として、マスコミにも過大に取り上げられた。

 しかしながら、実に不可解な問題でもあり、果たして本当に小柴胡湯が犯人なのかという疑問も長く漢方界では疑問視されていることも事実であるが、それ以前の問題として、弁証論治や方証相対・随証投与という中医学や漢方医学の基本ルールを無視した病名治療、すなわち「肝臓病に小柴胡湯」などという実に馬鹿げた神話が横行していたことこそ、重大問題として論じられてしかるべきであろう。

 このような保険漢方による由々しき乱用による弊害は、一般の患者さんたちにとってはもちろんのこと、基本ルールを厳重に遵守している漢方専門の医師・薬剤師にとっては、甚だ迷惑千万なことであった。

 このほかにも、保険漢方では「気管支炎・花粉症・アレルギー性鼻炎に小青竜湯」という極めて悪質・乱暴な神話が横行しているらしく、これら病名漢方による小青竜湯の乱用で、乾燥性の咳嗽や嗄声・鼻痛などの燥熱症状に困却して相談に来られる患者さんたちが目立つ昨今である。
 
 いずれも、小陥胸湯や辛夷清肺湯あるいは麦門冬湯や滋陰降下湯などの投与で、比較的簡単に解決できる事が多いが、近頃のように暖房設備の充実した生活環境下において、しかも下関という村田漢方堂薬局の立地する中国・九州近辺の気象条件下において、肺寒停飲の証候を呈することはかなり少ない筈なのである。

 仮に本証のように思えることがあっても、ほんの一時的な肺寒現象に過ぎない場合が殆どであるから、数日間の短期投与に留めておくべきであろう。
 
 ところが、最初から小青竜湯証と無縁の患者さんたちにまで、病名や症状だけで安易に投与されているケースが多いのは、実に困った問題で、その尻拭いを我々漢方専門の薬局がやっているわけなのである。
posted by ヒゲジジイ at 11:15| 山口 | 漢方薬の病名治療には無理があり過ぎる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月29日

これからの「中医漢方薬学」 (修訂版)

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東洋学術出版社発行「中医臨床」誌1995年6月(通巻61号)発表論文
                 山口県下関市 村田漢方堂薬局  村田恭介著

●はじめに

 山梨大学教育学部助教授、池田清彦氏の著書『構造主義科学論の冒険』(毎日新聞社発行)を読むと、陰陽五行学説にもとづく中医学理論そのものが、まぎれもなく、スケールの大きい1つの科学理論であることを確認することができる。

 池田氏は生物学者であり、中医学や漢方とは無縁の方である。したがって、論説中には中医学のことも漢方医学のことも、直接的にはまったく触れられてはいないが、

★「科学は現象間の関係記述です。」
★「科学というのは構造を記述することです。科学理論というのは構造のことです。」
★「構造とはコトバとコトバの関係形式です。」
★「最終的に正しい究極の理論というのはありません。より多くの現象を説明できる理論が、より有効な理論であるといえるだけです。背反する2つの理論が同じくらい有効な時、必ずどちらかの理論が間違っているなどということは決してありません。」
★「すべての科学理論は、構造によって現象をコードするという構図になっています。すなわちなんらかの不変の同一性によって、変なるものをコードするという構図になっています。」

 などの論述は、中医学や漢方医学の関係者にとっても、重要な示唆を与えるものと思われるのである。
 
 昭和の終わりごろから筆者は、日本漢方の将来のあるべき姿として、弁証論治の中医学に随証治療の漢方医学を吸収合併させた「中医漢方薬学」を提唱してきたが、上記の池田氏の論文にも触発され、「構造主義的中医漢方薬学の冒険」を継続している次第である。

 けだし、陰陽五行学説にもとづく中医学理論そのものがすでに構造主義的であることは、上記の池田氏の論述が示唆するとおりである。


●中国の新刊書『日本漢方医学』

 おとなり中医学の本場中国では、中医学関係の新刊書籍類が、ひところほどではないにせよ、毎月かなりな点数で発行され続けている。昨年、中国中医出版社から発行された『日本漢方医学』という700頁に近い大部の書物を入手したが、日本漢方に関する書籍は、ここ数年だけでも4〜5点を下らない。本書においても、日本の伝統医学としての漢方医学に対する中国側の関心のほどがうかがえるものの、日本漢方の歴史と伝統や最近の研究結果を論述するばかりでなく、問題点についても見逃してはおらず、最終章「日本漢方医学発展の趨勢と現存する問題点」の文末の最後の2行において、次のように指摘している。

 「村田恭介は日本漢方の将来として『中医漢方薬学』を声高に提唱しているのであるが、現在までのところ、日本の漢方界では基礎理論の研究と運用をないがしろにしたまま、今日にまで至っている。」(この部分を最後に本書の全文が終了。日本語訳は村田。)

 1994年3月に発行されたばかりの、この新刊書籍の最終末尾である最も結論的な部分で、筆者が7年らい提唱し続けている「中医漢方薬学」が引用されており、わかる人にはわかってもらえるものだと嬉しかったものの、「現在にいたっても日本の漢方界では(陰陽五行学説にもとづく)基礎理論の研究と運用がいまだにないがしろにされたまま」であると結論づけられているだけに、いささか複雑な思いでもある。つまり、村田の声高の提唱があっても今までのところ、ほとんど無効のようであるとの大きな嘆息が聞こえてくるからである。

 ところが実際のところを言えば、昨今では日本の各地で中医学熱が高まっており、7年前に筆者が初めて「中医漢方薬学」を提唱したころに比べ、まったく隔世の感がある。漢方系の多くの雑誌に掲載される記事など、とりわけメーカーサイドの機関紙などは、期待される方向に確実に進んでいるようである。K社の機関紙もI社の機関紙もM社の機関紙もしかりといえ、薬系向けのものはこの傾向がさらに顕薯であり、薬系の漢方こそは「中医漢方薬学」の実践が定着しつつあるように思われる。

 一方、医系の漢方は薬系ほどではないらしい。その証拠にいまだに中国側は、日本漢方界では基礎理論の吸収とその臨床応用がまったく不十分であると見ているように、中国側が主として情報源とされている日本の権威あるべき漢方関係の学会誌や機関誌が、そのような認識をもたれても致し方ないような記事が少なくないからである。

●中国の中医学界の動向

 ひるがえって、本場中国の現況はどのようであろうか。本場には本場なりの問題を抱えているようで、本誌『中医臨床』の1994年9月号掲載の編集部による「北京リポート」によれば、建国以来中医学をリードしてこられた第一世代の呂炳奎教授は、「最近の経済情勢の混乱と西洋医学化現象には強く憂慮している。中医の特色を保持することを基本におかねばならない。それでなければ中医は必ず消滅する。発揚はその上に築かれるものだ。」と、現在の中医学界に対する危惧の念の述懐があり、他の老中医も言い方はさまざまであるが、同様の発言であったといわれる。

 ただし、その中で印会河教授だけは異なった意見で、「発揚に力を入れなければ、いつまでも二千年前のままである。これで現代社会に適応できるだろうか?」との疑念を表明し強調されたという。同教授の発揚重視の観点は、1980年代に純粋中医派からの激しい批判を受け、その後は表立った発言はなかったものの、第二・第三世代の間では根強い人気を得ているとのことである。

 このような「継承と発揚」に内在する問題が、第一世代から第二世代へと指導権が委譲された現在、次第に顕在化しつつあるようで、『中医臨床』誌の編集部が取材した各機関の指導者たちである第二世代の発言には、多かれ少なかれ中医の現代化を強調する発言が目だち、医療従事者であるかぎり西洋医学の知識は最低限必要であり、難病患者が殺到する中医病院においては、中医だけで処理できるものではない、として西洋医学の長所を取り込まなければ、目の前の患者を救うことはできないとの見解から、瘀血があれば丹参、高血圧には羅布麻、リウマチには雷公藤、大葉性肺炎なら魚腥草など、中西医結合の薬理学的研究の成果が取り入れられているとのことである。これに対して編集部では、「それがすなわち『現代化』であるという論理の短絡を招き、さては『弁病と弁証の結合』という論理に帰結してゆく。」と、やや批判的な見解を述べられている。

 重ねて言うまでもないことだが、建国以来の純粋中医学派の第一世代が、第二・第三世代による性急な西洋医学化運動に対して強烈な危惧の念を抱かれておられるのは、中医学そのものが消滅するのではないかとの危機感からである。


●継承と発揚のために

 よりよい生を求めて、ヘーゲルはカントを、マルクスはヘーゲルを、フランスのデリダやドゥルーズ、ボードリアールなどポスト・モダニストたちはマルクス主義を批判し、ポスト・モダニストたちの思想的源泉はニーチェ思想であり、そのニーチェはカントやヘーゲルを批判し、若い頃に心酔していたショウペンハウエルさえも批判した。
(ニーチェは、西欧の形而上学は神や超越的な真理に逃避する負け犬や弱者の哲学であるとして根本的な批判を加えたことは周知の通りであるが、現代思想における近代最大の思想家とされるにいたっている。ちくま文庫の竹田青嗣著『ニーチェ入門』を参照。)

 このように、その時代における社会的な現実認識の上から、前人の哲学・思想的業績に批判を加えることを通して、ヘーゲルもマルクスもニーチェも、ポスト・モダニストたちも、それ以前の思想や同時代の思想に批判を加えつつ独自の思想を構築してきたのであり、彼らそれぞれの思想は、彼らの暮らした時代の社会的現実の要請から必然的に生まれた業績であるといえるのである。

 批判が加えられたそれ以前の思想あるいは同時代の思想は、たとえその時代に最高の思想と信じられていたものであっても、やがては次の時代の社会的現実の要請にマッチした新たな思想が構築されるための踏台とされる宿命を担っていたのであり、同様に新たな時代の要請で生まれた新思想も、やがては同じ運命を辿る可能性を常に孕んでいる。

 このように、前人の業績は常に踏台として批判が加えられる宿命と必然性を担って推移してきた近代から現代にいたる西洋思想の発展過程は、中医学の今後の継承と発揚の大いなるヒントを提供するものである。

 成都中医薬大学の陳潮祖教授が御高著『中医病機治法学』の中で述べられているように、中医学は「哲学理論と医学理論が結合した科学的原理や法則」であるだけに、時代の現実的な要請に応じた難治性疾患に対するハイレベルな治療効果を求めるなら、すでに公理とされているような原理や法則についての再検討と再確認を行いつつ、時代の要請にマッチした新たな理論や法則の可能性について、純粋中医学の領域内に留まらず、現代西洋医学における病理学・薬理学など、近縁する諸科学を動員して、絶えず追求模索する必要性と必然性が生じるのである。

 ところで、『現代思想を読む辞典』(講談社現代新書)の巻頭に今村仁司氏の次のような文章がある。

 「特権的な思想の『語部(かたりべ)たち』は、一方ではいやがうえにも古典的文献を崇め奉り、他方では現代・同時代の諸思想を上から見下したり、軽侮の念をもって無視したりしてきた。例えば、学者の卵たちが現代的諸思想の研究に志す場合、彼らは先生たちから叱られたものである。教育上、古典の研究から始める方が精神の発展のためにはきわめて生産的であるという理由から教師たちが現代ものに魅かれる弟子たちをいさめるのはまことに正当ではあるが、その限度を越えて現代的な思想はいっさいまかりならぬというに到っては病的というほかはない。この種の病的反応は現在でもいたるところにみられる。現代思想へのアレルギーは、古典崇拝の看板に隠れて自分で思索することを放棄した精神の怠慢を押し隠すことにほかならない。こうした思想状況はそろそろ終りにしなくてはならない。」(傍線部は引用者)

 ここで、傍線部分をすべて「西洋医学」に置き換えてみると面白い。つまり、本場の中国でさえ、日本の漢方界と内容は微妙に異なってはいても、中医学界の新しい世代と伝統を守り続けてきた世代との相克がみられるのである。

 ここで再び面倒なことであるが、今度は引用文の傍線部分をすべて「現代中医学」に置き換えてみて欲しい。このようにすれば、少し前までの日本漢方界の状況がそのまま映し出されるわけである。ところが、現在の中国側から見れば、7年前から村田による「中医漢方薬学」の提唱もむなしく、日本の状況は基礎理論の研究と運用をないがしろにしたまま、現在にいたってもほとんど変化がないままである、と認識されていることは前述の『日本漢方医学』と題された中国書籍の結論部分を引用した通りである。

 哲学・思想界では、その時代の現実的な要請に応じて、常に前人や同時代人の業績が踏台として批判が加えられつつ、同時代にマッチした新たな思想が構築されてきており、その時代の社会的な現実認識の上で必然性があれば、ニーチェ思想のような復活をとげる現象もみられるなどの経緯を観察していると、中医学の将来としての中西医結合の必然性や、日本漢方の「中医漢方薬学」の必然性が動かしがたいものとして見えてくる。


●進歩と発展のために批判的精神は不可欠

 中医学や漢方を西洋思想の状況と同列において論じることは、いささか乱暴にすぎることは百も承知であるが、多くの共通点も見逃せないことも事実である。次代の思想や医学は、同時代の状況を全面否定するにせよ、そのまま無批判に継承するにせよ、あるいは批判的に継承するにせよ、いずれの場合でも過去の学問的成果の前提の上に構築されるものであることに違いはない。過去があっての現在であり、現在は過去の延長であるから過去を無視するわけにはゆかず、かといって過去にこだわってばかりいれば、新しい時代にマッチしない時代遅れで使いものにならない思想や医学に堕する危険性が生じるのである。

 そもそも批判が生じた原因は、批判者の立場からみて同時代の現実的な矛盾や疑問、不都合などを感じ、改良や改革あるいは解体などの必要性を認めたからであろう。無批判に継承してかえって沈滞化に陥る事態を招くより、時代とともにますます複雑多様化する難治性疾患に対処すべく批判的な継承こそが、遥かに有益なことのように思えるのである。

 今後のさらなる進歩と発展のためには、同時代の現実的な要請にもとづいた有益な批判こそ望まれるのではないだろうか。


●北京における中成薬ブーム

 さて、再び本誌『中医臨床』誌の9月号によると、外来1日に3,000人、病棟ベット500床という中国最大の中医専門病院「北京市中医医院」における全使用薬物の内容は大変興味深い。金額に換算すると、中成薬・生薬・西洋薬の使用比率が同じで、それぞれ3分の1ずつだというのである。取材記者は中成薬の比率が予想外に多いと驚いておられるが、のみならず西洋薬の使用比率の高さについても唖然とさせられる。

 ともあれ、このように本場の中医医院においても中成薬は「便利だから、患者によろこばれる」とのことで、この辺の事情は日本とたいして変わりはなく、煎薬でなければ中医学を行えないと信じている一部の日本人のほうがどうかしているのである。


●中医漢方薬学のアイデンティティ

 中医学も中医漢方薬学も、ともにアイデンティティを形成している最も根源的な部分は、いうまでもなく陰陽五行学説であり、これにもとづく中医学理論を基礎としている。

 中医学と中医漢方薬学の違いは、後者では方証相対論にもとづく随証治療の精神を弁証論治に取り入れていることである。

 つまり、伝統的な既成方剤それぞれが適応する一連の症候(証)の探求と分析を通じて、弁証論治における治法に対する方剤の選定をより能率的に導く工夫がある。


●随証治療の精神と弁証論治における「依法用方」

 弁証論治はなにも「依法立方」だけの世界というわけではなく、既成方剤に依存する「依法用方」こそが弁証論治の基礎であり出発点でもある。これによって方剤の組み立てにあれこれ思案して苦労する必要がなくなるのである。

 つまりは、日本漢方の随証治療を一歩進めて「随証立法」にもとづいて方剤を選択することが弁証論治における「依法用方」なのである。たとい、依法立方が自在に行えるような高度な知識と技術がなくとも、治法にもとづいて先人の制定した既成方剤を使用できるようになれば、すでに中工のレベルに到達したものといえるのである。要は、中医学理論をいかに臨床上で有機的に活用できるかが問題であって、依法立方だけが弁証論治というわけではないのである。

 このように見てくると、「既成方剤に依存した施治は中医学ではない」「中医学は煎薬でなければ行えない」などの珍奇な発言が、いかに根拠のないものであるかが分かる。

 さらに言えば、既成方剤に依存する「依法用方」の中には、日本漢方の随証治療と中医学の弁証論治との接点が内在しており、治法にもとづいて方剤を解釈する「依法釈方」の精神は、すでに制定された方剤を各薬物の効能と君臣佐使の配合関係によってとらえるのではなく、複合の飛躍により方剤自身の新たな効能を発揮するものととらえる点において、日本漢方の随証治療の精神と一脈相通じていることも認識しておく必要がある。

 某証(葛根湯証など)の確定根拠となる一連の症候の把握に全力を傾ける随証治療の世界では、傷寒・金匱の方剤を主体に一般的な疾病から難治性の疾患まで、少ない方剤を駆使してかなりな成果が上げられている。これらの豊富な経験を中医学の立場から詳細に分析すれば、既成方剤における新たな「病機と治法」が発掘され、依法用方や依法立方のレベルの向上に,多大な貢献ができるものと確信している。

 たとえば、筆者の葛根湯を用いた随証投与の経験を述べると、めまいやふらつきを主訴とする眩暈証患者で、多少とも寒冷や気温の落差に影響を受けやすい「項背部の凝り」をともなうものに対して、西洋医学的な病名診断とはまったく無関係に著効を得たことが多い。

 その他にも先人の随証投与による葛根湯の膨大な治験があるが、これらを単なる経験だけに終わらせず、葛根湯が適応した症候を整理し詳細に病機を分析・検討する必要がある。同様に、各方剤の随証投与による膨大な治験を概括して理論に高めれば、中医方剤学の発展に貢献する可能性が強いのである。


●中医漢方薬学の実践

 実際の臨床では、十分な弁証を行った後に「治法」を考案し、既成方剤を用いて「治法」にもとづく方剤の選択(依法選方=依法用方)を行うわけであるが、複雑な病態に対処するには単方投与ということは、現実的にはほとんどありえないことになる。

 成都中医学院の方剤学教授、陳潮祖先生の御高説をヒントとして、疾病治療における配合原則は、

@疾病の直接的な原因となっている「内外の病因」を除去する薬物。
A五臓六腑の機能を調整する薬物。
B体内に流通する気・血・津液・精の疎通や補充を行う薬物。

という三方面の配合が鉄則であると考えている。

 それゆえ、比較的単純な疾患では、@ABの鉄則を1〜2種類の方剤で充足させることも可能であるが、成人病や難治性疾患ともなれば、3種類以上の合方など決して稀ではない。


●アイデンティティ喪失の危機

 ともあれ先に見てきたように、現在では中国の中医学専門医院においても中成薬の使用頻度が増大している現実は、筆者が7年前から提唱してきた中医漢方薬学の理念にかなり接近してきている証拠である。

 両国を挙げて既成方剤それぞれが適応する証(一連の症候)の探求と分析による方剤の能率的な選定方法の研究がますます盛んになるに違いないが、これには従来の日本漢方の伝統であった方証相対論にもとづく随証治療の精神が、大いに役立つわけである。

 西洋医学や東洋医学、インド医学など、その他各種の医学体系も、人体の疾病に対する認識と治療方法において、いずれか正統あるいは正当な医学である、と結論づけられるものではなく、西洋科学思想にもとづく西洋医学といえどもその例外ではない。

 いずれの医学体系も、1つの「解釈と方法論」にすぎず、あらゆる医学に共通する命題は「疾病の治癒」にほかならない。理想的には、それぞれの優れた部分を有機的に結合させて、治療効果のより優れた新たな医学を創造することであるが、言うはやすくほとんど実現不可能なことである。

 根源的な世界観およびそれにもとづく医学理論そのものがまったく異質であるためだが、たとえば、西洋医学と中医学の2つだけにしぼって考えてみた場合でも、さしあたりは中西医結合よりも中西医合作のほうが容易にみえるのである。

 しかしながら、容易ならざる中西医結合が時代の要請であるからには、その勢いを第一世代の老中医によっても阻止することはできないだろう。

 中医学や中医漢方薬学のアイデンティティを見失うことのない方法が大前提でなければならないが、実はそれ以前の問題として、陰陽五行学説にもとづく中医基礎理論に十分習熟することは、それほど容易ではない。

 このために一部の者が中医学の理論研究と応用の困難さに負けてしまい、安易に現代化という名のもとに性急な西洋医学化に走り、すでにアイデンティティをほとんど喪失して分裂状態に陥っていることに気づかず、喜々として顧みない者もいるようである。

 このような逸脱現象に目を注げば、第一世代の老中医が中医学消滅の危機感を抱かれるのも無理ないように思われる。

 本場の中国でさえこのようであるから、日本の現状は推して知るべし。先に見てきたように、中国側から見た日本漢方界の現状は、「中医漢方薬学」の提唱があるにもかかわらず、現在までのところ基礎理論の研究と運用を怠っていると認識されているわけである。

 中国側の言われる基礎理論というのは、当然のことながら陰陽五行学説にもとづく「中医」基礎理論を指している。従来の日本漢方のような陰陽学説にもとづく二元論のみでは、理論と呼べるような理論はないに等しいので、中医基礎理論を早急に導入する必要があることを示唆しているのである。

 つまり、従来の日本漢方のままではアイデンティティを形成する以前の幼時期の段階であることも言外に指摘されているわけであるが、いささいか憂慮すべきは、アイデンティティが形成される以前のレベルであるにもかかわらず、一部に西洋医学化志向が強すぎて、中国におけるそれよりも重度の分裂病的状況が認められることである。


●おわりに

 過去の歴史が証明するように、いつの時代でも常に矛盾はつきものではあっても、社会的現実にもとづく時代の要請には抗いがたく、適当なバランスを取りながら、その時代に比較的マッチした思想や医学が流行するもののようである。もしも時代に逆行するような思想や医学が流行するようなことがあるとするなら、時代精神そのものが腐っていて、そのレベルでしかなかったのであるから、実際のところは「時代に逆行した」という表現をとることはできないことになる。

 時代の現実的な要請に応じた難治性疾患に対するハイレベルな治療効果を求めて、日本漢方はこれから大変貌を遂げざるをえない必然性があるように思われる。新世代と旧世代。あるいは改革派と守旧派との相克がみられるのは、いつの時代でも、どの世界でもみられてきたことであり、日本漢方が今後どのような変貌を遂げるかは、結局のところ日本の漢方界全体の「学識」のレベル次第ということであろう。

 100年後に平成を振り返ったとき、「日本漢方大躍進の時代」と讃えられるような進歩と発展がみられることを祈りつつ、拙論を終えることにする。


※筆者による過去の関連文献

1)『日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』(東亜医学協会創立500周年記念号「漢方の臨床」誌、第35巻12号、東亜医学協会発行、1988)

2)『平成元年漢方への提言(日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』(「漢方医薬新聞」
 第53号、漢方医薬新聞社発行、1989)

3)『中医学と漢方医学』(「和漢薬」誌、428号 ウチダ和漢薬発行)

4)『中医漢方薬学に目覚めるまで』(「和漢薬」誌、432号 ウチダ和漢薬発行、1989)

5)『中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤』(「中医臨床」誌通刊42号、東洋学術
 出版社、1990)

6)『漢方医学と中医学の接点としての「証」』(「漢方の臨床」誌、第39巻11号、東亜医学
 協会発行、1992)

7)『日本漢方の隨証治療の精神と「依法用方」』(「和漢薬」誌、484号掲載の「中医病機治
 法学〔21〕中の【訳者のコメント】」 ウチダ和漢薬発行、1993)

8)『中医漢方薬学の理念』「和漢薬」誌、500号記念特集、ウチダ和漢薬発行、1995)
ラベル:中医漢方薬学
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2025年10月28日

肝気鬱結の原因について

 1997年10月号(通巻533号)の『和漢薬』誌に発表した訳注、陳潮祖著『中医病機治法学』における「疏泄失調」の訳文後の「訳者のコメント」を増補改訂し、しかも今回平成17年になって再度改訂したものです。

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 読者対象が主として漢方薬専門の医師・薬剤師であった関係で、時には遠慮会釈も無いかなり辛辣な指摘をしたものですが、表現はきつくとも、今読み直しても決して誇張した表現とは思われません。しかしながら、論説の視点がまだまだ一面的な部分がありましたので、再度改訂したわけです。

 現代社会における肝気鬱結(肝気欝結)の原因には、単なる欲求不満が昂じて発生する場合が比較的多く、臨床上もよく遭遇する証候(病機)の一つであるが、「ストレスの多い現代社会」という紋切り型の概括は、あまりにも浅薄である。

 昔の貧困と男女差別等に泣かされた封建時代における人々の肝気鬱結とは原因が明らかにことなることが多いようである。
 多少とも深く追究すれば、今日のような「成熟社会」においては、個人の自我意識とともに権利意識が相当に発達していると、有益な面も多々あるにせよ、反面困った問題として、過度な被害者意識や怨恨あるいは嫉妬心といったものまで異常に発達してしまうケースも見られ、そのために日々悶々とし、鬱々として楽しまず、些細なことにも不満が昂じて肝気鬱結を呈してしまい、さらには肝鬱化火にまで発展してしまうことがママ見られる。

 ところで、この「成熟社会」という表現は悪い冗談で、実は偽善と欺瞞に満ちた悪平等の社会であると指摘する識者もあるが、あながちまったく荒唐無稽な議論とも言えず、口の悪い識者に言わせれば「要するに成熟社会とは我儘社会に他ならない」ので、今後もますます肝気鬱結や肝鬱化火の証候(病機)を呈する患者さんは増え続けるに違いない。

 もちろん、現代社会といえども、そのような「我儘」だけが根本原因となっているはずもなく、様々な境遇により、例えば会社内での人間関係に悩む人々は最も多く、さらには夫の暴力による抑うつ状態やヒステリー症状もよくみられるものである。それゆえ、村田漢方堂薬局でも、四逆散・逍遙散・丹梔逍遙散〈加味逍遙散)、または抑肝散類や竜胆瀉肝湯などの使用機会は実に頻繁である。

 しかしながら、男性の我儘のみならず、昨今は以前にも増して目立つのが、女性のエゴイズム剥き出しの病理現象を観察する機会が多く、故松下幸之助氏が申されたといわれる

「嫉妬は万有引力のようなもので、誰もそれから離脱できない」

との名言が胸に染み入る今日この頃であるが、谷沢永一氏は、

「人間の最も強烈な情念は嫉妬です」

と御高著で断言しておられるのである。
ラベル:肝気鬱結
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2025年10月24日

漢方医学発展への道 (中医学と日本漢方) 村田恭介著

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異病同治の日本漢方と、同病異治の中医学を合体した『中医漢方薬学』

 本論の元版は1990年に『中医臨床』誌の9月号(通巻42号)に発表した
「中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤」です。

 
 当時から常々提唱していた「中医漢方薬学」論のひとつでもあり、エキス製剤でも充分な効果が得られることも実証したかった面もありました。

 初期の10年近く日本漢方の吉益東洞流の学習と実践の後、中医学に転向しましたが、日本流時代は煎薬ばかりに拘泥していたのに、中医学派に転向後は煎薬に拘らず、むしろ積極的にエキス製剤等の既製品に力を入れるようになりました。

 その理由は中医学理論および中医方剤学のみならず中薬学を知れば知るほど、代替方法を考えることは知識と技術を磨く上で、如何に重要かということを知るのと同時に、煎薬を製造することで多くの時間を奪われるくらいなら、悩める方々のお話をじっくりお聞きし、西洋医学の先生の診断等のご意見も参考に適切な漢方薬をアドバイスして差し上げる方が、遥かに重要ではないかと愚考した面と二つの要因がありました。

 ともあれ、本論も日本漢方を中国漢方に吸収合併させるべきとの年来提唱の「中医漢方薬学」論の一つに変わりはなく、両医学の長所と短所を挙つつ、その両医学の接点としてのエキス剤を論じたものでした。

 しかしながら、平成17年の現在、改訂を何度も試みるうち、論旨の途中からどんどんとウエイトが「異病同治」の理論研究の必要性を論じることに力が入り、あらためて日本古方派の優れた面には大いに再認識するところがあり、元古方派として著者自身が昔お世話になった古方派の漢方専門の先生方に、少しは恩返しが出来るかもしれない拙論となり、ホッとしている次第です。

 それゆえ、結局は大幅な改訂版となってタイトルまで変えずにはおれなくなりました!もともとのタイトルは『中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤』でした。

 結果的に「漢方医学発展への道」としての、大きなルートを開拓したのではないかと、いささか、誇大妄想的な自負を抱けるような結論が導かれたことと信じています。

 例によって本論発想のきっかけは、やはり(日本漢方に対する言及は一切無いものの)陳潮祖教授の『中医病機治法学』に多くを負うものでした。

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   はじめに

 中医学の特長の一つに、手元に充分な中草薬がない場合でも、弁証論治にもとづいた代替品を利用することで、一定レベルの治療効果を確保することを可能にする融通性がある。
 
 たとえば、天麻が手元にないとき、肝風内動による痙攣や震えには釣藤鈎、白彊蚕などで代用し、肝陽上亢から生じた眩暈・頭痛などでは代赭石・石決明で代用する、といった類である。

 数ある中医学の特長のなかで、このことは一見些細なことのように思えるが、限りある天然資源のことを思うと、日ごろから代替品の研究と応用は必要であると思われる。
 そして、その一つの代替の方法として漢方処方エキス製剤等の既製品を利用して多くの疾患に対処することで、一定レベルの治療効果が確保できるものなら、服用者の便利さとともに、薬剤師の調合業務の能率向上の点からも望ましいことではないかと愚考するものである。

   
   基本方剤の模倣

 たとえば一つの問題として、中医学における基本方剤を、日本で製造されている漢方処方エキス剤などの既製品だけで代用することは不可能なものであろうか。

 血府逐瘀湯を使用したいとき、四逆散合折衝飲各エキスの合方で、地黄・桔梗が不足しているものの、一応の基本的な効果は充分に期待できるようである。
 一般的にも既に広く行われている気虚血瘀に対して、補中益気湯合桂枝茯苓丸料各エキス合方などは、ときには補陽還五湯の代用品として通用できなくもない。
 桃紅四物湯などは、桂枝茯苓丸料合四物湯各エキス合方。天麻鈎藤飲は、釣藤散料合黄連解毒湯合六味丸料各エキス合方。
 独活寄生湯は、疏経活血湯エキスと海馬補腎丸との合方など。

 一部は牽強付会に過ぎる感はあるにせよ、弁証論治の基本から大きく外れなければ、代替品としての利用価値は計り知れない。

 最近も慢性化膿性骨髄炎で足に腐骨があり表皮に漏孔を作って膿が微量ずつ排出し続け、思うように入浴も儘ならない状態の患者さんに、日本でも良く使用される托裏消毒飲の代替として、玉屏風散エキス製剤に金銀花入りの荊防敗毒散料エキス製剤に白花蛇舌草の併用で一年半、基本的に漏孔も早くから塞がり安定した状態が続いてる。
 充分以上の代替となり、むしろ托裏消毒飲よりも効果的なのではないかと愚考しているところである。
 もちろん病院では手術によらないと不治というのを漢方方剤の配合により、寛緩状態にまでは充分に持ち込めているわけである。


   日本古方派の特徴と特長

 日本の古方派について、中医学派が注目するに値する点あるとしたら、基本方剤をあまり手を加えずに徹底的に応用しようとする精神であろう。

 基礎理論の点で多くの問題があるにせよ、一つの基本的な方剤を大切にする精神は、ともすれば実際の臨床時において、基本方剤の考察を忘れがちな中医学派にとっては、よい警鐘となるかも知れない。

 たとえば、少しは経験を積んだ古方派にとっては、桂枝茯苓丸料エキス単方のみによって、一人の女性患者に合併する気管支喘息・頭痛・吹き出物・乗り物酔いを同時に治癒あるいは軽快させる類のことは、それほど珍しいことではない。

 同じように柴胡桂枝湯エキス単方によって、小児喘息・夜尿症・自家中毒を同時に治癒あるいは軽快させることなどは比較的多いものである。

 さらに、古方派の行う経方単方による難治性疾患に対する治療例については、十分注目に値すると思われる。
 古方派の投与した方剤がどうして著効を奏したか、中医学的にはどのように解釈・分析が行えるのか。
 私自身の課題としても、過去に経験したことでありながら、桂枝茯苓丸料による気管支喘息等の多種合併する症候が治癒したメカニズムを中医学的に十分解明する能力を持てるようにならなければ、過去、日本の古方派漢方家であった経験を活かすことができないと思っている。

 もちろん、構造主義科学の一つであり、世界に誇れる構造主義医薬科学である中医学理論を駆使すれば、分析・解明の論文を書くことはそれほど困難なことではないのだが、それはどうしても「あと知恵」的な感は免れないのである。
 なぜなら、最初から弁証論治の病機分析から気管支喘息患者に桂枝茯苓丸が割り出せる確立はほとんど有り得ないことと愚考する。
 後に述べる「異病同治」の世界である日本古方派特有の発想にもとづく経験医学でなければ、思いつきにくいはずであろう。

 ともあれ、蛇足ながら最近経験した筆者の桂枝茯苓丸料エキス剤による二例をご紹介する。
 日本古方派にとっては全く当たり前の発想であるが、中医学のみの習得だけであったら自分自身、桂枝茯苓丸の発想はもっと遅れていただろうという経験である。

 57歳の男性のトラック運転手が、腰痛および左足の先まで走る電気的なシビレ感が強烈で、仕事に差し支えるが、医師は神経の圧迫だから手術すれば治ると勧められている。

 しかしながら、仕事を休めないので、定年までの「つなぎ」でよいから何とか症状を緩和して欲しいとの要求である。足先が冬でも火照る体質で、舌象からの肝腎陰虚に瘀血阻滞が明白であるから風邪を兼ねると見て、「現症の病機」だけに忠実に合わせたつもりの知柏腎気丸製剤に疏経活血湯製剤の合方で全く効果が無い。足部の火照りが解消しただけである。
 そこで過去の病歴を再度考慮し、40年前に足腰を強打した事故経験に照準を合わせ、まずは桂枝茯苓丸料エキス散のみの単独で、わずか10日間の服用で、かなり軽快。
 さらに雲南田七で補強することにして更に良好。古方派時代の経験のお陰で、かろうじて面目が保てた次第。

 もう一例は70歳を越える男性。
 10年以上前に長年の重度の坐骨神経痛を独活寄生湯エキス製剤と疏経活血湯エキス製剤に当時はまだ使用できた虎骨製剤に地竜エキス製剤の四者併用で長年の悩みが半年くらいで解消していた。
 最近(平成16年秋)健康法とて腰をひねる体操を始めて一週間、久しぶりに再発してしまったとて。前ほどはひどくないが歩くと攣って辛いと言う。
 疏経活血湯エキス錠と雲南田七の併用では殆ど効果がない。そこで、腰の捻挫でしょうとてこれに桂枝茯苓丸料エキス散を加えて即効があり、現在かなり楽になっている。 


   「異病同治」と「同病異治」

 ところで、敢えて極論させて頂ければ、中医学は「同病異治」の医学であり、日本の古方派漢方は「異病同治」の医学であると思われるのである。したがって、中医学は『金匱要略』を発展させたものであり、古方派漢方は『傷寒論』を日本独自の発想で応用・発展させたものであると言えるのである。

 成都中医学院の陳潮祖教授も一部指摘していることであるが、中国における『傷寒論』の研究は、過去の日本人の研究者の数を遥かに上回る多数の人々による成果が堆積しているはずであるが、いったい「異病同治」に対する研究が、十分になされて来たと言えるのであろうか?

 張仲景は『傷寒論』において、外感疾患の伝変法則を検討する形式を取りながら、「臓腑経絡を綱領として病機分析を進める方法」の道を開き、世に知らしめた。一方、『金匱要略』においては、『傷寒論』と同様に臓腑の生理・病理を根拠としているものの、病の種類別に病機を検討する形式を取っている。したがって、『金匱要略』においては『傷寒論』では存在しなかった「病名分類」が重要な位置を占めている。このようにして仲景は『傷寒論』を経とし、『金匱要略』を緯として、二書を縦横に連繋させ、以後の中国伝統医学における道標(みちしるべ)となる模範を示した。

 ところが、金元時代からは学科の分科が始まり、それ以後は病名別に病理を探究する方式が中心となり、『金匱要略』を基礎とした「同病異治」の理論研究が主体となったまま現在に至り、そしてそれがそのまま現代中医学の基本的な特徴とさえなった観を呈しているようだ。つまりは「それぞれ異なった病機に同一の症状が出現する」ことに対する治療方法の研究という同病異治の研究が、現在に至っても中心的な研究対象となっている現実は否定できないのである。

 反面では「同一の病機においても多種類の症状が出現する」ものであるが、この「異病同治」に対する明確な概念の追究は明らかに遅れを取っている。仲景が示した模範を十分に発展させて来たとは言い難く、一面的な発展方向にあった過去から現在までの状況を指摘せざるを得ないわけである。

 以上の論点は、何度も言うように陳潮祖教授の指摘による部分も多いので、筆者一人の独断だけとは受け取らないで頂きたいものである。


   中医学と日本漢方との接点

 ひるがえって、基礎理論が不完全で中国伝統医学(中医学)のような本来最も基礎的な部分を形成していたはずの「陰陽五行学説」という構造主義医科学の根本を捨て去ってしまった日本古方派にあっても、日本漢方なりの独自の『傷寒論』研究により、「異病同治こそ臨床的な現実である」とした臨床実践が多く行われて来た事実には注目する必要がある。たとえそれが吉益東洞が出現するまでは日本の後世方派も共通の基礎理論であった陰陽五行学を捨て去ったものであっても、現在も行われている、結果が伴う実践力があったことは歴史が証明していることである。

 「異病同治」の基本理念は、前述のように『傷寒論』が鍵を握っているわけで、それゆえ日本古方派の『傷寒論』に対する精神と臨床実践は、中医学派にとって「異病同治」に対する有益なヒントを与えるものとなろう。日本の古方派の難治性疾患に対する著効例を中医学的に詳細に分析して解説できるようになれば、自ずから「異病同治」の本質がどのようなものか、それら基本概念の更なる追究に大きな示唆を与えるに違いないのである。

 ただし、この作業にはお互いの派、つまり中医学派と日本古方派の協力が必要となるだけに多くの困難が予想され、以前本論の元版ではこれらのことを力強く訴えていたが、その後もそのような動きは見られない。そんなことなら元日本古方派出身の筆者自身がやればよいことだから、もう以前のような訴えかけは止めることにした。

 ところで最近、傷寒・金匱の経方ばかりの中医師による解説と症例集の翻訳書を手に入れたが、一番の指標となる「桂枝茯苓丸」を調べると、やはり日本古方派的な応用は皆無であった。筆者が日頃、三文のように利用する方文賢編『中医名方臨証秘用』(中国中医薬出版社)には、日本古方派特有としか思えない様々疾患、婦人科系疾患・前立腺肥大・甲状腺腫・肝炎は当然として、腰痛・痺証・気管支喘息・慢性腎炎・高血圧・血栓性静脈炎・慢性肺水腫・外傷感染・下肢潰瘍・脱疽・メニエール氏症候群・鼻出血:慢性副鼻腔炎・中心性網膜炎等々、まだまだ沢山の応用面の記載があるが、日本漢方の文献も相当参考にされている書籍であるから、純粋に中国における中医師の経験報告とは思えない。

 やはり、今(平成17年1月)にして思うことは、経方の応用に関しては、つまり「異病同治」の臨床実践に関しては、日本古方派漢方は中国のみならず世界に誇っても良いのだと、あらためて実感しているところである。


   中医学の一部であるべき日本漢方

 ただし、ここで特に指摘しておきたいことは、日本の漢方も中国の伝統医学に「復帰」すべきであり、したがって日本の古方派も中医学の中に包括されるべきものである、ということである。

 そもそも、ときに言われる「日本の伝統医学」という表現は、ほとんど間違った表現であり、本来、日本でも中国の伝統医学を輸入したものであり、とうぜん同じ医学・薬学であったものを、江戸期に吉益東洞がブチ壊しにしてしまったのである。東洞批判の詳細は拙論『日本の将来「中医漢方薬学」の提唱』(「漢方の臨床」誌 第35巻12号 東亜医学協会創立50周年記念特集号)で述べた通りである。

 このままでは日本漢方は世界の異端児のままであり、さらには現実にみられるように、「西洋医学化」という名のもとに、いよいよ邪道の道に迷い込み、いよいよ本質を忘れた似非東洋医学に堕するのみである。東洋医学、とりわけ漢方の世界において、「日本の常識は、世界の非常識」と言われている現実をもっと認識して欲しい。

 日本漢方も本来あるべき中国伝統医学の一部として、中医学という構造主義医薬科学の基礎である陰陽五行学説を再認識し、上述したように「中医学」の弱点、「異病同治」の世界を知らしめるのと同時に、中医基礎理論を取り戻して「構造主義科学」のレベルにまで復帰すべきなのである。 

   「異病同治」を追究する意義

 「異病同治」の概念を明確にしていくことの意義は、『金匱要略』方式では病気の種類別で病機分析を行う方法では、単に病機における横並びの関係をあらわすのみであり、検討される病の種類には限界がある。『諸病源候論』記載の病名1720則すべてを網羅することは不可能である。

 ところが『傷寒論』方式では、臓腑経絡を大綱にして病機分析を行う方法であるから、簡便な方法によって複雑な病態を整理でき、無限のあらゆる病変に対処できる。傷寒論研究者は注釈を施すのみで、『傷寒論』を模範とした研究を怠り、病機体系を発展させ完全なものに近づけようとはしてこなかったために、臓腑の生理・病理を大綱とした縦向きの研究、すなわち「異病同治」の理論については、却って見慣れないものになり、明確な概念の把握を困難にしている、というのが名著『中医病機治法学』の中で陳潮祖教授の指摘されるところである。

 それゆえに、日本古方派が長期にわたる臨床実践で得られた成果の中医学的分析は不可欠なのである。日本特有の「口訣集」なども相当に参考になるはずである。このように、陳潮祖先生が中医学に不足していると言われる「異病同治」の発展と完成を目指せるのは、この日本国内であるのに、筆者が知る限りでは、まだ今のところ誰も手を出そうとされていないようで、大変惜しいことである。

 このように経方が中心となっている日本の各種エキス製剤にも応用範囲がさらに広がり、中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤が光り輝いて来るのである。


   むすび

 漢方専門薬局を経営して32年。吉益東洞流を10年やって基礎理論の皆無に等しいひどさにとうとう見切りをつけ、中医学派に転向したものの、東洞流に苦言を呈し続けながらも、「異病同治」を臨床の現実として当然視する日本漢方の鋭さにも無意識に気付いていたのか、結局は「異病同治」の日本漢方と「同病異治」の中医学を合体して「中医漢方薬学」論を提唱せずにはおれなかった筆者である。中医学的な「異病同治」の分析は、私こそやるべきではないかという天の声が聞こえて来ないでもないが、そこまでのエネルギーが残っているのかどうか?平成17年1月11日の早朝、思案しているところである。
posted by ヒゲジジイ at 16:30| 山口 ☀| 中医学と漢方医学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月23日

中医学は構造主義科学であるということ

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 科学理論とは、仮説に基づく理論体系化の試みであり、現実世界に充分有効な理論であれば、一つの立派な科学理論として成立し得る。

 日本漢方では、空論臆説として退けられて来た「陰陽五行学説」は、ひとつの構造主義科学といえる。

 ちょっと難しいフランスで一時隆盛を極めた「構造主義」を引き合いに出す必要もない

 一般の辞書的レベルでも、充分に解説されている「構造」という意味を考えるだけでも、かなり納得しやすい。

 小学館の『大辞泉』によれば、

 構造とは、物事を成り立たせている各要素の機能的な関連。または、そのように成り立たせているものの全体。

とある。

 これを敷衍して、生体内の生命活動は構造化されており、人体の生命活動を、五行相関にもとづく五臓を頂とした五角形が基本構造であると捉えているのが中医学である。

 五臓を頂とした五角形にゆがみやひずみが生じたときが病態であり、病態分析の基礎理論となる構造法則の原理が、陰陽五行学説である、と考えればわかりやすい。

 陰陽五行学説に基づく中医学理論は、臨床の現実に即して展開され、原理的に新たな理論の充実を図ることが可能である。

 それゆえ、治療の成否は中医学基礎理論の知識を、実際の臨床にどのように活用し、展開させるかという一事に関わって来る。

 中医学は、構造化された生体内を「五行相関に基づく五臓を頂とした五角形」として捉えることから出発し、臨床に直結した医学理論として、常に生体内に共通した普遍性の探究を継続しながら、基礎理論の確認と補完を図りつつ、疾病状態における患者個々の特殊性の認識(把握)を行なうとともに、この認識に基づく治療へとフィードバックさせる特長をもった医学である。

 古人は医学領域において五行理論を利用することによって、五臓相互の関係の説明に役立てている。気血津液精という基礎物質の生成・転化・輸布などの生理的・病理的関係にもとづいて五行理論を巧みに利用し、相生・相克の概念によって五臓相互の関係を説明しており、決して単なる空論臆説による「まやかし」や「ごまかし」などではない。

 医学領域における表現形式として五行理論を巧みに利用している点に留意すべきで、このような中国古代人のプラグマチズム的精神を体現した融通性は高く評価すべきであろう。東洋医学におけるこれらの伝統的な表現形式を批判・蔑視あるいは軽視する日本漢方界の一部の風潮はいささか理解に苦しむところで、五行理論に対する否定的な立場は、中医学のみならず漢方医学を含めた、東洋医学そのものを否定するに等しい、大いなる自己矛盾をはらんだ不可解なポジションである、と思えるのである。


構造主義医薬科学 = 中医学基礎理論

 人体の生命活動は「五行相関にもとづく五臓それぞれを頂点とした五角形」が基本構造であり、病機分析(病態認識)の基礎理論となる構造法則の原理は、陰陽五行学説である。陰陽五行学説にもとづく「中医学理論」は、よりハイレベルな「構造法則」として常に発展していく必要があるが、差し当たりは現段階における中医学理論にもとづき、五臓を頂点とする五角形のひずみを矯正することが、疾病治療の基本原則となる。

 以上をもう少し具体的に言えば、成都中医学院の陳潮祖教授が『中医病機治法学』(四川科学技術出版社発行)で述べられているように、五臓間における気・血・津液の生化と輸泄(生成・輸布・排泄)の連係に異常が発生し、これらの基礎物質の生化と輸泄に過不足が生じたときが病態であるから、五臓それぞれの生理機能の特性と五臓六腑に共通する「通」という性質にもとづき、病機と治法を分析して施治を行うのである。

 @病因・病位・病性の三者を総合的に解明すること。
 A気・血・津液の昇降出入と盈虚通滞の状況を捉えること。
 これらによって、定位・定性・定量の三方面における病変の本質を把握する、というものである。

 治療方法については、以上のような病機分析にもとづき、病性の寒熱に対応した薬物を考慮しつつ、@発病原因を除去し、A臓腑の機能を調整し、B気血津精の疏通や補充を行うのである。

 治療の成否は、中医基礎理論の知識を実際の臨床でどのように活用し、応用できるかという一事に関わっているが、実際の臨床においては差し当たり「現症の病機」の把握に大きな間違いがなければ、多くの慢性疾患やたとえ難治性疾患であっても、煎薬のみにこだわる必要は無く、既製のエキス製剤によっても、一定の治療効果を得ることができるのである。

 蛇足ながら、中国国内でも第一世代の老中医は、中堅や若手の中医たちが基本方剤を大切にせず、弁証論治の名のもとに新たな方剤を作るようなやり方に批判的であると言う。名老中医たちは日本で想像する以上に、歴史と伝統のある傷寒論や金匱要略などの基本方剤を非常に大切にされるのである。

 なお、構造主義科学論による更なる考察として「中医漢方薬学」論以来の進展をみた拙論『中医学と西洋医学―中西医結合への道―』も是非参照されたし。
ラベル:中医学 構造主義
posted by ヒゲジジイ at 16:07| 山口 ☀| 中医学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする